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【旅行記】私と旅⑤「私とイタリアⅡ~ミラノ」

意外と地味?なミラノ

 ミラノはファッションが有名であり、お洒落なイメージがある。しかし、良く言えば都会的、悪く言えば殺風景な街である。興味深い美術品や建築物がないわけではないが、少なくともヴェネツィアのように歩いているだけで楽しいというわけにはいかない。

 それよりも世界最高のオペラ・ハウス、スカラ座へ行きたい。
 

ミラノ・スカラ座の外観


当たり前に美しいオペラ

 特にウェルザー=メストの指揮による「フィガロの結婚」が印象に残っている。
 おそらく彼らの最上の出来というわけでもなかったとは思うが、それでも絶品だった。すべての瞬間が生気に溢れ、流麗で、官能的で美しい。しかも、歌手達の声を打ち消すことないように、節度を持っている。特別なことはなにもない。ごく当たり前に、美しいのだ。たしかに世界最高のオペラはここにあるのだと納得できた。

 例を挙げるとすれば、第3幕でフィガロの出自が明らかになる場面。
 ドラマとしても唐突でありご都合主義的な嘘くささが否めない。音楽もどこかよそよそしく感じられるものだ。ところが、彼らの手にかかると活き活きと流れ、愉悦感をもって響くのである。そして、たまに影を差す短調がその危うさを物語る。幸福とはかくも美しく、儚いものなのだ。


「本物」とは?

 今は亡きアーノンクールがウィーンで聴かせたモーツァルトは、構築的で、反骨的で、切実なメッセージがあった。それは衝撃的な体験として私の記憶に刻み込まれているけれども、それとはまったく異なる方法で素晴らしいモーツァルトを聴かせてくれた。
 私はアーノンクールが提示したようなモーツァルトこそが本物だと信じてきてそれは今も変わらないが、こういう真実もあるかもしれないと思った。

 終演後、劇場を出るとほとんど日付が変わろうとしていた。開演時間が遅いうえに休憩を2回も挟むからである。人通りのない暗く静かな道は不思議と美しく感じられた。

 私はまたイタリアを訪れたいと思う。この世界には信じるに足る美があり、まだ生きるに値するのだということを確認するために。
 


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