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野良でいれる幸せ

こんにちわ、ご無沙汰しています。K,Eです。前回の記事でロサンゼルスに来てからの3~4日間を書いたのですが、本当ならその後に進捗を書くことが自然だと思うのですが今回は留学生活で色んな人(ほとんど日本人)と話して感じたことを書いていきたいと思っています。

留学先で出会った人々

私が留学先で出会った友達は日本のトップの大学に在学しているひとたちがほとんどです。早慶上智の大学院に行っている人だったり基本国公立の人達だったり、今現在私が卒業しようとしている偏差値50近辺の中堅大学よりは各段に頭が良い人達がほとんどです。

(アメリカいってまで日本の高学歴の人のことを書くのかよと思われてしまうかもしれませんが)

やっぱり彼らにすごいなと思わせてもらうことは多いです。

決定的な違いは

元々の知っている知識の量が多い。育ちが良い。志が高い。留学の目的が(学歴を含む何かを持っていること)+英語を得ようとしている人たちが多いと思っています。

日本にいて実家付近の地元の友達、大学の友達、バイト先の人達のみと生活をしていると一生会う事のない人達に出会えることができると思っています。(本当はこうゆう話は外国の友達と話した時にするんでしょうけど)


自分の立ち位置

日本で生活をしていて私の周りの人間はあまり私に興味を持ってくれなかったり、話の流れで留学行ってましたみたいなことを言うとあ~頭良いんだねはいさよなら~みたいな扱いを受けることがすごく多かったような気がしていました。(全員が全員とはいいませんが)あとは金銭面のことを聞かれてお金持ちなんだね~は~い。みたいな扱いを受けてたような記憶があります。

もちろん嫉妬もあるでしょうし、そうゆう相手を気にしなければいいだけの話なのでしょうが

自分の中での自分の認識と周りから見られる自分の認識がかなりずれているように感じることが多かったです。

留学帰りの周りから見る自分に対する認識はボンボンのような。優等生のような。英語しゃべれるんだ賢いね。みたいな立ち位置でした。

自分の中での自分の認識は本当に英語しかできないやつということ。小学校5年生くらいから週に1回、1時間だけ英会話教室に通わされていて中学に入る時にA~Zまで言えて書けたこと。あとは本当に基本的な英単語と表現だけ知っていたから英語だけはつまづかずに済んだことによって

統一試験の公立高校受験では英語60~70点。理系科目20点~40点でなんとか偏差値40代くらいの高校に進学。

大学受験時も英語が1.5倍換算されるセンター利用試験を使って試験の筆記で英語だけ7.5割くらいとって65%のボーダーを突破してなんとか中堅私立大学に入学。

その後大学から20人近くいける1年間の留学プログラムにTOEFLのテストで下から3番目に滑り込んでマレーシアに留学。

帰国後、TOEICで760点取得し。選考基準に英語ができるかどうかが重視されがちの仮にも”一部上場商社”から8月の終盤も終盤に内定をいただいたというこれまで。

最後の部分だけ切り抜くとあたかもエリートや優等生のように思われるかもしれませんが、

本当に小学校のレベルから算数があやしかったり、大学時代に必修の生物の科目を2回落としたり、大学のエクセルの授業も何度も最後まで残ってやったのに落とされていたりとあまり器用な人間でなければ頭も良くないという認識でした。


自分の英語力の認識

自分の英語力の認識も常にはき違えないようにしています。私は自分の英語得力は典型的な非ネイティブスピーカーだと思っていて

海外に出たことない人にわかりやすく説明すると日本の中華料理屋や中国マッサージの店員が話す日本語。

海外旅行が好きな人にわかりやすく説明すると海外旅行先の屋台の怪しいお土産屋さんやタクシードライバーの英語のような感じだと思っています。

決して発音も文法も綺麗じゃないけれどコミュニケーションがとれて何より自信を持って話している。世界共通語としての英語を使っているという認識です。

帰国子女でもなければインターナショナルスクールに通ったことも無いし、やっと英語圏の国に今初めて1か月半滞在させてもらっているという感じです。

そもそも私が武器としている英語力が日本人の中では高いとされていますがそのものもハイレベルではないということです。


留学先の友達からもらえた刺激

すごく前振りの話が長くなってしまいましたが、留学先の友達と出会えて自分が思っていた自分の認識する自分の立場にやっと合致したのという気持ちになれました。

みんな(私の目線ですが)そもそもの頭が器用で恐らく国社数理英の5教科を器用にこなして器用にこなせなくても器用な人に囲まれてそこに追いつこうと努力して進学校もしくは私立中学に進学して志のある人々に囲まれて目的を持って大学に来て嘘の比率が幾分か私たちより低い内容を面接で話すことができているのかなと思っています。

今のところ私のイメージで話している部分も多いのでかなり偏見も入っているし少し嫌味っぽい文章になっていると思っています。

そりゃ大学に行ってない人からしたら大学行ってる時点で全部一緒だよっていうと思いますし僕が彼らを一括りにまとめて”かしこ”の人達とまとめてしまうのも間違っていると思っています

ただ彼らをリスペクトの意味をこめて本当に”違うタイプ”の人間なんだなと感じることが多いです。学ぶ意欲が高かったり志が高かったり、なんというか常識があるというか

それでやっぱりそうゆう人達を見てやっと自分には英語しかないんだなと思わせてもらえる。

なんというか英語が彼らと近いレベルにあってそこだけの接点でつながることができてそれ以外の側面では引け目や劣等感を感じることもあるけれどそこがまた自分が元々の”バカ”だったり”不器用”だったりと昔の自分の立ち位置を感じることができてかっこつけた言い方で“野良”の自分でいれる。

その中でいてスピーキング力だけではそのグループの中で一番長けている瞬間があったりしてその瞬間はまるで勉強はできなかったけど部活の時だけ虚勢を貼れてた中学の時の自分に戻れたみたいですごくうれしい。

みんな頭良くて高学歴でうらやむことができる側面もあるけどやっぱり上には上がいると思わせてくれることがすごくうれしいし。

自分という人間の認識が初めて合致した感覚を得ています。

本当に書く時間も無いし。多分留学の中で認識も考え方も変わりますし、よくよく話してみたら全然そんなことなかった。ってなると思いますがとりあえず今思っていることを書きました。

しばらくは忙しいので日本帰ったらまた沢山書こうかな。おやすみなさい







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