おりばー

スナップ写真みたいな文章を書きます。

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二〇二四年五月、目標面接。

人にはそれぞれちょうどいい速さがあると思う。

    • マックでもマクドでもないうちに。

      朗読:ChatGPT

      • 二〇二四年四月、コペルニクス。

         二〇二四年四月  休みの朝、早く起きてきた長男と二人で食パン(長男は少し焼いて、僕は焼かずに)を食べている。 「ねえ、ウルトラマンの中身はどうなってんだろうね。ガイさん(クレナイ・ガイは人間と同じ外見で、ウルトラマンに変身する一異星人の名前)がウルトラマンの大きさになったら中がスカスカなんじゃないの。」 焼いてない食パンは他はいいのに、齧った部分にねちっとした歯形が残るのだけが嫌だ。  「いやそういうことはない。」 手に持ったパンを海藻みたいにゆらゆらさせて言う。

        • 二〇二四年五月、洗い物。

          二〇二四年五月 夜中に洗い物をしている。 泡を流すとき、指先を繊細に動かすと、大切なことをしているのだと思えて精神に優しい。 自分の指が美しい動きをしているのも見ていて心地よい。思えば人は手を使うとき、自分の手先がどのように動いているかなどまったく意識していないのではないか。これはもったいないことだと思う。 ただ、麦茶ポットの泡を流しはじめると途端に不安になる。 はじめのほうはまだ泡だらけで、中の水が泡立たなくなるまで、擦ったり傾きを変えたりしながら何度か水を満たすのだけ

        二〇二四年五月、目標面接。

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        • スナップ写真みたいな文章
          4本
        • 写真とカメラ
          17本

        記事

          水平線・午後4時

          水平線を眺めるときは、海と空が触れる場所・境目を、そんなものはないのに探してしまって、心の置きどころを見つけられず茫然としてしまいます。 かたや午後4時というのは1日の終わりを感じ、惜しみ始める時間でして、帰ろうかと思いつつもあたりに目を向ければ当然まだその日は終わってない、というか1日に終わりなんてないのに、まだそれが訪れていないことの確認を繰り返してしまって、不安とは違うなんだかよくわからない気持ちになります。この2つは同じ回路を刺激するようです。

          水平線・午後4時

          些末なものばかり撮っている理由

          些末なものを美しく感じるから撮っているというのが結論なのですが、今日はふと思い立って、その理由やそれが建前や綺麗ごとではなく本心であるということを、少し詳しく書くことにしました。 この世が存在するためには必ず2以上の点が必要 早速ですが、「この世」とは必ず2つ以上の何かがあって成り立っています。マクロな話に限らずミクロな視点でもそうです。「構造」をもたない完全に単一の存在があるとしても、それが存在するための場も必要であるためです。 ちなみに「世」という漢字は、「長い時間

          些末なものばかり撮っている理由

          chatGPTと写真を考える#4 「情事・拒絶・世界」

          User 1枚目は「ただ世界を覗き込むこと」、それを今から始めることを告げる写真。 2枚目は卵子。3枚目は旅をする精子(ピンクは森の中の道にしゃがみ込む男性をぬりつぶしたもの)。なぜ座り込んでいるかというと、世界に出たくないから。そして4枚目は胎内の暗闇を表している。 ChatGPT この新たな文脈を踏まえて、各写真を再解釈します。 最初の写真では、建設現場を覗き込むことによって、「世界を覗き込む」という行為が捉えられています。人間の指がフレームに入っていることが、私たち

          chatGPTと写真を考える#4 「情事・拒絶・世界」

          chatGPTと写真を考える#3 「佇立するもの・私物化」

          chatGPT 写真を分析すると、いくつかの哲学的思考が浮かび上がります。これらの画像は日常的な風景を捉えているように見えますが、それぞれが異なる視点から世界を見る方法についての洞察を提供します。 最初の写真(IMG_6251.jpeg)では、暗い領域と明るい領域のコントラストが目立ちます。これは、陰影理論や二元論を連想させるかもしれません。例えば、プラトンのイデア論における現象界とイデア界の区別や、陰陽のような東洋哲学の概念にも似ています。 二番目の写真(IMG_6247

          chatGPTと写真を考える#3 「佇立するもの・私物化」

          chatGPTと写真を考える#2「信じる写真」

          User 下記を批評して。 なお文体や語り口の問題点は無視して、語ってる内容だけに着目してね。 ##あるものが確かに存在するって言う場合には、そのものを目の前に突き付けて証明しなければならない、というのはたしかにそういう場面もある。 ただ果たして個人の人生とか暮らしにおいても常にそうなのか?と思いますね。 誰かが何かをなくなんとなく信じ続けるその行為をもっと尊重というか、ほっといてもいいんじゃ?と。 「推し」もそう。どんだけ金をつぎ込めるかでその度合いが判定されてしまうイ

          chatGPTと写真を考える#2「信じる写真」

          2023/11/30投稿写真 "Plant life"についてChatGPTと考える

          まず投稿した写真はこちら。 以下、chatGPTとの対話。 これらの写真から描かれるストーリーは、社会の枠組みや期待に縛られることなく、個人が自己の役割、使命、そして存在意義を模索し、時にはそれらに疑問を投げかける過程を表しています。役割や使命が与えられることの重さと、それを超えて自己を見出す旅が、この物語の中核を成しています。 おりばー:なるほど。ぼくは各々が自らの人生にどのような役割や使命を見出すのか、あるいはそれを模索することそのものが人生だと思っていて、それを写

          2023/11/30投稿写真 "Plant life"についてChatGPTと考える

          寺内ユミ There I sense somthing を読む

          偶然読む機会に恵まれました。 大変感銘を受けましたので、備忘のためnoteにまとめようと思います。 たくさんの写真が収められている本ですので、ひとまず初めのセクション、「秋田 曲げわっぱ」についてまとめようと思います。ちなみに批評ではなく、完全にぼくの受け止めです。 と、その前に「曲げわっぱ」について知っていることが多い方が想像も膨らむかと思いますので、その製法などについての概要リンクを掲載します。 では、以下がぼくの受け止めです。 写真1枚ごとの感想です。 1 深い

          寺内ユミ There I sense somthing を読む

          写真&インクルージョン

          Twitterにのせたこの2枚の写真。 まずこの「小林しげき」のポスターを個人あるいはその個性、そしてその周囲(ここではあえて背景とは言いません)を社会、あるいは個人が身を置く環境と考えます。そうするとこの2枚の写真は、ある個人・個性が異なる社会・環境に、まったく同じありようで存在し、ミスマッチを起こしている状況ということになります。 ただ早速ではあるのですが、そのように定義してみたところで、やはりこの2枚の写真それぞれはポスターと周囲を合わせて1枚の写真です。 それ以外に

          写真&インクルージョン

          My home/An unknown village

          家族は最小単位のコミュニティだ、というようなことを聞いた覚えがありますが、ぼくはどちらかというと「村」のほうがしっくりきます。コミュニティと書くとなんだか無味乾燥なもののようです。 村といえば、まったく縁もゆかりもない、見知らぬ村を訪れるとき、自分はその土地にとって招かれざる者にちがいない、と感じます。 ひさしぶりに妻と2人の息子が住む家に帰るとき、それは当然楽しみなのですが、他方では見知らぬ村に足を踏み入れるときと同じように、自分は異邦者であると感じます。 ただ子ども

          My home/An unknown village

          写真群#3 生地、面、皺。

          服や布、生地のシワが見せる表情が好きです。くしゃくしゃしたものも好きなのですが、より好きなのは「生地の寄り」です。 特に茶系の生地のシワが愛しいです。 どうしてかはわかりません。 答えを知りたい気持ちもあるけど、これからも写真に撮っていけばいつかわかる瞬間が訪れそうな予感がするので、焦らずゆっくり、その都度感じ取っていこうと思います。

          写真群#3 生地、面、皺。

          写真群#2 「四角、そして自然。」

          四角という形を見ていると、落ち着きを感じたり、安心感を覚えたりします。子どものころからそうだったように思います。 自然界では、あまり四角を見かけません。四角と聞いて浮かぶものは箱、煉瓦、土台、建物、土地、畑、そういう「人がつくったもの」です。ぼくは、自然のなかに野ざらしでいるにはあまりに貧弱です。しかし人がつくるものは基本的に人を助けるためにあるのであって、それが心の平穏をもたらしてくれる気がします。 ただし四角を形づくる直線単体では、そうでもありません。例えば、水平線や

          写真群#2 「四角、そして自然。」

          写真群#1 「穴、または円。」

          穴、というのは、落ちていく先と見れば不安や恐れを想起させるものですが、出口や窓と見れば外界からの光を伝えるものにもなります。そういうふうに、穴というのはそれがあることでその向こうを意識する、なにか事の始まりやきっかけになりはしても、結局それ自体はなんの意味も持たないものなのだろうと思います。 だからこそ穴を見つめていると、そのときの自分が少しわかってきます。暗がりにいるのか、出口は近いのか、はたまた光の下にいるのか。 そしてまた円というのもそれに近く、一見すると角のない柔

          写真群#1 「穴、または円。」