『建築家のドローイングにみる<建築>の変容 −−ドローイングの古典、近代、ポストモダン』 20

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5.結

 本論では、中世から現代まで長いスパンにわたって建築のドローイングが変容する様をみてきた。

 第2章では、前近代において建築家に求められる職能や社会的な役割の変化とともに、ドローイングの性質と位置づけがどのように変化してきたかを概観した。その変化は建築家の職能の分化と対応しており、それに伴って増大してきた伝達の必要に答えるかたちで、記述の手法が徐々に確立され、記号体系として成熟してきたのである。これはいうなればドローイングの自律化の過程であり、ドローイング単体として価値を認められうるための地盤を用意するものでもあった。とはいえ2章で扱ったドローイングは、総括的には建物の代理表象として機能してするものであり、この点をもって<古典的なドローイング>として位置づけた。

 続く第3章では、前章で扱ったような「古典的ドローイング」には収まらない、新たなドローイングの伝達機能について見た。

 3章の各節では、近代建築において重要でありまた特徴的と考えられる建築家のドローイングをそれぞれ取り上げ、彼らの言説を手がかりにそのドローイングに託された独自の伝達のあり方を探っていった。ミース・ファン・デル・ローエのドローイングは、「構造的思考」と呼ばれる、方法論的な建築理念を伝達するものであり、またその明快な表現を目指して、強調や省略を伴った抽象化された表現が取られていた。またドゥースブルフやリシツキーなどのドローイングでは、近代に特徴的な軸測図の使用法を確認し、それが建物の実際の空間とは異なった「非局所性」「多形性」を持つ抽象的な空間表象を生み出し、それによって独自の建築空間のありようを伝達していることを見た。さらにまた、ジュゼッペ・テラーニやル・コルビュジェのドローイングに用いられたコラージュは、古典建築をはじめとした様々なイメージの並置によって、建築にコノタティブなイメージを付与し、新たな表象を形成伝達するものであった。これらの伝達は実現されるべき建物の単なる代理表象ではなく、それぞれが建物の形態には表され得ない<アンビルダブルな属性>を伝えるものであり、またそのような伝達は、ドローイングによってこそ可能なものだといえる。

 それらはまた、建築家が雑誌や展覧会、書籍などといった新たな表現の場を獲得し、特定のクライアントに限らない不特定の多数者に対して、直接的に自らの建築を提示し始めたことを示すものであり、いうなれば「宣言」としての機能を担ったものであった。前章の<古典的ドローイング>とは違う<近代的ドローイング>のこのような機能こそ、「近代建築」というムーブメントが大きな影響力を持ちえたことの大きな要因の一つである。

 第4章では、第3章で主題的に取り上げた「近代建築」に対してのアンチテーゼとして形成されてきたポストモダンの時代の建築を扱い、その独自のドローイングの機能に迫った。中でも「デコンストラクティヴィスト」として名指され、現在最もその活動が注目されている二人の建築家、ベルナール・チュミとダニエル・リベスキンドのドローイングを取り上げ、彼らの建築行為において、ドローイングが建物に対して二次的なものでは全くなく非常に高い位置に据えられ、独自の重要性を持つものとなっていることを確認した。

 彼らは、ちょうど現代音楽における図形楽譜と同じように、既存のドローイングの慣習を打ち破った独自の記譜法を発明し、それを用いることによって、既存の建築のあり方に対しての批判を提起した。そしてまた図形楽譜と同様に難解でもあり、建築ドローイングと呼ばれることすらも拒むかのような彼らのラディカルなドローイングは、建物の代理表象としての<古典的ドローイング>とも建築家の意図やイメージの伝達としての<近代的ドローイング>とも異なり、建築の「限界」や「謎」として機能し、既存の<建築>という概念を揺さぶり、内破させ、解体し、そして正にそこにおいて新たな<建築>が再構築されていく、そのような場としてのドローイングであった。このことを確認し、そしてこれを名づけて<ポストモダン・ドローイング>と呼んだ。

 このようなドローイングの表現上の変化は、音楽における記譜法が次第に精緻化し自律化する過程をたどった後に、その自律性を崩壊させるような図形楽譜というものの登場をみた、という変化とある程度パラレルに捉えうるものであるかもしれない。

 楽譜とドローイングの平行的比較の一例として、例えば菅野裕子は、楽譜の小節線と建築ドローイングにおける柱芯線との類似性を指摘し、ともに抽象的な分節の意識が芽生えたことの表れとして説明している。

「建築の図面では、空間的な位置を示すための補助線として、各部材の端から引かれていた線は、やがて柱の芯を通る線となり、より抽象的な空間座標系を示すようになったという変化があり、音楽の譜面では、音程を示す水平線に加え、時間座標としての垂直線である小節線が現れ、複数の旋律間の関係はより明確に示されるようになった。これらはどちらも建築や音楽を二次元上の図面あるいは譜面に書き記すための、記譜上の補助線であり、建築本体あるいは音楽本体ではない。」117*

このような平行関係が存在するのは、音楽と建築が、作者のみでは実現しえず演奏者や施工者などの他者を必要とし、そのために楽譜やドローイングを用いるという点で、類似の構造を有しているからである。

カルコシュカは『現代音楽の記譜法』において次のように述べている。

「音楽の記述はまず第一には、より複雑な音楽を築き上げ、保存し、伝えるための補助手段である。その際にしかし、ある一つの記譜法の技術的可能性はまた作曲という行為、いや、全ての音楽家の音楽的思考全体に影響を与える。こうした全ての時代において一つの音楽作品というものの音響的、また図像的なあり方は特徴をもって結合されているのである。」118*

 ここで「音楽」を「建築」、「記譜法」を「ドローイング」、作曲を「設計」、「音響的」を「空間的」などとそれぞれ読み替えれば、この文でいわれていることは本論におけるドローイングについてもまた適用しうるものであろう。<ドローイングの技術的可能性はまた設計という行為、いや全ての建築家の建築的思考全体に影響を与える>。その意味でドローイングの変容というものは建築行為自体の変化と不可避に結びついたものであり、またその影響関係は単に建築家がドローイングの表現を決定するというような一方向的なものではなく、ドローイングの表現によって新たな建築が生まれるというように両方向的なものであり、建築家に対しても影響力をもちうるものなのである。

 例えば<古典的ドローイング>から<近代的ドローイング>と至るドローイングの変化は、明らかに建築という行為が時代とともに建物を作る現場から離れ、非物質的な、コンセプチュアルな領域へと移ってきた過程と平行したものである。ただしそれは単に建築が変容し、その結果としてドローイングの描き出すものが変化することになった、というような受動的なものでない。むしろ、ドローイングにおいて試みられた様々な表現の開発が、それまでは<建築>の領野に入っていなかった様々な新しい問題を掘り起こし、それを顕在化させることによって<建築>自体を拡張してきた、というような積極的な関係にあるのである。

 しかしながらたとえこのような相互的な影響力を認めたとしても、カルコシュカが楽譜について言うように、通常のドローイングは畢竟「補助手段」でしかないということも出来る。その意味ではいまだ単体で鑑賞の対象となるような「作品」しての自律的価値をドローイングの中に認めることはできない。再びカルコシュカを引けば、

「だが全く一般的にいって、歴史が我々に教え、音楽家の直接の経験が確証することは、まず第一に重要なのは音であって音譜ではない、ということ、従って記譜の最も重要な機能は補助手段としてのそれである、ということである。現代の図形楽譜は初めて音響として生ずる結果とは部分的に独立の図形的な価値を作り出した。」119*

 音楽における楽譜が、真に「独立の」価値を有するものとなるのは、「図形楽譜」によってである。それらは演奏による楽譜=音楽の同一性を破壊することによってはじめて、奏でられる音楽とは異なった価値を有しうるのである。やはりこの事とパラレルに考えるならば、本論でいうところの<ポストモダン・ドローイング>こそが、独立した価値を持ちうるものであり、また最も高い価値を有しうるものであるという事も出来る(120*)。

 そしてまたこの<ポストモダン・ドローイング>という存在は、チュミが「建築が自分自身に目を向ける」と言い表したような、<建築>の自己批判の段階において生まれてきたものであった。このような建築行為の方向性の変化の過程は、例えば『藝術の終焉』においてアーサー・ダントーがヘーゲルに倣いつつ語ったような藝術の自己知のプロセスとして捉えることが出来るかもしれない。ダントーがこの論で主題的に論じているのは主に美術ジャンルの領域であるが、絵画が「模倣(リプリゼンテーション)」から「表現(エクスプレッション)」へと至り、そしてさらにその自己知の段階へと入るに至って、芸術は哲学的な問題へと変容するとされている(121*)。<古典的ドローイング>から<近代的ドローイング>へそしてさらに<ポストモダン・ドローイング>へという展開をこの過程とちょうどパラレルに、建築の「自己知」の過程として跡づけることも可能だろうか。

 同様に「図形楽譜」による音楽もまた、ある意味でこのような「自己知」の段階の音楽であるといってよいだろうが、興味深いことは、このような芸術上の「自己知」の段階への移行がドローイングや楽譜などといった、一般に二次的な手段と考えられるものによって担われ、周縁的な領域での革新によってなされるという点である。それは例えばちょうどメインストリームに対するアヴァンギャルドのように、周縁的なものであるからこそ、逸脱が可能な存在であるのだともいえる。そしてそれらはその境界位置において、逸脱行為を繰り返すことによって芸術を侵犯し、それを弁証法的に拡張していく。それらは周縁のものでありながらもしかし、この拡張を担うものとして自己知の段階の藝術にとってはもっとも重要な存在でありうる。なぜなら自己知の段階においては<藝術>や<建築>といったものの外延がまさに定義的な意味で主要な問題となるからである。

 ただし、<古典的ドローイング>から<近代的ドローイング>へ、そしてさらに<ポストモダン・ドローイング>へといったこのような展開を語る際に注意せねばならないことは、単線的な進歩史観によってそれを必要以上に単純化してしまわないようにすることである。そのように単純化された議論はしばしば考察として不十分なものに留まるばかりか、議論の枠組みに乗らない事例を切り捨て、それを排除してしまうという意味で危険でもある。ドローイングの変容の流れの諸所で、行きつ戻りつの逆行があり、枝分かれがあり、多くの例外が存在していたことを忘れてはならない(122*)。そもそも<古典的ドローイング><近代的ドローイング>と呼び、あたかも過去のものであるかのように扱ってきたこれらの図法も、多くの建築的実践の場においていまなお現役のものであり、むしろ数としては圧倒的に主流を占めているのであって、その意味では「変容」というよりも「拡張」ないし「多様化」という言葉遣いをした方が厳密かもしれない。

 とはいえ、本論の冒頭で掲げたようなルネサンスの時代のドローイングと、抽象化されコンセプトを強調された今日のプレゼンテーション・ドローイングとを比べてみれば、その伝達の内実と表現に明らかな違いがあることは誰の目にも明らかである。ましてや、リベスキンドの『マイクロメガス』とミケランジェロのドローイングと並べ、そこに違いを認めないということは全く不可能なことであろう。そして現在においては再現的なものからまったく理論的なものまであらゆるドローイングが可能であるのに対し、ルネサンスにおいては決してそうではない、という意味において、そこには明らかに不可逆的な歴史的展開を認めうるのである。

 ルネサンス期の建築家たちは間違いなく、『マイクロメガス』を建築としては認めないにちがいない。このことは一つには、彼らの考える建築と我々の考える建築がその外延において一致しないということを示しており、<建築>というものが決して一般的に考えられているほど単純で固定したものでもなければ、定義的に確定したものでもなく、常に変化してきたものであるという事実を改めて我々に気付かせる。そしてまた、『マンハッタン・トランスクリプツ』や『マイクロメガス』などといった<ポストモダン・ドローイング>は既存の建築の概念に対する批判であるが故に、異なった歴史的な地点においてはまったく建築的行為として機能しないであろうということを考えるなら、<建築>という行為自体が歴史性を切り離して考えられるものではなく、通時的な連関の中で位置づけられその意義を計られなければならないものだということを示している。

 以上見てきたように、建築家のドローイングというものは独自の歴史的展開を持っており、時代と社会状況の変化に反応しながら、建築の限界領域においてちょうどてこのような役割を果たし、常に<建築>を拡張させてきた。この意味ではドローイングは、<建築>における補助的な手段であるどころか、<建築>の先端でその可能性を掘り出し<建築>を作り上げていく、主要な構成体であるということが出来る。そして他ならぬこの拡張の運動によってドローイングは徐々に自らのテリトリーを広げ、その意義を拡大し、やがて建物をも超える価値を獲得していった。そしてその価値は<ポストモダン・ドローイング>において極を迎える。

 もし<ポストモダン・ドローイング>におけるこのようなドローイングの価値の高騰が、既に述べたように<建築>が「自己知」の段階に入ったことを示しているのだとすれば、ダントーの口吻を真似て「建築の終焉」を語ることも可能であろうか?この時、リベスキンドの『マイクロメガス』が持つあの黙示録的なサブタイトル――「終末空間の建築」とそれは名付けられていた――が奇妙な暗合として我々の脳裏をよぎるのである。

 これから<建築>は一体どこへ向かうのだろうか?本論を閉じるに当たって、その行方はドローイングこそが握っているのだと言うことも、もはや過言ではないだろう。


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117* 菅野裕子「線と面のあいだに」『ユリイカ』2003.03, p.188
118* エルハルト・カルコシュカ『現代音楽の記譜』, p.1
119* ibid.
浜田邦裕は図形楽譜とリベスキンドのドローイングの類似性を指摘するものの、最終的には「両者はいかにも似ていながら、その立つ理論的位置づけがあまりに異なるために見た目の形象比較以上に踏み込むわけにはかない」としてそのアナロジーを放棄する。(浜田邦裕「線の間を埋めるために」『ユリイカ』2003.03, p.176)しかし、本論でみたように両者にはその批判的な機能の点において、理論的にも同種のものがあると思われる。
Danto, The philosophical disenfranchisement of art, ”V: The End of Art”
本論では一貫して、時代と共にドローイングの価値が上昇していく過程について語ってきた。しかし、例えばアドルフ・ロースなどのように近代初頭においてもドローイングの価値を低く見、徹底して施工の現場にとどまろうとした建築家がいたことも事実である。本論では扱えなかった様々な例外については、他日を期する他ない。


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