丹羽敬忠

NHK浜松、岡崎暮らしの学校、豊橋暮らしときめきアカデミーでそれぞれ歌舞伎講座を担当、…

丹羽敬忠

NHK浜松、岡崎暮らしの学校、豊橋暮らしときめきアカデミーでそれぞれ歌舞伎講座を担当、 中国大連大学大学院日本文化論非常勤講師、 歌舞伎学会会員、慶應義塾歌舞伎研究会三田会会員、 岡崎暮らしの学校では、オンライン講座も担当しています。

最近の記事

歌舞伎の楽しみ 〜衣装の色と柄〜 その1

歌舞伎の場面は、元来「絵」といえるほどその見た目を大事にしています。そのためには、まず役者の着る衣装が「一度着てみたい」と思わせるような人目を引く魅力的なものでなければなりません。 現に、江戸時代の女性たちは歌舞伎役者の着物の色や柄を目ざとく取り入れ、当時のファッションの最先端をいくことに敏感になっていました。 例えば、岩井半四郎がはやらせた「黄八丈」、また佐野川市松が考案したという「市松模様」の格子縞など、その数は多く見られます。 そんな歌舞伎役者の着た衣装の色や柄について

    • 歌舞伎の楽しみ 〜性念場、性根場〜

      普通、私ども、一般的に「正念場」という言葉をよく使います。 例えば、「この選挙で政権はいよいよ正念場を迎える」などといいます。 この場合、「最も重要な局面を迎えた」ことを意味し、これを「正念場」と言っているようです。 また、この「正念場」は「重要な場」という意味だけでなく、その重要な局面を迎える人にとって、「厳しくそれを乗り越えるためには相当の困難が予想される」という特徴があります。 つまり、本人にとって辛く厳しいが、避けて通ることは許されず、なんとしても直面しなければならな

      • 歌舞伎の楽しみ 〜実は、、〜

        「実は、、」は「やつし」の世界から始まります。 それが徐々に変身してゆき、時代世話の「もどり」となって黙阿弥の頃になると因果の糸に操られた世話物の「実は」になってゆきます。  順を追っていきましょう。 歌舞伎が華やかな江戸中期から後半になると、「実は」は「やつし」を指している意味になっています。 「やつし」というのは仮の姿のことで、本来の姿、元の姿をチラッと変えて見せる演出を言います。そこに「実は、、」の論理が入り込んでくるのです。  例を挙げましょう。 ご存知の「曽我物語

        • 歌舞伎の楽しみ 〜だんまり〜

          「だんまり」とは、古くからの歌舞伎の演出の一つで、暗闇の中で繰り広げられる無言劇の形態で、歌舞伎独特の演技の様式といえます。 場面は、主に山の中の古い神社などちょっと不気味な場所で、月明かりさえなく、一寸先も見えない暗闇の中にどこからともなくさまざまな役柄の人物が現れて、宝物などを奪い合うといった形式がお決まりのパターンになっています。 お互いに相手の着物や刀などに触れてはっと手を引っ込めたり、ぶつかりそうになって身をかがめたり、コミカルな仕草も含まれて手探りでゆっくりと動

        歌舞伎の楽しみ 〜衣装の色と柄〜 その1

          歌舞伎の楽しみ 〜お家の重宝〜

          歌舞伎にはお家騒動がテーマの演目がたくさんあります。 その原因となるのが代々その家に伝わってきた宝物が紛失したことによるものが多いようです。 大抵は武家や公家に伝わる大切な宝物が何者かに奪われ、主君は切腹、お家が断絶、その結果、跡継ぎの若君や忠義の家臣が町人に身をやつして宝物を探し家を再興するために苦労するという物語になっています。 大事な宝物が質入れされ、そのために大金が必要になって奪い合いの殺人事件、敵討や恋模様、身売りや貧苦などの艱難辛苦がてんこ盛りになっています。 最

          歌舞伎の楽しみ 〜お家の重宝〜

          歌舞伎の楽しみ 〜待て〜

              ストーリーの次なる展開、、 たとえば、 「青砥稿花紅錦絵」 おなじみの弁天小僧・浜松屋  まんまと百両をせしめたと弁天小僧と南郷力丸、帰ろうとするところへ、奥から現れた侍「ちょっと待ってくだされ」、低いが厳しい声が掛かります。 「鈴ヶ森」白井権八と幡随院長兵衛  群れかかってきた雲助相手に見事な太刀捌き、立回り、斬り殺し、追っ払った若衆姿の白井権八。悠然と立ち去ろうとした時、暗闇の中、駕籠の中からかかる一声。「お若えの、お待ちなせエやし」。びっくりした権八「待てと

          歌舞伎の楽しみ 〜待て〜

          歌舞伎の楽しみ 〜責め場〜

          「責め場」というのは文字通り、何らかの事情があって過酷な場所で責められる若い女性を描いた歌舞伎の場面を言います。 「責め場」がそのまま外題になっている演目は、、、   阿古屋の「琴責め」、中将姫の「雪責め」、「明烏」の「雪責め」 の三つだけです。 阿古屋の「琴責め」  平家の武将、景清の恋人五条坂の傾城阿古屋が堀川御所で源氏方の秩父庄司重忠と岩永左衛門に景清の行方を尋問される芝居です。 岩永は水責め火責めで自白させようとしますが、重忠は、琴、三味線、胡弓の三曲を弾かせ、音色

          歌舞伎の楽しみ 〜責め場〜

          歌舞伎の楽しみ 〜ゆすり場〜

          「ゆすり」は「強請」と書いています。 ご存知の「お富与三郎」の有名なセリフに「押しがり強請は習おうより 慣れた時代の源氏店、、」の、あの「ゆすり」です。 特に幕末頃の世話物ではお馴染みの言葉で、こういった場面はよく出てきます。 例を挙げてみましょう。  「弁天娘女男白浪」  弁天小僧と南郷力丸の浜松屋でのゆすり  「盲長屋梅加賀鳶」  質店、按摩熊鷹道玄とおさすりお兼のゆすり  「十六夜清心」    貸付所、鬼坊主清吉(清心)とおさよ(十六夜)のゆすり  「切られお富」   

          歌舞伎の楽しみ 〜ゆすり場〜

          歌舞伎の楽しみ 〜愁嘆場〜

          今回は歌舞伎の時代物によくある「愁嘆場」についてお話ししましょう、、、。 文字通り、この場は何かの事情があってとても悲しい涙なしでは見られない場面を指しています。 「泣き紙」という小道具をご存知でしょうか? 20㎝くらいの四角に折畳んだ紙のことで、女方が泣く時、目頭の涙をソッと抑えるときに使うものです。 「泣き紙」を使うのは時代物の、しかも、年配の女性に限られています。世話物の女性は襦袢の袖で泣きます。若い娘やお姫様は時代物でも世話物でも袖とか袂を使います。つまり、「泣き紙

          歌舞伎の楽しみ 〜愁嘆場〜

          歌舞伎の楽しみ 〜「愛想づかし」、「縁切り」〜

          歌舞伎によくあるパターンが  見染め → 通い → 愛想づかし → 殺し  があります。 特に、世話物の花魁、芸者によくある演目です。 深い仲だった男と女が事情があって縁を切る、、、。 その場合、 ① 縁を切るのはたいてい女性の方から ② その動機は止むに止まれぬ義理詰であることが多い ③ 大抵それが満座の中で行われる ④ 男は女の事情に気づく余裕もなく、恥辱と受け止め後に「殺し」になる ⑤ 「縁切り」の場がドラマの中で最大の見せ場になる  主な人気の演目では、 「御所五郎

          歌舞伎の楽しみ 〜「愛想づかし」、「縁切り」〜

          歌舞伎の楽しみ 〜茶屋場、廓場〜

          歌舞伎で「喧嘩場」といえば「忠臣蔵・三段目」の塩谷判官刃傷の場、「茶屋場」といえば、これも「忠臣蔵・七段目」です。 この七段目の一力茶屋の場から「茶屋場」という言葉が生まれてきました。 大石内蔵助が祇園の一力茶屋で遊んだという実説に基づいた場面ですが、歌舞伎の本質が本来は、遊郭の男女の色模様を描く演劇だったという伝説によっています。 歌舞伎が「廓の遊女買を主題に成り立っている」ことはご存知の通りです。 歌舞伎の持つ遊びの精神は、男が女を買う、その遊びの男女のゲームの中にあった

          歌舞伎の楽しみ 〜茶屋場、廓場〜

          歌舞伎の楽しみ 〜「身替り」と「首実検」〜

          身替りになった人間は生まれ変わって貴い人間になる、、 歌舞伎では多くの演目に「身替り」という筋が見られます。 貴種の身替りに我が子を殺す、「熊谷次郎直実」や 「寺子屋の松王丸」また 「弁慶上使の弁慶」それに「鮓屋のいがみの権太」 全てそれに合致します。 こうした「身替り」の趣向がある演目は、いずれも義太夫狂言の、それも時代物に限られています。 身替りのルーツは古くからあるようです。 寺子屋での松王丸の源蔵に対するセリフに、 「身替りのにせ首、それも食べぬ。古手なことして後悔す

          歌舞伎の楽しみ 〜「身替り」と「首実検」〜

          嗚呼 三代目市川猿之助

          三代目市川猿之助が逝ってしまった。 私に取っては二代目猿翁という名前はそぐわない、やっぱり、三代目猿之助 というより團子の方が似つかわしい。 はるか50年あまり前、私が三田の学生だった頃、彼も同じ三田の学生だった。彼は国文科、私は学部は違っていても同期だった。 当時は学部が違っても、教師の許可さえ貰えば他学部の授業を取ることができた。単位にはならない「自由科目」という位置付けだった。 戸板康二さんの「演劇論」や池田弥三郎さん「源氏物語」の講義を同じ教室で受ける僥倖に浴していた

          嗚呼 三代目市川猿之助

          歌舞伎の楽しみ 〜桟敷(さじき)〜

          さあ、くぐり戸を通って小屋の中に入っていきましょう。 一般に、日本の劇場では「桟敷」を上級の観客席のことをいいます。 古代の祭祀では神招(かみおぎ)の場とされた「さずき」(仮床)が、平安時代には貴族の祭見物のために仮設される見物席のことを言いました。 中世には神事や勧進の猿楽、田楽などの興行で設置された高級な観覧席の名として定着しました。 歌舞伎や人形浄瑠璃の劇場もこれを継承して桟敷席を設けるようになりました。初期には、三尺高一層式で、下は吹抜けでしたが、元禄時代には二層式

          歌舞伎の楽しみ 〜桟敷(さじき)〜

          歌舞伎の楽しみ 〜歌舞伎小屋の木戸〜

          四国琴平町の金比羅歌舞伎の金丸座をご存知でしょうか? 日本でも有数の古い芝居小屋で、今でも毎年4月には大歌舞伎が興行されています。もっともこの3〜4年、コロナ禍の影響で中止になりましたが、、、。 ここには古い以前からの歌舞伎の劇場(小屋)の機構が残っています。その一つが入口の「木戸」です。 「木戸」というのは、言うまでもなく、劇場(小屋)の表側の入口です。以前から、この木戸から劇場に入るときには「木戸をくぐる」と言ってました。 という事は、昔の芝居小屋の木戸は「くぐらなければ

          歌舞伎の楽しみ 〜歌舞伎小屋の木戸〜

          歌舞伎の楽しみ 〜居どころ〜

          舞台の「上手」、「下手」に関連して、、、 例えば、花道を登場した人物が、いつものところ(やや下手寄りにある)の木戸口を入って屋敷とか家に入って来ます。主人がこれを迎え「いざまずあれへ」と招き入れる時、その場所は必ず上手です。 もっと具体的に例示してみましょう。  二重の上(カミ)、この家の奥方が上手に座って部下の腰元などと話をしてい  る。主人の帰宅の知らせを聞くと立ち上がって下手に座を移す。帰った主人は  すぐ二重に上がり、上手に座る。「奥方ー腰元」だった「上手ー下手」が、

          歌舞伎の楽しみ 〜居どころ〜