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歌舞伎の楽しみ 〜お家の重宝〜

歌舞伎にはお家騒動がテーマの演目がたくさんあります。
その原因となるのが代々その家に伝わってきた宝物が紛失したことによるものが多いようです。
大抵は武家や公家に伝わる大切な宝物が何者かに奪われ、主君は切腹、お家が断絶、その結果、跡継ぎの若君や忠義の家臣が町人に身をやつして宝物を探し家を再興するために苦労するという物語になっています。
大事な宝物が質入れされ、そのために大金が必要になって奪い合いの殺人事件、敵討や恋模様、身売りや貧苦などの艱難辛苦がてんこ盛りになっています。
最後にお宝が取り戻され、めでたくお家再興が叶いハッピーエンドになるというパターンが多く見られます。
そもそも、戦国時代の武家社会では、家来の軍功に報いる褒賞として主君からは地位や領土が与えられるケースが見られますが、それに付随して高価な茶器なども贈られたようです。それを賜った家では宝物として代々伝えて、もしそれが盗賊に奪われたりして紛失すれば大変なことになるわけです。

歌舞伎の中で一番多い宝物はなんといっても刀剣です。
戦争のなくなった江戸時代、当時の武家社会では、古来からの名刀が恩賞のほか、献上品、贈答品として扱われ、大名内では競って古くからの名刀を集めたといいます。そういった古来からの名刀はかつて朝廷に反抗した部族を退治したとか、源氏や平家の宝刀、あるいは足利将軍や太閤秀吉が所持していたとか様々なエピソードがついて回っています。
それが宝物の必要条件でもあります。

曽我の世界に目を転じて見る時、「助六由縁江戸桜」の花川戸助六、実は曽我五郎 「寿曽我対面」の曽我五郎・十郎、いずれも、親の仇という目的のために、芝居の中味は「友切丸」という名刀を探すことにもあるようです。

友切丸を探す兄弟に対する工藤祐経

歌舞伎で注目度随一の重宝が源氏に伝わる「友切丸」です。
「曽我の対面」では、曽我兄弟の義父曽我祐信が紛失したこの名刀を、家臣の鬼王新左衛門が苦心して探し出し、結末には兄弟が晴れて親の仇を討ち倒すことになります。

さらに、
 「伊勢音頭恋寝刃」   名刀青江下坂とその折紙
 「三人吉三」      名刀「庚申丸」と百両の金
 「妹背山婦女庭訓」   三種の神器のうち「十握の剣」
     「新版歌祭文」     吉光の守り刀
    などがよく知られていますが、まだまだあるようです。
 その辺りを探ってみましょう。

青江下坂

伊勢音頭恋寝刃の一場面

メンツを潰された上、名刀をすり替えられたと思い込んだ主人公の福岡貢が大勢の人を斬り殺す妖刀が「青江下坂」です。伊勢音頭を踊る人の群れを脅かし、自分を騙した者だけでなく、居合わせた人たちを衝動的に斬りつけてゆく、、、
まるで刀が勝手に動くようでもあります。
これは越前の刀工が作る葵下坂(あおいしもさか)のことをいうらしいです。徳川家の紋の「葵」からその名が許された名工への遠慮から、芝居では文字を「青江下坂」にしたとの説もあります。「青江物」と呼ばれる備中の刀もあるようですが、下坂と続かないようです。

天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ) (草薙剣)

ヤマトタケルの一場面

スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」では東征に向かうヤマトタケルが、伊勢の斎宮である叔母の倭姫(やまとひめ)から天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を授けられます。 敵の火攻めにあったタケルがこの剣で草をなぎ切って逆に火を放ち、敵を倒す場面があります。
タケルが勝利してこれを「草薙(くさなぎ)の剣」と名を変え、尾張のみやず姫にこれを預けたまま伊吹山の戦いの傷が元で落命してしまいます。
この「草薙の剣」を祀るために建てられたのが名古屋の熱田神宮で、今でもこの剣は祀られています。

妖刀・村正

籠釣瓶花街酔醒の一場面

それを手にする人の心を狂わせる妖しい力を秘めた刀を妖刀と呼び、これは人を傷つけるお宝です。
「籠釣瓶花街酔醒」では恨みを抱いた主人公が手にすると、自分の意思に関係なく刀に魅入られたように、次々と多くの人を手に掛けてしまいます。これが「籠釣瓶(かごつるべ)」と銘のある村正の刀です。
刀を手に持つと人が変わるのは、手にした人に罪はないというイメージがあって、派手な殺し場が魅力ある場面として受け入れられやすいとも言えます。
伊勢の名工村正の刀は妖刀として芝居にはよく登場します。
江戸幕府はこの刀を嫌ったといいます。徳川家康の祖父や父そして長男信康が斬られた刀が村正だったというのが原因とのことです。
新歌舞伎の中にも刀を巡る演目があって、森鴎外の小説を戯曲化した「ぢいさんばあさん」の主人公は、借金をしてまで求めた刀で悲劇を起こすのです。

話を戻しますが、「籠釣瓶」という村正の妖刀の「籠釣瓶」とは「水もたまらぬ」という意味で、切れ味の良さを褒めたあだ名です。
なぜこの刀が佐野の絹商人の次郎左衛門に渡ったのか、ドラマの中に書かれています。
ある時、佐野次郎左衛門が商用で江戸から帰る途中でならず者に脅迫されているのを、都築武助という侍に助けられます。そんな縁から武助はしばらく次郎左衛門の家に逗留します。ところが武助はある時病気になってしまい、その後、恨みを持つ悪人に殺されてしまいます。
武助は殺される前、世話になった礼として持っていた村正の刀を贈りました。
四幕目「佐野宅筐送りの場」です。 
武助のセリフで刀のいわれがあります。
「この刀は父武兵衛が、末期の際に譲り受けたる筐の一腰、都築の家は本田家の譜代の家臣というにはあらず、以前は江州佐和山にて滅亡なせし石田の家臣、、、されば、ご当家禁制の村正を所持なしおれど、幸にして無銘にて水ももらさず斬れるという謂れを以て「籠釣瓶」と名付けたる家重代、、、、昨年よりのご介抱のお礼の印に次郎左衛門殿へお譲り申せば、筐(かたみ)と思い守りとして一生抜かずに秘蔵なせば、その身に祟りはいささか御座らぬ。
さりながら、ことに及んで抜く時は、必ずその身に過ちあって、血を見ぬうちは収まらぬ業物なりと心得て粗相なきよういたされよ」 と言っております。
これが、後日「吉原百人斬り」の悲劇を生むことになるのです。

書画骨董・調度品

番町皿屋敷の一場面

刀以外にも書画骨董、調度品などのお宝は歌舞伎には登場します。
ことに、和紙や絹で描かれた書画は騒動の種になりやすいです。掛軸などで鑑賞したり保管されていることが多いこれらは、保管にはコンパクトに巻いて桐箱に収めるのが普通なので外見から中味は判りにくく、悪人からは中味をすり替えられたり抜かれたりする場合が多いのです。香炉や茶道具など、箱入りの道具類もすり替わられ易いです。
「番町皿屋敷」では、腰元お菊が、主人の青山播磨の心を試すため、家重代の高麗焼の皿をわざと割ってしまいます。ここでは、宝物より大切なのは心という明治以降の新歌舞伎らしい視点が見られます。

朝日の弥陀の尊像

加賀見山再岩藤の一場面

「鏡山旧錦絵」では、大姫から預かった尊像のことで中老尾上は、奸計にはまって自害、悪人一味の局岩藤に尊像を奪われますが、忠義の召使のお初の働きで取り戻されるという筋です。
後日談の「加賀見山再岩藤」では、岩藤の亡霊が蘇って再び悪事を働こうとしますが、この尊像を突きつけられて退散します。
この尊像は大姫に許婚の義高(木曾義仲の嫡子)から贈られたもので、史実では義高は大姫と共に暮らしていましたが、義仲の死後、頼朝の配下に殺されてしまいます。

胡蝶の香合

青砥藤綱の手にあるのが胡蝶の香合

河竹黙阿弥の「青砥稿花紅彩画」(白浪五人男)に登場します。
香合とは漆器や陶器のお香の容れ物のことです。
盗人の弁天小僧が信田小太郎になりすまして小太郎の許婚の千寿姫を騙して奪い取るのがこの胡蝶の香合です。
弁天小僧は、追手に囲まれ、極楽寺山門の屋根で立場腹を切って死ぬ時、懐から滑川へ落としてしまいますが、大詰で青砥藤綱によって拾い上げられるという結末になります。

ことわりやの短冊

粂寺弾正の持つことわりやの短冊

歌人小野小町が詠んだという名歌「理(ことわり)や 日の本ならば照りもせめ
さりとてはまた天の下とは」と書かれた短冊です。
「雷神不動北山桜」は、鳴神上人が引き起こした日照りによって天下を騒がせる話で、歌舞伎十八番の「鳴神」「毛抜」として上演される演目です。
雨乞いの効力があるこの短冊が必要になっているけれども、預かっていた小野家の腰元が何者かに殺されて短冊が奪われてしまいます。しかし、「毛抜」に登場する主人公粂寺弾正の名推理で、悪人が持っていた短冊は無事に戻ることになります。

諏訪法性(すわほっしょう)の兜

八重垣姫の持つ諏訪法性の兜

「本朝廿四孝」信玄館・奥庭狐火の段。
ここに登場するのが武田信玄秘蔵の兜です。長尾(上杉)謙信に所望されて預けたまま兜を返そうとしないことから、信玄は息子の武田勝頼を花づくりに身をやつさせて奪い返そうとしています。謙信の娘八重垣姫は勝頼の許婚でまだ相見ぬままながら、勝頼を思いこがれているのです。
館に入り込んだ勝頼の存在を知った謙信は、塩尻に使いを言いつけ途中で暗殺しようとします、、、。恋人の危機を察した八重垣姫は、法性の兜に祈り、彼を助けることを願います、そしてその結果、兜に宿る狐の霊力で勝頼のもとに飛んでゆくのです。
兜は今でもそのレプリカが諏訪湖博物館に保管されています。

虎の巻

鬼一法眼三略巻の錦絵

中国の太公望の書いたと伝わっている軍法の奥義書「六韜(りくとう)・・・(文韜、武韜、龍韜、虎韜、豹韜、犬韜)」のうち、虎韜の章を指しています。「韜」というのは弓矢を入れる袋のことです。
黄石公(こうせきこう)が書いたと伝わる軍法書「三略」とセットにして「六韜三略(りくとうさんりゃく)」と呼ばれています。
「虎の巻」は「秘伝のマニュアル」という意味で、今でも使われている言葉です。
人形浄瑠璃から移入された歌舞伎「鬼一法眼三略巻」では、軍法家の鬼一法眼が牛若丸(源義経)に「虎の巻」を伝えています。

初音の鼓

静御前と初音の鼓

これはご存知「義経千本桜」に登場する、千年長生きした雌雄の狐の皮で拵えた鼓です。
宮中の重宝だったものを平家討伐の功があった義経に、後白河法皇から下賜されます。これには「鼓を打て」が「頼朝を打て」の謎が隠されていました。義経は、欲しかった鼓だが、その内意を感じ、鼓は打たなければいいと考え拝受します。しかし、それが一因となって都落ちをすることになり、鼓は愛妾の静御前に預けられます。
ところが、鼓の皮にされた狐には子が居て、その子狐が佐藤忠信に化けて鼓を慕って追いかけることになります。

鯉魚の一軸

法界坊(隅田川続俤)の一場面

これは歌舞伎の隅田川に因んだ演目を集めた「隅田川物」に登場する、鯉の滝登りの様を描いた掛軸です。近松門左衛門が書いた「雙生隅田川(ふたごすみだがわ)」では、漢の武帝が描いたと説明されています。
鯉には眼が描かれておらず、眼を描くと鯉が絵から抜け出して池に躍り込んで暴れるという言い伝えがあり、京都の公家吉田家は、この一軸を紛失してお家が断絶になってしまいます。
「隅田川続俤〜法界坊〜」では、吉田家の嫡子が道具屋の手代に身をやつして、やっとの思いで一軸を手にしますが、箱の入れられたこの一軸が、悪者に、愚にもつかない偽物とすりかえらてしまいます。

他にも、重宝と呼ばれるお家の宝物は、特に幕末の世話物の演目にしばしば登場しています。例えば、
 瀬川如皐  「与話情浮名横櫛(お富与三郎)」 千葉家の重宝「真鶴の香炉」
 鶴屋南北  「桜姫東文章」 「忍草の香箱」と「都鳥の一軸」
 河竹黙阿弥 「三人吉三」  「名刀・庚申丸」
              などです。
しかし、江戸末期のこうした世話物は、いつのまにか「お家の重宝」は脇に追いやれれてしまい、それに付随していた幕末特有の刺激的な見せ場の場面が氾濫してこれが多くの観客の喝采を浴びて喜ばれるようになってしまうのです。

ところで、「重宝の奪い合い」という筋で、必ず出てくるのが歌舞伎独特の演出の「だんまり」です。
だんまりの宝物は、暗闇の中で大勢の人物が登場し、手探りで大事な宝物を奪い合い、その過程で人物関係が浮かび上がってくるという舞台です。
「だんまり」には文字通りセリフがなく、争う人の手から手へお宝が渡る動きが見どころで、まさに、宝物が必須のアイテムになっています。

「だんまり」については、また後ほど詳しくお話しします。

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