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七夕が似合わない父さんへ

うちは誰かが誕生日を迎えると、家族でそれなりにお祝いをする習慣がある。
自分がいい年の大人になった今でもだ。
流石に欲しいものをリクエストして買ってもらうようなことは無くなった。けど、集まってご飯を食べに行ったり、何かちょっと自分で見繕ったものを手渡すくらいのことはしている。

7月7日、七夕は父親の誕生日だ。もう60歳の半ばを迎える・・・・・・はず(正確な年齢を忘れてしまった)
昔は父親の誕生日を少々うらやましいと思うことがあった。父親ときょうだいは行事のある日や祝日が誕生日。自分と母親は特に何もない日が誕生日で、子どものころにはちょっと父親やきょうだいの誕生日に特別な感じを抱いていた。今では全く何ともないのだが。

今年の七夕は平日。家族で集まれそうもないというので、前倒しで外食をしに行くことになった。
このくらいがちょうどいい。母親やきょうだいだと、自分で買ったものを渡したりできるのだが、どうも父親だとそういう感じにできない。身につけるものなどをあげても、自分にハマらなければ使わない。それを知っているから、何かものをあげることを避けてしまう。
かと言って二人で何かを食べにいくのもという感じだし、父親はお酒にも弱く、飲みに行く選択肢もない。だから家族で外食をしに行くというのは、自分にとってもタイミングができていいのだ。

ということで、家族で近くの寿司屋へ。「活魚廻転寿し」と銘打っているが、店内でネタが廻っている姿はない。レールはあるのだが、もしかして昨今の影響で廻していないのだろうか。
大衆的というよりはちょっと落ち着いた雰囲気の店内で、それでも老若男女、家族連れが多く来店している。

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少々待ってテーブル席へ。メニューを見ると、ネタも色々なものがあるが、一品料理も豊富だ。値段は大衆向けの回転寿司よりは少々高め。100円皿はおそらくなかった。

各々に好きなものを頼み、届いたものから食べていく。父親は汁物と茶碗蒸しを頼み、ネタを数種類。母親ときょうだいはお酒を頼む。誕生日のお祝いだが、いつも回転寿司を食べている感じと変わらない。
自分も自分でいつものようにあまり頼まない。家族の頼むものが多すぎて、余りが出るからだ。事実頼んだのは2品くらいで、あとは天ぷらだの握りだの、余ったものを食べていた。なんてことはない、いつも通りだ。

追加で注文したものを待ちながら、どこに新しい建物ができたとか、どこのお店の料理は美味しいとか、他愛もない話が続く。そして、頃合いを見てお会計。母親ときょうだいとアバウトに三分割で支払いを済ませ、外へ出た。

もう誕生日が七夕でとか、天の川がどうとか言うような年齢ではなくなった。むしろグータラしている時間のほうが長い普段の父親を見ていると、七夕の感じも正直ない。

そんな父親だが、いつも通りに過ごして、たまにこうやって少し良いご飯を食べられて、家族で祝えれば自分は十分だ。
少し早いけど、誕生日おめでとう。

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