№5954:「良い幸せ」と「悪い幸せ」
こんにちは。スモールジムで会長をやっている遠藤です。
2013年から「少人数型会員制オンラインビジネススクール(FBL大学)」を運営し、2020年から約20坪タイプの「スモールジム」を全国に展開中です(2024年度内に全国50店舗体制見込み)。
さて、昨日は「幸せと楽しいの違い」についての私見を記しました。
この「幸せ」を考えるときに絶対に外してはならない観点があります。
それは「その人自身は幸せだと思っているのに、その人が関わっている組織や周辺の人がまったく幸せそうにしていないケースが多々見られる」という事実です。
このことは、どこかでFBL大学内でシェアしようと思っている本にも「データ的に明らかになっている」と記されていました。
要は「人の幸せを犠牲にして自分だけ幸せになってる人が相当数いる」ということです。
例を挙げると以下のような人です。
ストレスの多い仕事を部下スタッフやまわりに押し付けて、自分はストレスから逃れているような人。
人を圧迫する態度によって、まわりに命令や要求を通すことで本人だけが王様的な幸せを得ているような人。
まさに権力にあぐらをかいた経営者や上司の姿です。
が、こういった「自分だけが幸せ」な結果が、部下スタッフや自分と関わる人たちの精神疾患等を生んでいきます。
実際、大半の会社はこの状態です
元気がいいのは経営者と、その側近だけ。
現場スタッフの多くは疲弊しまくっています。
上記の本ではこれを「悪い幸せ」と定義していました。
実にわかりやすいと思います。
では「良い幸せ」とは何か?
それは「自分の幸せだけではなく、周りの人を含む幸せの総量を増やす幸せ」です。
これも見事な定義だと思います。
「幸せな集団=周囲を元気にする人たちの集団」ということが科学的にも示されているという記載もありました。
ということは「幸せになるためには、人を幸せにする集団の一員になることが必要である」ということがわかります。
ひとりでなにかをやっていても「お互いが与え合う」ということをしない限り、個人的には「楽しい」とか「幸せ」と感じても「良い幸せにはならない」ということです。
逆から言えば「(幸せな集団の一員として)人の幸せに貢献している人は幸せである」ということができます。
「幸せ」とか「幸福」という言葉からはスピリチュアル的なにおいがするので好まない人もいるでしょう。
が、「幸せ」を「自分を元気にして、周りの人を元気にすること」と捉えれば、その抵抗も減じるのではないかと思います。
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