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[短編小説] 明日を繋ぐ縁~一畑電車大社線出雲大社前駅

 赤いハンカチーフを右手でハラリと宙に舞わせ、無数のトランプがシルクハットから華麗に舞い上がる、はずだった。
 シルクハットが左手から僅かにずれ、トランプは無残にバラバラと床に落ちた。空席の目立つ客席から聞こえた中年男性の失笑が、散らばったトランプを拾う背中に突き刺さった。
 「もう呼んでもらえないかもな」
 先輩がバックステージでぼそっと呟いた。
 そうかもな、と自分でも感じた。

 薄い引き戸をバタバタ叩き、僅かに開いた隙間から音をたてて吹き抜ける秋風が、沈む思いをより一層揺り動かす。
 発車直後に駅に着いたので、次の電車まで50分は待つことになる。どうせ次の舞台が決まってないのだから、急ぐ必要はない。
 ただ、人気の少ない、しかも見ず知らずの駅の中で、こんな気持ちで時間が経つのを待つのは、孤独に押し潰されそうで、嫌いだ。

 肩を落としてベンチに腰をおろして、何分経っただろうか。
 切符はどこにしまったのだろう。慌ててパーカー、ジーンズのポケットや、ボロボロのバッグの中を探したが見つからない。背中が汗でじんわりと湿る。切符代だってバカにならないんだ。
 どこまでついていない。こんなはずじゃなかった。いつまでこんな日々を続けていくつもりだ。
 両手で頭を抱え、小刻みに震える姿は、小柄で痩せた身体を余計に小さく見せるものだった。

 「これ、あんたのやつじゃないかねぇ」
 顔を上げると、見知らぬお婆さんが、薄く小さい紙の切符を差し出して、心配そうに自分を見つめていた。ぶっきらぼうな言葉も、柔らかな訛りのお蔭で優しく響いてくる。
 切符は背中合わせのベンチの下に、知らぬ間に飛んでいったようだ。

 ほっとして、思わず気の抜けた顔になっていた。
 「本当にありがとうございました。これがないと帰れなくなるところでした」
 「失くさんでほんによかったねぇ…あらお兄ちゃん、手品さいかね」
 いつもよりきっと少し綺麗な恰好をしているようであるそのお婆さんは、バッグの口からはみ出たステッキに気付いてそう言った。
 「えぇ。道具なくてもできますよ」
 そう言って右の掌をググッと捻って赤い花を一つ出して見せると、お婆さんは想像していた以上に驚き、手を叩いて喜んでくれた。

 「わぁ、綺麗だわ。凄いねぇ」
 年配の方を相手に思うのは失礼なのかも知れないが、その無邪気な笑顔を見て、自然と笑みがこぼれた。

 「孫がなかなか結婚できんけん、大社さんでお守り貰いに行ってきたわね」
 可愛い孫娘のために、3つ隣の駅から電車に乗ってお参りに来たのだ。お気に入りの服を着て、ちょっとだけお化粧をして。血色のいい、綺麗な顔をしている。
 今日はハレの日、特別な日なのだ。
 「お兄ちゃんの手品、私は好きだで。そうそう、あんた笑っとるほうがいいわ。えらい男前になぁがね」
 そうだ、あの会場にいた人達にとっても、あの場はハレの場であったんだよな。上手くやらなくちゃっていったって、そんな場でしかめっ面してやってちゃ、ダメだよ…

 白壁の小さなターミナルに乗車を促すアナウンスが流れた。重いバッグを持ち上げる手に力を込め、黄色い電車に乗り込んだ。
 「次の駅で乗り継ぎだけんね、忘れぇだないよ」
 小さなホームに立って、また優しい笑顔で手を振ってくれるから、胸が熱くてなんだか苦しくなったじゃないか…

 ガタゴト。ガタゴト。
 閑な風景を背に電車に揺られながら、心に決めたことがある。
 もう一度、いや何度でもやってみよう。誰かの一日をちょっとでも幸せにできるのなら。僕の笑顔が誰かを笑顔にして、そうして僕もまた笑顔になって…笑顔の輪をぐるぐる回せる、そんな存在になろう。
 今が駄目でも、いつかはきっと。
 「私は好きだで、か…」

 休日、ビル街の歩行者天国の冷たい路上。
 重い鉛色の曇天を見上げた。同じような空の日、赤い花を見て笑った、花より綺麗なあなたの笑顔で、僕は今日もやっていけます。
 幼い男の子が立ち止まって、僕の手の所作をじっと見つめている。
 僕はしゃがんで、何もない両掌からトランプを何枚も彼の目の前で出して見せ、ニッと笑ってみせた。

 ― あなたは今日も、あの日のように笑っていてくれていますか? 今日の僕は、うまく笑えていますか?

(※この文章は、作者本人が運営していたSSブログ(So-netブログ)に公開していたものを転記し加筆修正したものです。)

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