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寺内ユミ There I sense somthing を読む

偶然読む機会に恵まれました。
大変感銘を受けましたので、備忘のためnoteにまとめようと思います。

たくさんの写真が収められている本ですので、ひとまず初めのセクション、「秋田 曲げわっぱ」についてまとめようと思います。ちなみに批評ではなく、完全にぼくの受け止めです。

と、その前に「曲げわっぱ」について知っていることが多い方が想像も膨らむかと思いますので、その製法などについての概要リンクを掲載します。

では、以下がぼくの受け止めです。
写真1枚ごとの感想です。


深い霧に包まれた森を遠望する写真。
森の深い緑と、とても繊細な空の色が捉えられている。
森の高い部分が、霧から頂を覗かせている。
この広大な森から、たった一個の曲げわっぱが生み出されるとは、なんともドラマチックだと思う。


森に潜り、地面から空を見上げる。高い木々の切れ間から細い空が望める。杉の木の背は高く、何年をかけてこのように生長したのであろうかと、森という遠い時間のなかに立つ感覚。森から木々へ、思考・視線・レイヤーが変わる。
そしていまだ空は淡い、繊細な色と模様を示している。
この連続から「いまここ」と「これから・どこか」が同じ物語上にあるのだと感じる。


これは曲げわっぱを製作している光景。薄く削り、剥いだ杉材を、職人が丸木でならしているところだろうか。職人の両腕は全体として陰になっているが、手の甲から肘へ連なって伸びる“筋肉の尾根”が、光の道筋をあらわし、そのたくましさを醸し出している。
しかし丸木を掴む手は大きく広げられ、力を込めて押し付けるというよりは巻くように、揉むように添えられている。さらに丸木から少し浮いた指が、繊細な力加減の存在を伝えている。


わっぱとしての形が出来上がり、綺麗に並べられている様。ほの暗い作業場に低く差す、まっすぐに進んできたのであろう光が、わっぱに触れ、そこから曲面に沿って撫でるように下っていき、陰に融ける。熟練の手技と、それを受け止める木という自然の掛け合いにより生み出される繊細さ・柔和さを、視覚のみからでも感じ取ることができる。ぼくもこの手でその表を撫でて、繊細な感触を味わいたいと、自然と手が空を撫でる。


まるで森で見たあの空のような、淡く無垢な印象を背景に、完成した曲げわっぱが無造作に置かれている。そのいくつかは倒れている。
風が吹けばむしろ、自らことんと横になってしまうんじゃないかというほどに、軽やかで、無垢で、優しい、そんな表情。


以降は上と同じ背景に、様々な種類・形の曲げわっぱがひとつずつ登場する。木という素材の多様性、可能性、広がりを感じることができる。
とても美しいと思う。

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