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日本人と”ミニマリズム”

 ”ミニマリズム”やそれをモットーに生活する”ミニマリスト”のアイデアはそれ自体が、「物が氾濫する現代社会に生まれた真新しいライフスタイル」と考えられがちだがそれは違う。

 物事を可能な限りミニマムに捉えようとするこの価値感は、実は私たちの時代よりもずっと前に存在していたし、それどころか私たち日本人とずっと長い間共存してきた感覚でさえある。

 つまり”ミニマリズム”は別にそれほど新鮮な感覚ではないのだ。少なくとも日本人にとっては、真新しいどころか、むしろオールドファッションな思考であり、嗜好だともいえる。
 いわば日本人と”ミニマル的な考え方”は、切っても切れない関係なのだ。

 なぜそういえるのか?
 その答えは『日本の伝統』にある。
 『日本の美術』にある。
 『日本人の生き方』にある。

 この”note”では普段私たちがあまり意識していない日本的な美の中に顔をのぞかせる”ミニマル”を探ってみたい。





”The ZEN”

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 ミニマルな考え方を世界的に有名なものとして引き上げたのは”スティーブ・ジョブズ”だろう。
 言わずと知れたアップルコンピュータの創業者であり、これを見ない日はないほどのヒット商品となった”iPhone”、”Mac”、”iPod”をデザインした天才的デザイナーでもある。

 そんな彼は「こだわりが強すぎて家に家具をおけなかった」ほどで、自分が「美しい」と認めたもの以外は身の回りに置こうとはしなかった。
 独自の強いこだわりで、ものを持たず、そのため単純明快な生活を送った。
 彼のシンプルな生活は、そのままシンプルで直感的なデバイスの開発へとつながっていくのだが、それが世界的に高い評価を受ける。

 そのジョブズが傾倒し敬愛していた思想こそ、仏教であり”禅”であった。

 ここで禅について詳しく語ることはしないが、ものすごくシンプルに説明すれば『自分自身を深く思考することで自分を精神的に見つめなおす』ことという表現になるのだろう。(こればっかりは言葉で説明するのは難しい、どうやら”感じ取るもの”のようだ)
 今流行りの表現を借りれば、”マインドフルネス”でおおむね良いと思う。

 自分の心の平静や平安を重視しつつ、それによって悟りを開こうとする”禅”であるが、ジョブズをはじめ海外の有名人やセレブが生活に取り入れたことをきっかけに世界的に注目を集めるようになった。

 ”禅”の考え方には、そのままシンプルさに通じるものが多い。
 精神的平静のためには、雑多で複雑な生活スタイルは障害にしかならないし、安らげる場所であるはずの自宅が物であふれているというのもシンプルさとは程遠い。
 なによりそういうごちゃごちゃしたライフスタイルは”ミニマル”ではない。

 この”禅”と”禅の思想”が日本に広まったのは鎌倉時代というから、私たち日本人は、世界中のセレブがその効果を認めるよりもずいぶん早い段階で”禅的な考え方や感じ方”に触れていたことになる。

 ”ミニマリズム”がまったく新しいライフスタイルではない、といえるひとつの理由だ。


"Japanese Beauty"

 日本的な美しさの背後にも”ミニマリズム”は隠れている。

 ”ミニマルであること”が日本人に特有であることは面白いポイントだ。
 たとえばアメリカでは「大きいこと」に意味がある。
 『巨大』で『力強いこと』に価値を求める。
 ヨーロッパであれば「優雅で細かい部分まで華やかであること」が重視される。

 一方で日本では、あらゆるものが「小さいこと」、「単純であること」が価値を持つ。

 ここでは『建築』、『美術』、『文化』に限定してそれを俯瞰してみよう。


・建築

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 日本建築がシンプルな造りを基本としているのは一目瞭然だろう。
 過度に華美になりすぎることなく、それでも必要な最小限の工夫がしっかりとなされ、かつ美しくバランスの取れた形でそれらが建築されている。

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 全体を支えるのに必要な数だけの支柱があり、装飾も威厳と重厚さを引き出しつつ、派手すぎないものに抑えられている。

 これがヨーロッパ建築だとこうなる。

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 どちらがより”ミニマル”な建築かは比べるまでもない。
 (もっとも西洋建築には西洋建築としての美しさを感じるが)

 もちろんこれは極端な例かもしれないが、全体的に日本建築の方がシンプルな構造と装飾になっているのは事実である。

 たしかに日本人的ミニマル思想は「建築」に現れていた。


・美術

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 これはかの有名な”枯山水”の画像である。
 これを見て、「なんだかごちゃごちゃしていて心をかき乱される」と感じる日本人はほとんどいないことだろう。

 大多数の日本人がこの庭園に”シンプルさ”を見出すはずだ。

 そしてこれが外国人観光客にも人気であることを考えると、どうやらこれを美と感じる感覚というものは、万国共通なのだろう。

 理路整然とコントロールされていること。
 決して乱雑ではなく、単一で単純に構成されていること。
 今からずっと前の日本人は、これを「美しい」と感じていたという事実。
 その一点だけをみても、日本人がこれまでずっと長い間『ミニマリズムな民族』であったことがわかる。 


・文化

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 日本文化は「シンプルさの寄せ集め」のようなものだ。

 私たちは普段特に意識していないが、私たちが何気なくしている所作のひとつひとつにも”ミニマル”は息づいている。
 いつもの食生活から伝統芸能まであらゆる部分に”シンプルであること”が隠れている。
 身の回りにあるどんなものにでも”単純さ”を見ることができる。

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 一時はその多くが、戦後の大規模な西洋文化流入と経済的発展によってかき消されてしまった時代もあった。

 派手で色とりどりで複雑であればあるほど良い。
 富裕で物にあふれていることこそが幸せ。
 働いて働いて、疲れた体で会社の愚痴を言うのがかっこいい。

 でも、そういう一時代を体験して、私たち日本人は思い出した。
 「やっぱりシンプルなほうがいい」と。

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 だからこそ、少なくない数の日本人が多くを持つことに飽き、多くを抱えることに疲れて、”ミニマル”を求めるようになった。
 その結果が、近年の”ミニマリスト”人気の高まりをもたらした。

 このミニマリズム気運の高まりこそが、私たち日本人が”シンプルであること”をずっと愛し続けてきた、それにもかかわらず忘れかけていたことの証拠になる。





"Simple Japan"

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 私たちはもともと”ミニマルな民族”であった。

 でも、いつからかその感性を鈍くし、捨てることではなく抱えることに愛着を覚えるようになった。
 そして”シンプルであること”の美しさを忘れかけた。

 ”ミニマル”を貫く人たちもいただろうが、そういう人たちも高度経済成長の大きな波に飲み込まれてしまった。

 しかし、それで終わりではなかった。
 日本人は思い出した。
 日本人はやっぱりシンプルが好きなのだ。
 コンパクトであり、シンプルであるものに「美」を見るのだ。

 それが、「日本人」という民族なのだ。

 日本人と”ミニマル”は決して切り離せない。
 たとえ一時的に豊かさに飲み込まれたとしても、何度でも”シンプルであること”に魅了される。
 私たちは何度でも思い出すだろう、「私たちが生まれながらにミニマリストだった」ということを。

 最後に「日本国国旗」を添付する。
 この国旗が日本人らしさをこれ以上ないほど的確に表現していると思うからだ。
 あなたはこのデザインを見てどう感じるだろうか。
 『ミニマルだろうか、それとも乱雑だろうか?』

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