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歌舞伎の楽しみ 〜「赤姫」の赤〜

歌舞伎の世界で赤色は 「黒」と「浅葱色」と並んで最もポピュラーな色です。
そのわけは、、、
①  荒事の主人公の化粧の隈取が悪人役の青い隈(藍隈)に対する赤い隈(紅隈)で
 あることです。
②  赤の隈取は、強さ、激しさ、若さ、正義、勇気を表し、血や火焔を連想させる
 燃える色でもあるのです。
③  ですから、勇気ある若者の憤怒の表現を端的に表現する際に使われます。
④  初代市川團十郎が14歳の時、初舞台で紅と墨で顔を隈取り、全身を真っ赤に塗
 って登場し、荒くれ者たちを相手に大立ち回りを演じた話にもつながります。
 赤は呪術的な超人力を秘めた色で、魔を除く効用もあると信じられていまし
 た。
⑤  時代物の敵役や敵役の若衆で、顔全体を赤く塗って登場する役があります。
 「赤っ面」といいます。これは江戸荒事とは別に成立したもので、短気、怒
 りを様式的に表しています。
⑥  敵役に限らず、単純で無邪気な勇気を象徴する役にも使うことはあります。
⑦  時代物の様式性の強い、濃い赤い衣装を着たお姫様、これがこのセクションの
 テーマとなる「赤姫」です。
⑧  ほかにも、「助六」の舞台で赤い格子や緋毛氈、長唄お囃子連の雛壇、消幕や
 段幕、遊女の書く文の紙の「天紅」の醸し出す色気も赤に通じます。

左は「国性爺合戦」の和藤内の紅隈と鋲打の赤い胴丸の衣裳。 右は「暫」の単純で無邪気な敵役の「赤っ面」に「腹出し」で、お腹にも紅を彩っています。

さて、「赤」という色は、普通は、純粋、純情、可憐さを表す色ですが、激情(情熱の激しさ)、燃える赤い炎のような愛の強さを表現することもあります。
ただ「赤」といっても赤系統の色の種類は多彩で呼び名もいろいろです。
代表的なものを紹介しましょう。
 紅(くれない)    べに花染による鮮やかな紅赤色で、江戸時代中期、最上川流域
    が産地で、べに花の花弁を摘み取り、京へ運ばれて染料や口紅などに利
    用しました。
 茜色   藍と並んで最古の植物染料で、つる草の細いひげ根を煎じ、その汁
    が染料に用いられました。万葉集の額田王は「茜さす 紫野行き標野行
    き、、、」と詠んでいます。
 緋色   茜染めで最も鮮やかな黄赤色。天平時代から僧侶の袈裟の色として
    紫に次ぐ高位を表していました。平安期には女官の袴に使っています。
 朱色   天然の硫化水銀の鉱物を原料にする黄赤顔料です。
 今様色  今様とは当世風という意味で平安時代に流行った紅赤染の色です。
 牡丹色  牡丹の花にような鮮やかな赤紫色で、よく似た色躑躅(つつじ)色が
     あります。

ところで、赤のよく似合う「赤姫」、その形(なり)は、、
① 緋りんずか緋ちりめんに、金糸銀糸の縫い取りをした華やかな振袖
②   打掛も同じ色、帯は振り下げ帯
③ 吹輪(ふきわ)の鬘にびらびら簪(かんざし)
文字通り赤のよく似合うお姫さまで、本来は純情可憐を象徴しているんですが、中に主役を演じる姫君の中には、愛や恋に命懸けの積極性を持って情熱的で赤い衣裳に似合う若さと美貌、品位、優雅さに加えて内に秘めた激情を持つお姫様もおられます。

これら激しい情熱を持つキャラクターの姫君は、従来の姫君とはいささか異なります。

ビラビラ簪に吹輪の鬘

従来から見られる当たり前のお姫様を見てみましょう。
こう言った姫君は、ある時まで、舞台では豪華な金魚のランチュウのように、黙って座っているだけで、なんの仕草もなく仕事もありませんでした。
 例 「鏡山旧錦絵」   大姫
   「御所桜堀河夜討・弁慶上使」 郷の君   などなど
筋の進行に対して影響のない、ただ舞台正面に座っているだけの役なのです。
黙って座って何もしないから、多分しびれも切れるだろうということから、俗にこれを「しびれ姫」といってました。役の名前が覚えられるほど印象的な行動もせず、必要がなくなると奥へ引っ込んでしまう、邪魔なのです。また「いやじゃ、いやじゃ」というだけのお姫様もいて、「いやじゃ姫」とも揶揄されていました。
ところがちょっと違ったお姫様もおられます。
「鳴神」雲絶間姫 これは以前からのお姫様役ではなく、上方歌舞伎の濡れ事、
   口説、全てが傾城の演技といって良いといわれています。
「毛抜」ひめ君 髪が逆立つという奇病で恥ずかしいので、普段は被衣を被って
   います。実は天井に悪人が磁石を置いてそれが簪の櫛を引っ張る仕掛けが
   あって本当の病気ではないのです。
「桜姫東文章」桜姫 公家のお姫様がやがて転落の末、売春婦になるという、
   奇想天外なシチュエーションが展開する痛快な物語です。
「白浪五人男」千寿姫 錦絵仕立ての趣向で、古い歌舞伎の習慣には叛逆できな
   い人でした。

次に登場する丸本歌舞伎のお姫さまは、、、血の通った魂を吹き込まれたお姫さまとして登場します。つまりは、積極的に自分の意思、自分の持つ情熱、場合には肉欲を主張する「女」が浄瑠璃作家によって創造されるのです。
三姫と呼ばれるお姫さまがいます。
  「本朝廿四孝」      八重垣姫
  「鎌倉三代記」      時姫
  「祇園祭礼信仰記・金閣寺」雪姫
無性格だった赤姫を、人間らしくしようとする流れが時代と共に出て来たのです。
先に「三姫」という言葉を書きましたが、いま多く上演されている有名なお姫さまのうち、最も難しい三人のお姫さまの役を「三姫」と呼んでいます。
その姫君たちは、江戸の庶民と同じように恋をします。

「鎌倉三代記」の時姫は、、、
北条時政の娘という設定ですが、実は、時政は徳川家康、時姫は千姫で、大坂夏の陣、冬の陣の事件を鎌倉を背景に描いたもので、観客にとっては手の届かない存在でした。それでも、「短い夏のひと夜さに 忠義に欠くることもあるまい」と男に抱きついたりするのです。
彼女は許嫁の三浦之助(木村重成)から敵対している実父時政(家康)を殺すことを命じられ、とうとう、恋のため父親を討つことを決意するのです。
時姫は気品を備え、しかも恋しい男のためなら親を捨て、殺そうとさえする情熱もあるんです。一方、肩たすきで姉さん被りで世話場も見せます。
古風なうちでも自らの生き方に近代性を持ち合わせており、丸本歌舞伎の女性としては珍しく生き生きしています。

時姫は赤綸子の振袖です。金糸銀糸の刺繍で四季折々の花霞や雲が描かれています。
高貴な女性の着る赤は「緋色」という特殊な色です。

「金閣寺」の雪姫は、、、
三姫のうち、雪姫だけがひわ色(淡紅色)の着付けで出ることが多いようです。

雪姫は悪臣の松永大膳に捕えられ、自分に従わなければ雪姫の夫の直信を殺すと脅迫されています。
姫は、大膳の持っている宝剣から、父親の狩野雪村の仇と知って討とうとしますが簡単に捕らえられ桜の樹に繋がれてしまいます。
彼女は、この時祖父の雪舟の名画に因んだ奇跡を思い出し、桜の樹に縛られたまま足の爪先で花びらを集めて鼠を描くと、絵の中の白鼠が動き出し戒めの縄を食いちぎってしまうのです。
この場面が演目の一番の見せ場「つま先鼠」で、雪姫の一人舞台です。

八重垣姫は、
まだ16歳。時姫や雪姫のように男を知りません。長尾(上杉)謙信の一人娘で大大名の深窓に育った文字通りのお姫さまです。

政略結婚で謙信と対立する武田信玄の一人息子の勝頼と許嫁ですが顔も知らないし会ったこともありません。その勝頼が死んだと聞いて画像を描かせ、十種香を焚いて回向します。
恋に恋する一途な思いは、花づくりに身をやつして謙信館に入り込んだ蓑作(実は死んだと伝えられていた本物の勝頼)に思いの丈を切々と口説くのです。
とうとう本人であることが分かるのですが、父謙信はそれと知って塩尻に遣いを命じ、その後勝頼を討つため討手を差し向かわせます。
それを知った八重垣姫は恋人の危難を救うため、裏庭にある重宝の諏訪法性の兜に祈ります。するとその兜に宿る狐の霊力が姫に乗り移り、姫は冬の極寒の凍った諏訪湖を飛び渡っていきます。


こういった高貴な姫君に対して作者たちは、彼女らを観客、庶民のレベルまで価値観、感情を引きずり下ろす作為があるんです。作者や観客にとって高貴な者、強い者ほど引き摺り下ろしが甲斐があるんです。
八重垣姫も、時姫も、雪姫もその条件に適っています。
一般に恋する娘はそれを成就するためなら親を顧みません。その上、その親まで討とうとするのが百姓、町人また武士の娘でもない、身分の高いお姫さまなのです。このように、観客に好奇な目にさらされ、それを乗り越えて行く力が「赤」という色に込められているのです。
姫の高貴さとそれに付随して持つ煩悩ともいうべき恋慕、それを貫き通す強い意志、そのプロセスを演じるのが「赤姫」という役でもあるのです。
 特に八重垣姫の激情には凄さすら感じます。
死んだと聞いて姫は十種香を焚きながらまだ見ぬ勝頼の画像にむかってのセリフは「見れば見るほど美しい、こんな殿御と添臥の、、」といったり、その後蓑作実は本物の勝頼が現れると、一旦は拒否されるのだが腰元の濡衣に大胆な言葉で仲立ちを頼む箇所もあります。
「どうぞ今からみずからを かわいがってたもるように」
「殿御に惚れたということが 嘘偽りにいわりょうか」
と本心をぶちまけて生々しい言葉を吐いています。

ところで、同じ赤でも、
「伽羅先代萩」の男まさりの烈女、政岡も真紅の着物です。この演目に見られる政岡の着物が真紅であることの意味は、、、お家乗っ取りを図る悪人から幼い若君を守る一人の芯の強い女性であると同時に、千松という我が子を持つ母親という立場を超えて、果たさなければならない忠義、その激しいまでの信念と忠誠心、女の強さをそのまま表したのが、この真紅であるのです。

政岡の打掛と部屋着

政岡は烈女の典型と言われています。
一般に、忠義は封建制度のもとでの男性のことに武士の生きる原理でもあります。当然ながら、侍が主君に忠誠を尽くすために我が子を犠牲にする話は非常に多く見られます。
それが男性でなく、女性の身で見事に体現したのが政岡なのです。そんなことから、彼女を「男まさりの忠臣」とも「烈女の鑑」といって称賛されています。
その政岡が着用しているのが、彼女の心根を映している真紅の部屋着なのです。


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