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映画紹介#003「ヒューゴの不思議な発明」(2011)後編

後編はネタバレありで、映画の内容について自分の印象に残ったこと、気づいたこと、感想、好きなシーンなどについて話していきます。


前編はこちら。




【映画のはじまり】

1895年12月28日、フランス・パリ。
リヨンで写真機材の製造工場を営む兄弟オーギュストとルイが、新たに開発したシネマトグラフの一般公開をパリの<グラン・カフェ>で行った。

この時、世界で初めて一般の観客に向けて行われた有料上映は、今日の映画興行の先駆けとして歴史に刻まれる出来事だった。

現在、リュミエール兄弟は「映画の父」と呼ばれている。


昨日、キャプシーヌ大通り十四番地に、現代の最も数奇な新発明が出現した。それは実生活を瞬間的に一連の写真に焼き付けて、壁に映して再現するものである。

どんなシーンでも、人が何人いても、実生活の中で捉えられたものが、カラーの実物大で見られるのだ。遠くの空、家々、道路などの遠景にいたるまで、実際に見えるすべてがそこに映る。

かつては、言葉によって過去を再現していた。現代では、人生そのものを再現できる。例えば、亡くなってしばらくたった親類に再会することもできるだろう。

「革新」紙 1895年12月30日の記事
『魔術師メリエス』より抜粋


現代人の感覚からすると当たり前すぎて想像しにくいかもしれないが、それまで誰も見たことのなかった「動画」の登場に人々は熱狂し<グラン・カフェ>の前には大行列ができた。

今の時代、スマホを開けば手軽に見られる動画コンテンツが溢れ、動画を見ない日はないという人も多い。たとえスマホを見なかったとしても、街を歩けば何かしらの映像が目に飛び込んでくる。

映画、テレビ、アニメ、広告、MV、YouTube、Instagram、TikTok……。
全てはおよそ130年前、映画が誕生したところから始まった。



今回の紹介する『ヒューゴの不思議な発明』は、そんな映画黎明期をトリビュートした作品。
少年ヒューゴの冒険物語に、映画製作者ジョルジュ・メリエスの実話が織り込まれている。
シンプルにファミリームービーとして安心して楽しめる娯楽作品でありつつ、「昔にはこんな映画があったのか」「こんな風に映画を作っていたのか」と新たな発見にもなって、映画の歴史そのものを感じられる奥行きがある。


今回も個人的に印象に残ったポイントを取り上げつつ、解説やや多めでお届けします。

(以下、映画のタイトルは『ヒューゴの不思議な発明』もしくは『ヒューゴ』と表記。主人公の名前はカッコなしで単にヒューゴと書きます。)




【ヒューゴの住む世界】

この映画について感想を話そうと思うと、好きすぎて、言いたいことが多すぎて、何から始めればいいかわからない。
まずセットが美しい。撮影が美しい。音楽が良い。そして視覚効果が素晴らしい。
それらを全て物語っているのが、およそ10分強に渡って続くタイトル前のオープニングシークエンス。
自然とヒューゴと同じ目線の高さで物語の世界を体感している気持ちにさせてくれる。

冒頭、パリの夜景を見下ろすショットが徐々に街へと近づいていく。
カメラはぐんぐんと朝のモンパルナス駅に向かって降りていき、そのままプラットフォームに突入する。慌ただしく行き交う人波をくぐり抜けて、やがて壁に掛かった大きな時計へと近づくと、「4」の字の中に時計の裏側から顔を覗かせる少年の姿が見える。我らが主人公・ヒューゴだ。
この一連が途切れなくワンカットで進行する(実際には分けて撮影したものを擬似的に上手く繋ぎ合わせているそう)。

駅の中を見渡すヒューゴ。鉄道公安官とその相棒犬が見回りを始め、マダム・エミーユのカフェでは人々が朝食と音楽を楽しみ、新聞売りのムッシュ・フリックや本屋のムッシュ・ラビス、花屋のリゼットらが開店の準備を始めている。

ヒューゴは駅の裏側を移動して別の時計がある場所へ向かう。
ここでもカメラはワンカット(擬似)でヒューゴを追いかけていく。まるで駅の裏側の秘密の迷路を観客も一緒にくぐり抜けているようなワクワク感。
辿り着いた先にある時計の「4」の文字の中に、玩具屋の店先に座る一人の老人パパ・ジョルジュの姿が見えてくる。
ヒューゴとパパ・ジョルジュの出会いから物語がいよいよ動き始める。

この直後のパパ・ジョルジュとの一悶着を聞きつけられたヒューゴは、鉄道公安官に追われることとなり、サイレント喜劇ばりにユーモラスな逃走劇が駅構内を縦横無尽に荒らしながら繰り広げられる。
(ちなみに、このときカフェに小説家のジェイムズ・ジョイスと画家のサルバドール・ダリが座っているのが一瞬見える。)
見事、逃げ果せたヒューゴは時計塔に上り、ひとりぼっちでパリの景色を静かに眺める。カメラは再びパリの空へと引いていき、ここでタイトルが映し出しされる。

これだけで一つの短編映画になりそう。
たった10分ほどの間に、ヒューゴの状況、暮らす環境、彼を取り巻く世界が立体的に見えてくる見事な幕開けだ。


立体的と言えば、この作品はマーティン・スコセッシ監督が初めてデジタル撮影に挑んだ3D映画として劇場公開された。
最古の映画たちについての物語を最新の映像技術で作り上げたのだ。
映画館で鑑賞しなかったことを今でも後悔している。
リバイバル上映してほしい…。





【機械に不要な部品はひとつもない】

ヒューゴはすべてのものには果たすべき役目、目的があると考えている。
機械にも目的があり、時計は時を告げ、汽車を人を運ぶ。

パパ・ジョルジュが目的を失い、悲しみに打ちひしがれ身動きが取れなくなっている姿を見たヒューゴとパパ・ジョルジュの養女イザベルは、自分たちの人生の目的は何かという問題とぶつかる。

このときヒューゴの出した答えが、ポジティブでユニークでとてもいい。
機械には不要は部品はない。もしも世界が1つの大きな機械だとしたら、僕らがここにいることにも何か意味があるはずだと言う。
ヒューゴはその言葉通り、過去に囚われることもなく、何かになろうとするのでもなく、今の自分のまま、今できることに目を向けて行動する。

夢や目標に向かって努力することももちろん大切だが、ゴールに向かって行動すると必ず成功か失敗に行き着く。そこに競争相手が加わると、必ず勝者と敗者が生まれる。

そういうことに囚われないヒューゴの考え方は、誰に対してもフェアだ。
物語終盤でヒューゴを捕らえた鉄道公安官に対しても、その姿勢は変わらないことが窺える。
戦争で足を負傷した公安官の足の装具を見て、心の欠落感に共感を示す。自分はあなたと同じ気持ちだ。自分にとって目的を果たせるのは今しかないんだ。だからわかってほしいと必死に訴える。
敵対していた公安官の気持ちがほだされているのが、その表情から伝わってくる。


世界が1つの機械でそこに生きる人々は世界を構成する部品のような存在。
そう聞くと、社会の歯車だとか、代替可能で、取るに足りない存在ということを連想しがちだが、ヒューゴの言葉からは全く逆の印象を抱く。
あなたは生きているだけで意味がある。不要な人間など一人もいない。と。

自分が生きる意味や果たすべき目的を見失ったときには、ヒューゴと一緒にモンパルナス駅の時計台からパリの夜景を眺めるところを想像してみよう。
答えはもうすでに、今の自分の中にあるのかもしれないということを思い出すために。





【物語の楽しさ、映画の楽しさ】

劇中、物語の楽しさを純粋に表しているキャラクターがクロエ・グレース・モレッツが演じる少女イザベル。
本が大好きで好奇心旺盛な彼女が見せるリアクションがとにかくチャーミング。
ヒューゴと初めて会話したとき、ヒューゴが「秘密」を持っていることに興奮したり、ヒューゴが本を読まないと知って、信じられないという表情で「本好きじゃないの?!」と投げかけたり、駅の裏側の通路を歩きながら「ジャン・バルジャンになった気分!」と喜ぶ姿は、ロマンの世界を存分に楽しんでいるようでなんとも微笑ましい。


ヒューゴとの秘密の会談場所として彼女が選んだムッシュ・ラビスの本屋さんがこれまた素敵。「良き家庭に本を」がモットーの、本のことならなんでも知っていそうなムッシュ・ラビスの温厚そうな人柄と、堆く積まれた本に囲まれたあの空間。観ているだけで落ち着く。あんな本屋があれば住みたい。
(ムッシュ・ラビスを演じたのは『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズなどで知られる英国の超大御所俳優クリストファー・リー。撮影当時88歳だった彼は生涯現役で活動し、今作公開から4年後の2015年に93歳で他界した。)



イザベルのシーンでとりわけ印象的なのは、初めて映画を観るシーン。
ヒューゴの手引きで映画館にこっそりと忍び込み、チャップリン、キートンに並ぶ三大喜劇王ハロルド・ロイドの『ロイドの要心無用』(1923)を観る。これこそ映画の正しい楽しみ方だ!と思わずにはいられない、驚きと喜びに満ちた表情がとてもいい。
自分が子供の頃に初めて劇場で映画を観たときの感覚を思い出す。
(確か「ポケモン」か「デジモン」か「ウルトラマン」だったはず…)

もしかしたらこの映画の中で、個人的にはこのシーンが一番好きかも。


このとき2人が観たロイドが時計の針にぶら下がるアクションは、物語終盤、鉄道公安官から逃げる中でヒューゴが同じことをする。
このロイドのぶら下がりはとても有名で『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)やジャッキー・チェンの『プロジェクトA』(1983)でも引用されている。

『ロイドの要心無用』(1923)





【SFX映画の父 ジョルジュ・メリエス】

ヒューゴが父を失った孤独から回復するのと同時に、過去の呪縛から心を回復させるこの映画のもう一人の主役パパ・ジョルジュことジョルジュ・メリエスは実在の人物。
劇中で明らかになる過去の出来事も概ね実際にあったことだ。
メリエスが機械人形を作ったのも本当のこと。
(残念ながら現実ではメリエスの人形は失われてしまった。)


奇術師としてローベル=ウーダン劇場でマジックを披露していたメリエスは、この記事の冒頭で紹介したリュミエール兄弟のシネマトグラフ初上映に招待されて映画に出合う。
リュミエール兄弟からシネマトグラフの買取りを断られたメリエスは、自ら映画用のカメラを開発し映画製作に乗り出す。

映画が誕生して間もない頃は、現実の出来事をそのまま記録したものがほとんどだった。メリエスはそこに「ストーリー」の要素を持ち込んだ最初の映画人の一人だ。
彼は舞台での経験を活かして幻想的な物語を多く創り出した。
全面ガラス張りのスタジオを建設し、監督から出演まで制作全般を自らこなした。
多重露光やディゾルブなどのトリック撮影を編み出したパイオニアとしてSFX映画の父と呼ばれる。

メリエスの作品の中で最も有名なのが『月世界旅行』(1902)である。
約12分のこの作品はメリエスの絶頂期に作られた作品で世界的な成功を収めた。

個人的に驚いたのが、カラーフィルムが開発される前に、1コマ1コマ手作業で彩色したカラー映画というものが存在したこと。不自然な色使いが逆に幻想的な世界観にピッタリとハマっていてとても美しい。

『月世界旅行』(1902)

しかし、第一次世界大戦の頃になるとメリエスの人気は失わなれ、破産に追い込まれる。
彼は自ら映画セットなどを焼き捨て、売りに出されたオリジナルネガは溶かされて靴底の素材に再利用された。
彼が製作した作品は500作を超えるが、その大半が永遠に失われた。

晩年、映画製作から離れたメリエスはモンパルナス駅の玩具屋で働いた。
それでも映画制作者や研究者から彼は忘れられておらず、やがて再評価されるようになる。1931年にはレジオンドヌール勲章を受章した。

世界中で上映されたメリエス作品のプリントは各地で発見され、現在、メリエスの作品は200作ほど現存する。



メリエスの映画製作にまつわるさらに詳しい話と、彩色版『月世界旅行』フルバージョンは、『月世界旅行&メリエスの素晴らしき映画魔術』という素晴らしきドキュメンタリーで見ることができるで興味があれば是非ご覧ください。

プライム会員は無料で観れます。(2022/08/14まで!)




【フランスとアメリカ・映画へのラブレター】

2011年公開の『ヒューゴの不思議な発明』は、少年ヒューゴの冒険を通して実在の映画作家ジョルジュ・メリエスを再発見する作品だ。
映画黎明期を讃えた今作は、第84回アカデミー賞に11部門でノミネートされ5部門受賞した。

(2016年公開作品『ラ・ラ・ランド』は13部門ノミネートされ6部門受賞している。アカデミー賞は業界関係者が投票する賞なので、映画を題材にした映画はやっぱりみんな好きなんだなとつくづく思う。)


『ヒューゴ』と同じ年、アカデミー賞で作品賞を競い合ったもう1本の”映画にまつわる映画”があった。
ミシェル・アザナヴィシウス監督の『アーティスト』である。
10部門ノミネートされ作品賞、監督賞を含む5部門を受賞。
最終的に軍配は『アーティスト』に上がった。


『ヒューゴ』と『アーティスト』の2作品が興味深いのは、フランスとアメリカがお互いに双方の映画文化を讃え合う内容になっているということ。

『ヒューゴ』はアメリカ人監督マーティン・スコセッシが1930年前後のフランス・パリを舞台にして英語で制作した映画。
対して『アーティスト』はフランス人監督ミシェル・アザナヴィシウスが同じく1930年前後のアメリカ・ハリウッドを舞台に、フランス人キャストで制作した映画なのだ。


この2作品が同時期に製作され、同じ年のアカデミー賞で競うことになったというのは単なる偶然なのか、あるいは3D映画『アバター』(2009)の登場以降、急速に進んだ映画のデジタル化の波を受けて、改めて「映画とは何か」を世界の映画人たちが問い直した時期だったということなのか。


それから11年経った今、スマホの普及で誰もが手軽に撮影・編集ができるようになり、ストリーミングがレンタルを衰退させ、サブスクサービスが独自コンテンツの製作に力を入れ始めている。劇場ではIMAXや4DX、応援上映や爆音上映など体験型の上映が徐々に増え、日本国内の話で言うとアニメ・漫画文化の成長に伴って海外映画と日本映画の人気が逆転した。そして突如訪れたコロナ禍による劇場の危機。


映画を観る環境も、創る環境もまた大きく変わってきている。
それでも『ヒューゴの不思議な発明』を観ていると、120年以上経っても変わらないものも確かにあるはずだと、物語が持つ力や映画の未来に希望を持たずにはいられない気持ちになる。




以上、今回紹介した作品は『ヒューゴの不思議な発明』でした。







【『ヒューゴの不思議な発明』と合わせて観たい作品リスト】

※プライム見放題ではない作品を含みます。

『アーティスト』(2011)
本文中でも触れた、1930年前後のハリウッドを描いたフランス映画。
第84回アカデミー賞作品賞受賞。セリフのないサイレント映画として製作された映画が作品賞を受賞したのは、1929年に行われた第1回アカデミー賞以来の出来事だった。


『ミッドナイト・イン・パリ』(2011)
『ヒューゴ』『アーティスト』と同年に公開され、同じくアカデミー賞作品賞のノミネートされたウディ・アレン監督の作品。脚本賞受賞。
冴えない男が1920年代のパリに夜な夜なタイムスリップするコメディ。
サルバドール・ダリが登場するなど、偶然にも描く時代に共通点がある。


『月世界旅行&メリエスの素晴らしき映画魔術』(2012)
月世界旅行フルバージョンとジョルジュ・メリエスの偉大さに迫るドキュメンタリー。『ヒューゴ』本編には登場しなかったメリエスの現存する他の作品の映像もたくさん登場する。


『リュミエール!』(2016)
シネマトグラフ開発者リュミエール兄弟が撮影した膨大な短編作品群からセレクトされた映像を4Kデジタル修復し90分にまとめた作品。
日本語吹替版ナレーションは落語家の立川志らく。


『巴里の屋根の下』(1930)
ルネ・クレール監督によるフランスで最初に成功を収めたトーキー映画。
もちろんお芝居ではあるが『ヒューゴ』の時代をリアルに生きた人々の姿がそこにはある。『ヒューゴ』の原作者が執筆にあたって影響を受けた作品のひとつ。


『巴里祭』(1932)
ルネ・クレール監督によるフランス革命記念日前日を舞台にした男女のすれ違いを情緒豊かに描いたラブストーリー。
はしゃぐ子供たち、広場で酒を飲み、歌い踊る人々の賑わいなど、この作品も1930年代当時のフランスの雰囲気を感じることができる。
4Kデジタル・リマスターで映像に傷みがなく、とても観やすい。


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