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歌舞伎の楽しみ 〜衣装の色と柄〜 その1

歌舞伎の場面は、元来「絵」といえるほどその見た目を大事にしています。そのためには、まず役者の着る衣装が「一度着てみたい」と思わせるような人目を引く魅力的なものでなければなりません。
現に、江戸時代の女性たちは歌舞伎役者の着物の色や柄を目ざとく取り入れ、当時のファッションの最先端をいくことに敏感になっていました。
例えば、岩井半四郎がはやらせた「黄八丈」、また佐野川市松が考案したという「市松模様」の格子縞など、その数は多く見られます。
そんな歌舞伎役者の着た衣装の色や柄について見てみましょう。

まず「黒」です。
歌舞伎役者の着る「黒」の衣裳の地は「羽二重」が多いようです。本来は絹織物の布地を言いますが、適当に艶もあって見た目もいいし、着やすいということから重宝されていたようです。
この「黒羽二重」が歌舞伎の立役(男役)の衣装として使われることが多いようです。
その代表的なものの第一は「仮名手本忠臣蔵・五段目 山崎街道」に登場する、山賊の斧定九郎の着ている黒羽二重でしょう。

定九郎の着ている黒羽二重

定九郎は殿様の塩冶判官の家老だった斧九太夫の息子です。その主君が高師直のいじめにあい、とうとう殿中松の間で刃傷に及んでしまいます。そのため、塩冶判官は切腹を申しつけられ、お家は断絶になって、結果、家臣は浪人に落ちぶれてしまいます。定九郎も親子共々禄を離れ、定九郎は挙げ句の果て、親からは勘当され山賊にまで落ちぶれてしまいます。そして京都郊外山崎あたりで通行人を脅したり、騙したり、傷つけたり、殺したりの日常を送っています。
この定九郎の着ている衣装が舞台では「黒羽二重の紋付」なんです。

どうして山賊の衣装が「黒羽二重の紋付」なんでしょう?
もともと、古い歌舞伎の舞台での定九郎の衣装は、、、大盗賊の典型的な凄みのある役が着用している、百日鬘、山岡頭巾、夜具縞のどてら、五枚重ねの草履という山賊の扮装でした。そして、この定九郎役は、端っぱのチョイ役役者のやる役でした。その役を、ある時、名題役者である中村仲蔵のところに回ってきたのです。一念発起した仲蔵がここで工夫することになります

定九郎の扮装ビフォー、アフター


よく知られた逸話ですが、これを仲蔵が工夫して主役級の役者がやって喝采を浴びるような役(儲け役といいます)に工夫したのです。
曰く、黒羽二重の紋付の着付け、白献上の帯、朱鞘の大小、顔も手足も白塗り、という家柄のいい侍が落ちぶれた、なりの果ての姿に変えてしまったのです。
このエピソードは落語にも出てきますのでご承知の向きもあるでしょう。
 仲蔵は初日が近くなっても中々妙案が浮かばない。信心を重ね、妙見さまへ日参した最後の日、夕立に出会い、傍の蕎麦屋へ駆け込んでいた時、同じく雨を避けた一人の浪人姿の侍が入ってきます。
その時の浪人の姿、、、。
破れた蛇目傘、黒羽二重のひとえ物、腕まくり、裾をからげて小倉の茶帯、朱鞘の大小、雪駄を腰に挟み、五分月代で雨の滴が落ちて、濡れた袂や袖を絞っている、、。 「これだ!」思いついたまま、舞台で再現した仲蔵だったんです。
これとは別の話もあります。
 三代目仲蔵の著書「手前味噌」にはこんな記述があります。
四代目市川團十郎は、息子の五代目團十郎や弟子、親しい役者を集めて「修行講」という研究会をやっていた時、たまたま、「忠臣蔵」の定九郎の演出の話題が出たといいます。その時、五代目が先に書いたような扮装の提案をした時、四代目は「さは、せぬものなり、それは『生写』というものなり」と一蹴したといいます。五代目の提案は、あまりにもリアルすぎる、團十郎家の「荒事」芸とは相容れないと言ったのです。
これを聞いていた仲蔵は許しを得て、自分が演じるときにそっくりそれを取り入れたということです。
「生写」は「しょううつし」と読みます。江戸時代の小説のリアリズムの事を言います。今の言葉なら、さしずめ「実録」とでもいう意味でしょう。

ところで、歌舞伎でいう「黒」という色は、衣裳とは別に「無」とか「夜」をも象徴しています。
加えて、衣裳にした場合には「悪」というイメージが強い色になります。
 例  「仮名手本忠臣蔵・大序」  高師直
    「舞踊劇・積恋雪関扉」   大伴黒主
しかし、
黒羽二重でスッキリ決めたダンディーな男たちも歌舞伎には出てきます。
若さと色気が滲んだ美男の色気や愛嬌を現して、黒羽二重の下には緋縮緬か浅葱色の襦袢を着ています。
 例  「助六由縁江戸桜」     助六
    「仮名手本忠臣蔵・落人」  早野勘平
    「義経千本桜・吉野山道行」 狐忠信

忠臣蔵・大序  高師直


舞踊劇・関の扉 大伴黒主


助六由縁江戸桜の助六
忠臣蔵・お軽勘平の道行 落人


義経千本桜・吉野山道行の狐忠信

こうして見ると、歌舞伎ではいろんなジャンルの役柄に黒の衣裳が使われていることが分かります。

さて、歌舞伎で「色」という言葉を使うとき、ほかにも使い方があります。
例えば、「好色」または「色事」の「色」で、「色気」「色っぽい」などと使います。「色事師」という言葉もあります。通常は、「二枚目の男で金と力はないけど心素直な善人」です、、、
ところが、
色ごとには無縁の、見るからに憎々しい「悪役」といわれる「敵役」つまり、「実悪」という役柄が歌舞伎には出てくるようになります。
元来、「色」と「悪」は両極端の概念ですが、この二つの性格は全て人間が内に持っている密かな欲望でもあるのです。観客は江戸時代も幕末近くなると、そういう人物の行為に共感、喝采を感じるようになって「色」と「悪」の合体が実現するようになります。享保の頃の江戸歌舞伎で、「色めかしい悪人」「美男子の敵役」の登場です。
こういった人物たちが「色悪という役柄を形成して、女出入りの激しい美男子の悪人というキャラクターになるのです。
 例 「東海道四谷怪談」       民谷伊右衛門
   「舞踊劇・色彩間苅豆 かさね」 与右衛門
冷酷で悪事を働く事を何とも思っていないような男の役柄で、浪人者の凄みのある、悪の妖しい色気が感じられるという雰囲気です。
彼らは、決まって「黒羽二重の紋付」を着流しに顔は白塗りで、「悪が一層引き立っています。

「東海道四谷怪談・隠亡堀」での民谷伊右衛門
「舞踊劇・かさね」の与右衛門

「黒」の他にも、ハンサム男、二枚目によく似合って映える色があります。
次回にお話ししましょう、、、。

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