歌舞伎の楽しみ 〜待て〜

    ストーリーの次なる展開、、


弁天小僧の錦絵

たとえば、
「青砥稿花紅錦絵」 おなじみの弁天小僧・浜松屋
 まんまと百両をせしめたと弁天小僧と南郷力丸、帰ろうとするところへ、奥から現れた侍「ちょっと待ってくだされ」、低いが厳しい声が掛かります。

帰ろうとした途端「待て」と声が掛かる

「鈴ヶ森」白井権八と幡随院長兵衛
 群れかかってきた雲助相手に見事な太刀捌き、立回り、斬り殺し、追っ払った若衆姿の白井権八。悠然と立ち去ろうとした時、暗闇の中、駕籠の中からかかる一声。「お若えの、お待ちなせエやし」。びっくりした権八「待てとお留めなされしは、拙者のことでござるかな」高麗屋格子の合羽が似合う、伊達で貫禄の幡随院長兵衛でした。

「いよ〜ご両人」

まだあります、、、。
「三人吉三廓初買」大川端庚申塚の場
女装の盗賊・お嬢吉三が夜鷹のおとせから大金百両を奪った上、大川に蹴落としてしまいます。ゴーンと本釣り、波音、お嬢は棒杭に足を掛けお馴染みの名セリフ、、、「月も朧に白魚の 篝も霞む春の空 冷てえ風もほろ酔いに、、」
立ち去ろうとするところへ、上手にある駕籠の垂れが上がって声が掛かります。
「もし姐さん、ちょっと待っておくんなせエ」
五分月代に着流し姿のお坊吉三です。
「貸す」「貸されぬ」の挙げ句、双方は白刃をかざして命のやり取り、、
そこへまた「待った」が入ります。花道を駆けてきた和尚吉三が二人に割って入り、お嬢、お坊は刀を引き、ついには互いの血を酌み交わして義兄弟になります。

義兄弟になった三人の吉三

以上ご紹介した演目は世話物というジャンルに属していますが、江戸時代以前を、また、有名な人物を描いた演目の時代物にも「待った」はあります。

「一谷嫩軍記・熊谷陣屋」
 白毫の弥陀六、実は平家の残党弥平兵衛宗清が、陣屋を後に帰ろうとした時、そこにいた義経に凛とした声で呼び止められます。「親父待て、イヤサ、弥平兵衛宗清待て」。義経に本性を見顕されます。狼狽する宗清に義経は重大な事実を打ち明けるのです。実は、義経がまだ牛若丸と言っていた幼児の頃、伏見の里で平家に捕えられようとした折、この宗清に助けられ、鞍馬山に送られたという事実の記憶が蘇ったのです。

「仮名手本忠臣蔵・六段目、勘平腹切りの場」
 二人の侍から勘平のしたことが亡君尊霊の恥辱と責め立てられ、腹を切って果てる勘平の場面です。二人が帰ろうとするのを勘平は引き止め両者の間に割って入り、両手で刀の抉りを掴んで「暫く、暫く、ご両所暫くお待ちくだされ、亡君尊霊の御恥辱とあるからには、一通り申開きな仕らん、、、」と言い遂には切腹、「いかなればこそ勘平は、、」と手負になった勘平の述懐が続きます。

勘平切腹の段

同じ「仮名手本忠臣蔵」には、七段目、九段目にも「待て」というシチュエーションの場面は出てきます。

まだあります。
今度は歌舞伎十八番「勧進帳」
この長唄の曲は全体の傾向として「待て」と、留めるドラマと言えます。
なんとか言い逃れて安宅の関所を通り抜けようとした義経一行、通すまいとする関守の冨樫と番卒。番卒の耳打ちで、通過する強力に冨樫は叫びます。「いかに
そこなる強力、止まれとこそ」。「待て」とは言わないながら、それは強い制止の言葉です。その後、弁慶はとっさの機転で金剛杖で主君義経をさんざんに打擲するのです。

勧進帳の切迫した一場面

「待て」というセリフ、
歌舞伎にはニ通りの使い方があるようです。
①  他の人間から当人に「待て」と言って、一旦動きを止められる場合
  今まで例でお示ししたものがこれにあたります。
②  それまで自分で考えていたこと、行動を一人で思い直す場合
  黙阿弥の作品での「十六夜清心」「鋳掛松」「忠臣蔵・五段目」など

黙阿弥「十六夜清心」
 ふとしたはずみで五十両を持っていた寺小姓の求女を殺してしまった清心、汚れた体では心中で一緒に死んだはずの遊女十六夜の供養にもなるまいと、自殺を考えます。しかし、折から聞こえる大川で遊ぶ屋形船から聞こえる騒ぎ歌、それに雲間から漏れる月の光、、
「しかし待てよ、、、今日十六夜が身を投げたも、またこの若衆の金を取り、殺したことを知ったのは、お月さまと俺ばかり、人間わずか五十年、、、人の物は我が物と、栄耀栄華をするのが徳、こいつア滅多に死なれねえ」

「仮名手本忠臣蔵・五段目」二つ玉の場
イノシシと思って撃った鉄砲が命中したのは、舅を殺し金を強奪した山賊の定九郎でした。人を撃ってしまったと薬はないかと死骸の懐を探っていた時手にあ
たった金財布、びっくりして一旦はその場を離れようとしますが、途中でふと「あの金を朋輩に渡したら、また元の侍になって亡君の敵討ちの仲間に入れる、、」と思い直し、死骸から財布を抜き出し飛ぶようにしてその場を離れます。

このように、
歌舞伎の場面には「待て」と声をかけ、前に立ちはだかったり、後ろから追いすがったり、声を掛けられたり、、、あるいは「チョット待てよ」と自分に今までの考えや行動を見直して、ドラマの進行が思わぬ方向に替わってしまうケースが多いのです。

これは 一幕のうちで、仕組みを見た時、起、承、転、結のうち「転」の位置を占めていると言えます。
直接「待て」とは言わなくても、歌舞伎の一スタイルとして「待て」によって局面が大きく変わる技巧があり、しかもそれが重要な場面に設定されていることが実に多いのです。

物事や事件の展開、進行には「流れ」とか「いきおい」があります。これが一方に傾きかけるとたやすくは停止したり、改変することは出来ません。そんな時、誰か強力な人物、あるいはその流れを阻止できるような人物が現れたりする、、、そういった願望や幻想を舞台の上で実現できるなら、観客の欲求は、ギリギリ回避できることになります。
危機存亡の時に聞こえる「しばらく」「ちょっと待て」「待て待て」で、ドラマの流れはにわかに堰き止められ大きく展開することもあるのです。
①  歌舞伎には「待て」によって局面が展開される技巧が多い。
②  しかもこれらは重要な場面に設定されている。
③  これらは大衆演劇、時代劇映画に共通するところでもある。
   囚われものになった善人が今にも処刑されようとした時、馬に乗った
   赦免使とか正義の善人が危機一発 これを助ける、、。

こう言った仕組みの最も素朴であきらかな歌舞伎の演目があります。
 市川團十郎の家の芸、歌舞伎十八番の「暫」です。

歌舞伎十八番 暫

超人的な巨悪、公家悪姿の権力者(ウケ)が、権力も腕力も持たない優美な男女(太刀下)を捕え、部下の敵役(腹出し)に命じて、いままさに殺されようとしている。
その時、花道の奥揚幕の中から耳をつんざくような大声で「しばら〜く、しばらく、しばらく」と三回声がかかって、荒事師の主人公がおよそ人間離れした扮装で花道を出てきます。そして悪人どもを閉口させて、無事に善人たちを助けてるのです。
この演目は、本来、強力な権力者のもと、力なく震えてなす術も持たない江戸庶民(当時の観客)たちに力を与える超人的な正義の味方を示すものでした。それに加えて、災厄神をも退散させる呪術の役割も果たしていたのです。
この芝居を見ることによって願望が叶えられる、舞台の上の主人公の荒人神が荒れ狂って悪を退散させることによって大江戸の町の幸せと繁栄が保障してもらえると信じていたのです。
そういう意味で、この「暫」は、縁起物的な芝居であり、その呪術の言葉こそが悪に対する挑戦でありその撃退でもあっての「待て」だったのです。



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