見出し画像

地方のまちづくりに必要なフィロソフィーとコミュニティ

今週は1週間出張。北海道上川町から東京経由で京都、そして伊勢。

たくさんのまちづくりプレイヤーと経営者の会って話して学びだらけ。

中でも、京都の実験寺院 寶幢寺の僧院長、松波龍源さんの話は、経営者として、まちづくりプレイヤーとして、刺激と気づきがマックスに。

伝統的な寺にサヨナラ、お経を読まない僧侶。
仏教を再定義し、社会実装に取り組まれてます。

経営者のお仲間に誘っていただきお寺を訪問。
といってお寺があるわけではありません。

ホウドウジ」の看板があるだけ、普通のビル

経営者4人と龍源さんでテーブルを囲み3時間以上。
特に問いをなし。
にもかかわらず、龍源さんから、仏教の本質をふまえて現代社会に活用できる解釈や、経済や経営が抱える課題の解決につながるヒントのラッシュ。

最後の1時間は瞑想。

ぼくが直面してる課題「1万人の過疎地でのまちづくり」について質問。
瀧源さんの答えをぼくなりに要約すると

各自がフィロソフィーをもち、明示、実践し、コミュニティを形成していく。まちがまずやるべきは公教育であり、その先に政治を一緒に考えていくこと

ちなみに200年はかかると(苦笑)

1.フィロソフィー

瀧源さんは「思想」「哲学」「世界観」をまとめてフィロソフィーと表現。
意図する内容を表現するぴったりな日本がなく、英語で説明するところが面白い。

まちづくりや企画における「哲学」の必要性は自分なりにも考えるようにしていたので共感。

興味深かったのは、フィロソフィーというと「哲学」と訳して終わりにしがちでしたが、「世界観」の意味合いも入っていると龍源さん。

世界観ってなんですか?

自分が世界を見る視点

と即答。
自分の認知のあり方の癖を知ること。

世界というと、なんとなく他人事ですごく遠いものを想像しがち。
じゃなくて、自己の延長で考える。

世界観というと、表面的なデザインやビジュアルのイメージのことと錯覚しがち。

「思想」「哲学」「世界観」をまとめてフィロソフィーとして言語化、アウトプットしていくことが地方のまちづくりにおいて第一歩になると共感。

言い換えれば、自分が進めようとしているまちづくりに、まだまだフィロソフィーが言語化できてないなぁと。

2.コミュニティ

地方のまちづくりに必要なプロセスの2つめがコミュニティをつくること。
ここで再び瀧源さんに質問。

コミュニティってなんですか?

フィロソフィーを共にする集まり

ちなみに、コミュニティはサンスクリット語で SAMGHA(サンガ)。
「集まる」ことを意味するそうです。

ただ集まるだけではなくみんなが等しくフィロソフィーや目標を共有している。

コミュニティも、世界観と同様に、日常的な使われ方としてはものすごく範囲が広くて浅いですよね。

地域のコミュニティが苦手、というときは往々にして自治会や町内会などエリア的なことを言ってることが多いし。

小中学校のクラスとか、年齢や居住地などをもとにする集まりは、ここでいうコミュニティとは少し違うんだろうな、と。

フィロソフィーをもとに集まっているものがコミュニティ

極端な話、家族だらか必ずしもコミュニティとは言えないと瀧源さん。

ぼくが前職で携わってたコーポラティブハウスの入居者同士はコミュニティを形成していたなと確信。

仕事も年齢も家族構成も違うけど、自分らしい住宅を自分たちでつくる、という考え方に共感して集まっているから、利害も調整でき合意を形成していたと振り返り。

3.公教育

瀧源さんがまちづくりでまずやるべきは「公教育」と聞いて勇気をもらえました。

4年間、都農町のまちづくりに携わってきて、最初のころから今現在まで継続している仕事は、都農中学校の総合学習だけ。

ふるさと納税問題や町長交代など、外部環境が激変しつつも、変わらずにやってこれているのは、それだけ重要性が高いから、と捉えてます。

まちづくりに必要なフィロソフィーは、全員に等しく行き渡る公教育の場で育んでいくしかないので納得。

4.政治

最後は政治。ここは瀧源さんにあまり詳しく聞ける時間はなかったので、次回、あらためて教えてもらおうと思ってます。

ただ、地方の小さな町に移住して実感するところで、まちづくりと政治は一体。都心や大規模なまちにいると、政治の存在を感じにくいもの。

政治というとどうしても選挙や利権がからんだり、裏側のよくないイメージがつきまといますが、もっとオープンにフラットにみんなで考えるべきもの、と感じます。

最近、話題になっている「0歳児にも投票権を」も、高齢化率40%の過疎地で小中学生と日々行動をともにしていると、真剣に議論すべき論点だと感じます。

5.原因をつくる

4時間半にわたる話をとおして、一番心に残ったことばは「原因をつくる」

因果関係は、過去から未来と時系列が順列ですが、実際には果因関係もあるというのが瀧源さんから教わったこと。

よくないことが起きたとき、

○○が原因で、○○な結果になってしまい残念

になりがちだけど

○○な結果になったことで○○の原因をつくれた

と考えれば、ありがたみが増すもの。

これってぼくなりのポジティブシンキングにも通じてました。
無意識のうちにそのように考える習慣がありました。一緒にいた経営者のみなさんにも、思い当たる節があり。

起きた結果にただ憂うんじゃなく、どのような原因をつくれたのか、そんなふうに考えることも、一筋縄では進まない地方のまちづくりで活かせそうな思考法だなと思いました。

京都から都農町へ帰る途中、生まれて初めて伊勢神宮に。

日々、まちづくりの実務に奔走する中で、たまには仏教の考え方や神様の環境に身を置いてみるのもメタ認知には有効だなと。

身体は疲れた出張でしたが、脳と心はリフレッシュし、よい1週間を迎えられそうです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?