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歌舞伎の楽しみ 〜性念場、性根場〜

普通、私ども、一般的に「正念場」という言葉をよく使います。
例えば、「この選挙で政権はいよいよ正念場を迎える」などといいます。
この場合、「最も重要な局面を迎えた」ことを意味し、これを「正念場」と言っているようです。
また、この「正念場」は「重要な場」という意味だけでなく、その重要な局面を迎える人にとって、「厳しくそれを乗り越えるためには相当の困難が予想される」という特徴があります。
つまり、本人にとって辛く厳しいが、避けて通ることは許されず、なんとしても直面しなければならない宿命的な場面を指しているといえます。
これはもともと仏教から来た言葉と言われ、ここから転じて、雑念を払った心の安定した状態を言ったり「正気」また「本気」の意味にも使っているようです。

歌舞伎でいう「性念場(しょうねば)」は、いつからか「しょうねんば(正念場)」から転化したという説があります。そういう意味で、歌舞伎の「性念場」は一般的に使われている「正念場」に近いと意味だと言えます。
  「正念場」は歌舞伎で、主人公がその役の性根をどう表すのかはっきりわか
  る、言い換えれば、場面中の重要な箇所を指す。古くは性念場、正念場とい
  う文字も当てられている。「寺子屋」、「熊谷陣屋」、「盛綱陣屋」の首実
  検、「封印切」の忠兵衛が金の封を切るところ、主に場面の中核にある場合
  が多い。
これは戸板康二さんが書いておられる説です。この概念に従えば、「性根場」とは「主人公がその役の性根をどう演技として表現する最もはっきりわかる場で、「場面中での重要な場所」であり「ドラマの主人公に扮した役者がその役の「性根」を凝縮した演技で表現する重要な場面」だと言えます。観客の立場からいえば、そこがその演目の中で一番の「見どころ」ということにもなります。

例をあげてみましょう。
わかりやすいのが前にふれた「菅原伝授手習鑑」の寺子屋、「一谷嫩軍記」の熊谷陣屋、「近江源氏先陣館」の盛綱陣屋の「首実検」という「性根」が重要になる典型的な場面があります。
松王、源蔵、熊谷、盛綱らは、各々複雑な立場にあって心に深く秘めた「性根」を、誰にも見せず行動することが必要とされています。
演者は仕草で見せる表現と、役の性根が合致しないので、絶えず性根を意識しながら外には表さないように演技する難しさが求められるのです。

 具体的な演目についてお話ししましょう。
「近江源氏先陣館」の盛綱陣屋の場です。


この演目は、検閲を避けるため、世界を鎌倉時代に置き換えられていますが、史実は大坂の陣で兄弟でありながら豊臣方と徳川方に別れて戦った信州上田の真田兄弟を描いております。
佐々木盛綱(真田信之)の一子小三郎は、敵方(大坂・豊臣方)の総大将、盛綱の弟佐々木高綱の一子である小四郎を組み伏せ捕らえます。小三郎と小四郎は従兄弟同士なのです。北条時政(徳川家康)は小三郎に褒美を与え、小四郎は盛綱に預けられます。
その後、御注進の報告から、盛綱に、弟高綱が窮地に陥って討死したことが知らされます。北条時政は、死んだという高綱の首を本物かどうか兄盛綱に実検させるために盛綱の陣屋にやってきます。
実検が始まります。
盛綱は首桶の蓋を取った途端、偽首だと知り、一驚してしまいます。
「さては影武者を使ったのか」と。 
次の瞬間、陰で実検を盗み見ていた小四郎が突然現れ「ととさま」と叫んで腹に刀を突き立てるのです。
偽首と知っての自殺、偽首を本物と見せるための計略か、、、ここから盛綱の「思い入れの見せ場」が展開されます。

まだ首をしっかり見届けないうちに「父上」と叫んで切腹した小四郎を見て、一目で偽首とわかっていた盛綱は、甥の小四郎の言動に訝しめ、考え、次に、全て弟高綱の計算された計略だということに気づきます。
小四郎の健気さに打たれ、彼を犬死させるわけにはいかないと「申し訳には腹一つ」の覚悟で「弟高綱の首」と証言するのです。
盛綱は甥小四郎の死を賭けた文字通りの決死の視線を受け、これだけの決意を無言のうちに、表情で示す、非常に難しい場面でもあるのです。
言ってみればこの場面がこの場のハイライトで、盛綱役者が「役の性根」を見せる最も重要な箇所だといえます。
 ここでの盛綱は斬り首を前にして色んな表情を見せます。
驚き、不審、沈思、ハッと気づいて、ニヤリ、感涙、決意、、こういった七つの腹の中(性根)を推理して見せるという場面になるのです。

もう少し詳しく見てみましょう。
北条時政が高綱の首を持参して盛綱に実検を命じます。
見ると真っ赤な偽首、不審に思う盛綱、その瞬間、先刻まで勧められていた自害を拒んで逃げ回っていた小四郎が「やあ、ととさま」と叫んで自害。これをみた盛綱はいよいよ不審を募らせます。拝むように伯父の顔をジッと見つめる小四郎、それを、二度、三度見て、、、アッ、向こう(花道の奥揚幕)をみた盛綱、その謎が解けた瞬間です、弟の真意に気づくのです。
薄く笑います。弟は偽首を本物と信用させるため、あえて小四郎に自害させたのだということを。また、知謀の将の高綱ならやりかねない幼い我が子の命を懸けての危険なトリックだったということを。
そこで盛綱は決意するのです。弟の苦悩を思い、一方、父の危機を救うために犠牲死する健気な甥を犬死にさせてはならないと。しかし、そうすることは主君を偽る忠義に反する。当然、死を覚悟しなければならない、、、盛綱のする行為は、肉親への情愛を、封建武将の絶対的な道徳である忠義よりも優先させたことを意味しているのです。後には、「死」があるのみです。
人間盛綱はあえてその道を決意して選んだと言えます。

この盛綱の真理の葛藤、それに加えて人間性が彼の「性根」であるのです。
舞台の上では緊張するこういった場面、この場であえて人間の奥底にある本当の想い、感情の姿を見ることができる、それが「性根場」です。

「寺子屋」の松王丸の「首実検の場」でも同じことが言えます。

松王丸がこの場に及んで思ったであろう心理は
① 自分は妻の千代と言い合わせて最愛の子小太郎を寺入りさせた。今は千代と何
 も連絡が取れない。果たして小太郎はこの寺子屋に来ているだろうか?
②  それを隠して検死に同道している春藤玄蕃に二心ないことを印象付けなければ
 ならない。その為百姓の子供の寺子を勝手に帰そうとした玄蕃の不用意をわざ
 と指摘して菅秀才が寺子に紛れて逃亡する可能性を匂わせる。
③  万一、そこへ菅秀才が出てきたらどうする。
④  父親(松王丸)の声を聞いて、小太郎が飛び出してきたら?

この場の松王丸は、ひたすら事の成否に苛立っています。また、源蔵は本物の菅秀才を討つことはないだろうか、逆に、本当に身替りとして小太郎を討つだろうか? 松王丸の不安は極度に高まっています。
これが松王の「性根」であり、この場面の「性根場」です。

もう一つ、別の角度から「性根」、「性根場」を見てみましょう。
お馴染み、歌舞伎十八番の「勧進帳」です。ここでの弁慶の性根について考えてみましょう。

 まず幕が開いて、花道から義経一行が出てきます。
どうしたらうまく安宅の関が通過できるかの作戦会議が始まります。この時の弁慶の態度。ある役者は立ったままで義経と話し合う、、、。今ではこの演り方が一般的なようです。ところが、弁慶を1600回も演じたという七代目幸四郎、写真で見るような姿勢で義経判官に対しています。

四天王と同じく、しゃがんでいるのです。どちらがいい悪いというのではなく、弁慶の主君に対する気持ち、いわば「性根」がこの態度をとらせていると思います。今、一般的には弁慶は立ったままです。
 さて、どちらが弁慶の性根としてふさわしいのでしょう?
もう一つ、後半の場面、関を無事に越えられたあと、義経は弁慶の咄嗟の判断で窮期を脱したことを労う場面です。「居所替わり」で、義経が上手へ、弁慶は下手に居場所が替わります。その時、二人のすれ違う時の弁慶、やはり七代目幸四郎は、腰を屈め、慇懃に礼を尽くしてすれ違います。これも義経に対する弁慶役者の解釈、敬意と礼を持って接している所作なんでしょう。


さらにもう一つ、、、今度は一行と関守との対峙、この演目の中でもエキサイトする「詰め寄り」です。この時の弁慶が金剛杖を盾に四天王を制しながら富樫らと立ち向かう場面です。

左の写真が一般的な弁慶が金剛杖を持つ方法です。右の写真を見てください。弁慶は、左手で杖を上から握り、右手は上を向けて杖を掴んでいます。平成3年、歌舞伎座の羽左衛門です。
どちらが正しいでしょう?
 羽左衛門の方法・・・片手で上から掴めば、いつでも右手が利いて左手で容易
      に杖を持つことができ、杖は棒術の武器となっていざという時、相
      手を倒すことが可能になる。
 最近の役者の方法・・・杖を両方とも下から持てば、自分の背後にいきり立つ
      四天王を抑える働きしか効果がない。
羽左衛門のやり方なら、防御と攻撃という正反対の機能を持つ方法と言えます。
この金剛杖の持ち方が弁慶の態度の象徴であり、味方を制しつつ、いざと言えば攻撃に転ずることができる、、。今の15代仁左衛門もこの方法を取っている弁慶の「性根」といえるのです。

主演の役者が、「役の性根」をしっかり腹に据え、それを観客に伝え、深い感動を与える、、、その演目の中で最も重要な難しい場面、その場を特に「性根場」と言い慣わしてきたことがわかります。
「性根」本来を離れて、演者にとって、その演目の最も眼目になる場面のことを「性根場」というようになると、当然のように「しょうねん(正念)場」との混乱、融合が起こるのです。

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