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2月25日、総てが叶うと信じた日

東京に憧れを抱いたのは大して面白い理由ではない。出逢いに飢えていたからだ。そしてまだ自分の可能性は無限だと信じていた。

2月25日が巡って来る度、人生で一度きりの大学入試二次試験と、過ごした日々のことを思い出す。

私立大学の学費は払えないと言う親を「国立だったら東京でも良いでしょ」と押し切った。一人暮らしにどれくらいお金がかかるかなんて知らなかった。奨学金と学費免除とバイト代で賄った4年間。推薦だって取れたし、頑張り方次第で私立にだって通えたのかもしれないけど、高校生の私は反抗という形で母に甘えていた。センター試験D判定を叩き出しておいて塾にも通わず現役で受かったのはただの意地だ。

初めての部屋はひとりで決めた。数駅離れた部屋も見たけれど、遅刻が怖くて大学から徒歩5分の部屋にした(でも結局1限どころか3限くらいまで時々サボった)。1階、ユニットバス、オートロックも無いアパート。二度と住みたくない水準だけど、完全なひとり部屋も無かった目には魅力的に映ったものだった。すぐ嫌になったのだけど。

家賃はほぼ同額の奨学金で賄っていた。未だに返している借金は、宝くじでも当たったら真っ先に綺麗にしたいもの。親の収入の低さと成績のおかげで学費を4年間ほぼ免除してもらえたのは有難かった。

入学前の手続きに3万円程が必要で、自分で持っていって払ったのだけど、大半の子は親と一緒に来ていて「過保護だなぁ」と思ったのを覚えている。半年ごとに役所へ出向いて書類を取り、毎回同じ理由を書き連ねて学費免除の手続きをしていると「普通の家庭」に比べて要らない苦労をしているように思えて恨めしかった。周りの子が羨ましかったけど、他の人がやらなくていいことをやっていたおかげで成長した部分もあったかもしれないと思えるようになった。しっかりしてるねと褒めてくれた人たちのおかげで自尊心が保たれたことに感謝している。

狭い6畳にぎゅうぎゅうになって映画を観ながらご飯を食べたり(ソファに2人ベッドに2人床に1人とか)、文化祭で喧嘩しながら出店やったり、はじめて男の人を招き入れたり、喜怒哀楽を十二分に堪能した部屋。

働きはじめてからだけど「東京に出してくれて有難う」と母に言ったことがあった。「きつかったけど、家を出たがってるのは分かってたから。お母さんもそうしたかったことあったから」志望校に入らないと殺されるんじゃないかってくらい怖かった母の、思った以上に小さくなった背中を抱きしめた、苦々しい生っぽさが未だに残っている。多少なりとも愛せるようになったのは適切な距離を取っているからだ。

ここに来れば総てが叶うと信じた受験の日。結局入学当初に思い描いていた夢は現実を知り手放してしまったし、学んだ分野とは全く違う所で働いている。

が、経験や出逢いの総てが今の私を創っていると思うと、あの日実力を出せたことに感謝するし、何位で入ったかは知らないけど「身を置いたら勝ち」を体現できたことを誇りにも思う。学歴や経験値がモノを言うこともたまにはある。

実力以上の力は出ないから、どれだけ自分を信じられるかが勝負。終わってしまえばあとは結果を待つだけ。もしかしたら第二志望以降に良い未来が待っているかもしれない。出来る限り多くの夢が叶うことを、心から願っています。


*「はじめて借りたあの部屋」というお題で書こうと思って下書きにしたままだったもの、日にち的に丁度良いので改変して出しました。

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