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人生いろは 『か』 たわいのない会話は人生への贈り物

 
『会話』は言葉のキャッチボールと言われています。 キャッチボールはボールを相手が受け取れるようにボールを投げ、受け取った側もまた相手が受け取れるように投げる、と言う事を繰り返すものです。 ドッジボール、テニスは相手が返せないように球を投げる/打つ、サッカーはできるだけ相手をよけて自分だけがボールをキープする、ゴルフは球をできるだけ自分の目的地に近くに打ち、他の人とは関係ない。
 
会話は相手を負かせようと言葉を発するものではないんです。 また、一人がしゃべって、他の人はただ聞いていることも会話ではないです。 会話は二人または数人の人が共通の話題を介して言葉をかわすことです。 
 
言葉の意味は、皆さん重々ご存じのことですね。 Note やブログやSMSに書いていると、Like があってリアクションを少し受けても本当に一方通行で会話が恋しくなりませんか。もちろんSMS でコメントが殺到して、文字のやり取り議論になることもあります。 SMSはよく知らない人、地理的に離れている人との論議ができる違う利点をもっています。 しかしながら、それに慣れすぎると、、、と言う疑問を最近持ち始めています。
 
会話は人間関係に直結しています。 人間関係というのは言葉の交換を通じて成立、「ことばをかける」ということは人間関係の基本。人は一人では生きていけないですから、人間関係は人生に必須のもの。 つまり、『会話』は人生になくてはならないものだと思うんです。
 
私は話すのが苦手、私は人と話すのが嫌い、と言う人がいます。どうしてなんでしょう? 赤ちゃんが生まれて最初に言葉が出た時の感動、最初に言葉で自分の意図が通じた時の感動を記憶出来ていたらきっと違うでしょう。
 
自分の意図を伝えるのが難しいこともあります。 日常言葉を交わしているとそれが簡単になるんじゃないかと思います。 何でもないことを話す日常の習慣が難しいことを簡単にしてくれるんです。
 
何にも話すことないと思うのは、何か面白い話をしなくてはいけないと気張ってしまうから。こんなこと言っても他の人には関係ないし、全然大切じゃないし、と勝手に決めて話さない。実際は、いろいろな言葉を交わすうちに、相手を理解して、何かあった時のコミュニケーションがスムーズになるんだと思います。 話が通じやすいというのは日常会話を交わしているから。
 
会話は双方向の行為で、話す事と聞くことで成り立っています。 聞く、耳を貸すことの大事さもありますが、今日は話しをすると言う事に集中します。 
 
最近思うことは言葉を発することの大切さです。 言葉を発する、会話をするのは、脳が複雑な不思議な活動しているからです。 子供の脳の発達、大人になっての脳の劣化防止のためにも話をするのは大事なんだと思う今日この頃です。 自分の発した言葉で人が反応したり、自分の意図が伝わる事って充実間を与えてくれます。そして、話しているともっと考えるようになります。 脳へのご褒美なんですよね。
 
忘れてはいけないのは、言葉を発せない人もたくさんいることです。 その方たちの、コミュニケーションのための努力は尋常なものではありません。 私たちは、折角与えられたの能力をもっと活用しなくちゃもったいないと思うんです。
 
話は変わりますが、外国語を習いたいという方々が沢山います。英会話を習得したい。 『会話』ですよね。 もちろん単語、文法、大切ですが、話すことがなかったら、会話は成立しません。語学力が低いのでハードルの高い話題の会話は難しいです。でも、たわいのない話なら自分の持っている単語内で話すことができます。 たわいのない話が誰とでも日本語でできないのに、いきなり、外国に来て英語でよく知らない人と会話する。絶対むずかしいと思うんです。 
 
例えば夫婦、兄弟、友達、仕事仲間と何か問題があって、説明、説得しなくちゃいけない状況になったことがありませんか? 特に、夫婦間、家族内での問題が起きた時、どうやって、いつ話したらいいのか。 普段、会話のないところでいきなり問題を話し合うってすごい高いハードルですよね。 また、普段おしゃべりしていたら、その、一時的な問題は起こらなかったと言う事も多々あると思います。
 
 
レストランに行くと最近思う事。 座って、メニュー見てオーダーしたら、それぞれ携帯電話に見入っている。 食べている間会話して笑っているカップルの少ない事。 ファミレスで、子供たちはキャーキャー言って楽しんでいるけれど、お母さん・お父さんは携帯と向き合っているのを目にします。 首傾げてしまう私です。
 
私たち夫婦の話をさせてくださいね。 ここに引っ越してきて、主人が仕事に行っていた時、私は知り合いも全く皆無で声を出さない日中の毎日が続きました。 それで、散歩に行って、手あたり次第会う人に声をかけ、少し会話して、その話を家に帰って話題にしていたんです。 内容は本当にたわいのない事でしたが毎日主人に話していました。 徐々に自分の世界ができてきて、話題には事欠かなくなりました。 話題は、どうでもいい事の方が多いですが、小さなきっかけのおしゃべりから、お互いの家族、子供のころ、過去の仕事、趣味、経験と話は飛びます。 そうしているうちに、お互い(私たちは主人が50歳私が43歳の時に出会ったので)のことがだんだん分かってきて、まるでずっと一緒に生活してきたようになっています。 
 
あるころから、食事をTVの前でするようになったんです。 私はしばらくしているうちに、なんだかわからないけれど、体に泥がよどんでいるような感じがしてきました。 よく考えて、夫婦の会話が減っているからじゃないかと診断しました。 もちろん、旦那は引退しているし、私も毎日同じことの繰り返しですから話す事なんかあまりないし。 でも、食事はテーブルでテレビ無しでするのを再開する提案をして、始めました。 始めは15分くらいで終わってすぐ片付けだったんですが、だんだん、食べ終わった後も会話がつづいているんです。 話題はたわいのない事から政治、文化、友人のことといろいろです。 自分の意見もあるし、彼の意見に賛成できないこともあるし、ヘエーって思うこともあります。 言いにくいことも話すタイミング見つかるようになっています。
 
毎日顔を合わせる家族間での会話って難しいかもしれません。子供たちが話し始めたら、同じことでもちゃんと聞いて反応し、こちらも、今日あったこととか話をしましょう。 お説教にならないよう、自分の話をするんです。 また、夫婦間でも、たわいのない自分の一日、テレビやソシアルメディアで見たこと、友達のこと、仕事仲間のこと、思いつくこと話して楽しみましょう。
 
たわいのない会話をすることは、時間の無駄じゃなく、人生への贈り物。 身近な人とたわいのないおしゃべりをどんどんして、人生をより楽しいものにしていきたいです。
 

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