「そこに居なかっただけ」の日々を生きる―地下と星座と『うわの空』【試し読み】
2023年11月11日(土)開催「文学フリマ東京37」に、不毛連盟(ブース:そー38)で参加します。新刊『ボクラ・ネクラ 第六集』を1冊1000円で頒布予定です。
これを機に、元々は荒岸来穂さんや江永泉さん、秋好亮平さんと始めた読書会企画の文字起こし記事を載せるために作ったnoteのアカウントを、2年以上ぶりに動かそうと思った次第です。
こんなのや
こんなのとか
こんなことをしたりしていました。
著者の方などからも反応をいただけたりして恐縮しつつ、ありがたい限りです。
しかし上記以外にも何度か読書会をしたりしましたが、いつも分量が長大になりすぎて文字起こしだけで半年以上当たり前にかかってしまい、結局は続かずに放置してしまっていました(『音楽メディア・アップデート考』読書会なんて3万字くらい起こしたのにストップしてしまっている、完全に自分のせいでして参加者に申し訳が立たない)。
大きな要因の一つは、noteには締め切りがないこと。
しかし文フリには締め切りがある…というわけで(もないんですが)、今回の『ボクラ・ネクラ 第六集』には久しぶりに行った読書会の記事が掲載されています。
↓荒岸さんが上げてくれた読書会の試し読み記事はこちらから
もっとも、自分のnote記事でこれまで上げてきた音楽本の読書会とはまた毛色は違います。とはいえ、年1回ペースで刊行している『ボクラ・ネクラ』では、これまでやってきた音楽本の読書会を経て、考えたりしてきたことを割と書いてきた部分がありまして、もしかしたら今回の自分の個人評論も、そうした面があるんじゃないかなと思ったりしているところです(もちろん上記の『現代ミステリとは何か』読書会で考えたりしたことは含んでいますが)。
前置き、というか言い訳が長くなりました。
今回の『ボクラ・ネクラ 第六集』に寄稿しました自分の文章の冒頭部分を以下に掲載いたします。
ざっくり内容を最初に述べると、香山哲・作の漫画『ベルリンうわの空』をミステリ的?に?読み解く?みたいな感じ、かもしれません。?のつく感じはぜひ、当日手に取って確かめてみていただけると大変幸甚です。
「そこに居なかっただけ」の日々を生きる―地下と星座と『うわの空』
OMSB(注1)が二〇二二年に発表した楽曲「大衆」では「仲間外れじゃなくて そこに居なかっただけ だろ?」とうたわれる。
筆者はこのリリックに救われるような思いがした。何故なら、たまたま「そこ」に居なかっただけのことを肯定出来るなら、私が「そこ」にいなかったとき、しかし、同時に別の場所にはいた、そのことをも一方でまた、肯定出来るはずだからだ。その「そこ」に居てはきっと出来なかったような何かを、あるいは、「そこ」で起こった出来事と本質的に同じである何かを、自分なりの「そこ」で、出来ていたはずだからだ。
「そこ」に居なかった私たちは、その時何をしていたか。各自で別の「そこ」を創り出すための、日々の営為であったかもしれない。それはある種身も蓋もない言い方をすれば「生活」になるだろうか。
*
「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである」という吉田健一の有名な一節がある。近年、この言葉に対しては世相の悪化と呼応するように、批判の声が上がった(注2)。個人で殻に閉じこもり、現状を追認する態度を表しているのではないか、という主旨だ。言葉の背景とその受容を見る限り、一側面としてそれは確実にあると言っていいだろう。私にとってのいま「そこ」にある「生活」の中に閉じるか。
私がたまたま、居られなかった「そこ」に拘泥し、むなしく手を伸ばし続けるか。その狭間で揺れ動いている。
*
ebookjapanでの連載を経て二〇二〇年の初頭にイースト・プレスから刊行された香山哲(注3)『ベルリンうわの空』は、続巻の『ベルリンうわの空ウンターグルンド』(同年)、最終巻の『ベルリンうわの空ランゲシュランゲ』(二〇二一年)の全三巻からなる。ドイツ・ベルリンに移住した漫画家「哲」が、そこで起こる出来事やすれ違う人などの様々を、虚実織り交ぜて描く。
序盤では哲個人の暮らしの断片やベルリンの生活システム、交通事情など、通常のエッセイ漫画の体裁を取る。行きつけのカフェで常連客と接点を持ってからは、人々との交流とそれを受けてモノローグで展開される哲の思考の巡りが中心となっていく。カフェで出会うのは「たぶんドイツ人」のロイド、コロンビア出身でライターのサラ、ウクライナ出身でデザイナーのスタン、クイズ作家で哲同様にドイツ語が不得手のセダ、など。
一方でこの一巻では、ある「謎」が展開を駆動する。第2話の時点で登場するそれは、街角で不意に出くわすシールに始まる。生活の中で目にする物を「ラベルやパッケージの文化も違って、面白いからよく撮り集めている」(注4)哲が、動物の絵と、その動物が食用とする肉や草などの絵、星のマーク、ある一桁の番号が刻まれたそのシールに関心を持ち、正体を調べようとする。行く先々で哲はシールを見つける。第4話では公園でハンモックに寝ころんだ時に。第8話では立ち寄った電話ボックスで。「少し低い位置に貼られているから、子どもが貼ったのでは」と推理し、シールを蚤の市で出会った子どもに見せてみるも、進展は得られない。
第12話「つまづき石」では印象的なシーンが描かれる。ベルリンに約八千個あるという「つまづき石」は、ナチスドイツ時代に強制連行を受けた人々が、その場所に住んでいたことを記録するおよそ一〇センチ四方の金色のプレート。ここには誕生年、連行された年や、人によっては職業などの記録、外国人の場合は出身国なども刻まれることがあるという。
(続きは新刊で! みなさまにお会いできることを楽しみにしております)
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