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レア

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2019年10月の記事一覧

#2

それでも一日中、布団の上げ下げ、お膳立て、掃除、洗濯はまだ機械に任せる訳にはいかない時代である。
 シーツや掛け布団、枕カバー、浴衣は糊付けしきちんと畳みアイロンをかける。予約を確認して帳簿をつける。
 おかげで、和服の折り方と膳の作り方だけは今でも覚えている。
お茶屋、八百屋、魚屋に肉屋の御用聞きが、
「今日はいかがですか?」と入れ替わり立ち替わりに来る。その他諸々の雑用がある。我が儘な客

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明治生まれのモガ

私の周りの人たちの話をしよう。
 私の家は、その昔はそれなりに栄えた港町で、旅館を営んでいた。
 旅館と言っても、商人宿で二十人も入れば満室になる程度の小さい宿屋である。

祖母の代から始まって、百年近くのなる。今日は、その婆さんの話から始めようと思う。
 私は祖母を「おばば」と呼んでいた。お祖母はいつも藍色の地の小紋を普段着に、綺麗な背すじの通った姿で、さっさっさと步く。娘達や孫たちに、
 

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5

 背中まで痛みが広がって、横になっても苦痛で結局、ソファーの下に座って頭をテーブルに付したままで、明け方、人がこれ以上眠りに堕ちる限界まで起きているとね、感情が無くなるんだ。何かを欲する事も諦めてしまう。元々痩せている身体が少ない筋肉まで奪って、40kg だった体重があっという間に31kgまで落ちていた。あの時…暗い部屋で、テレビから明るいわざとらしい笑い声が聴こえて、それがうっとうしくて、腹ただ

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4

ッフッ、ハハハ、ハハハ…
 そんな顔しないで良いって!
 誤解しないで欲しい。
 僕これでも昔はけっこうモテたし、親友の一人や二人はいる。
 馬鹿騒ぎする仲間達もね。ちょっと悪さをして、繁華街のお廻りとは顔見知りにもなれた。
 素敵な恋もした。良い出会いもたくさんある。
 本当に楽しい人生を送らせてもらった。
 時々、僕に社会的に意見や考え方、怒りを聞き出そうとする輩が現れる。まったくね。
 「そ

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3

それでも辛うじて、心臓は動いていた。
 僕のココは。
 兄に言わせれば、僕はココに毛が生えているんだって。失礼だと思うだろう?
…でも…この心臓で僕はここで今君と出逢って、昔話をしている。暮れ行く紫色の空を眺めながら、少し感傷的になって、照れながらね。ッフッ。
 そんな顔しないで。
 はぁ、ここからが本題なのに、みんな同じ顔する…そうやって現実を見ようとしないんだ。僕に近づこうとするけど、誰も僕

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3

その日の夕方、
最後の陣痛促進剤を打った。医者は産まれるのは夜中だろうと言っていたそうだ。
 ところがだ…ちょうど夕飯時で看護師達は休憩時間それぞれの家や休憩室に戻り、医者と当番の看護師一人は、急患が入り往診に出掛けて居ない中、歯車が合うように、動き出すから…
 不思議だろう?
 産気づいて十分もしなかった。母は自分で僕の顎を掴んで引っ張り出したんだ。
 そして、叫んだ。何度も…
 「助けて、助

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2

妊娠八ヶ月に入る間際、母は急に歩けなくなり、呼吸も出来なくなった。産気づいた訳じゃない、「常位胎盤早期剥離」と言うそうだ。今は直ぐに帝王切開し母子も無事に助けられるらしいが、小さな町の何でも屋の産科医院では、治療知識も技術も無い事は、容易に想像できる。
僕はね、七日間母を苦しめたんだ。
分娩促進剤を一日二回も打っても、硬くなった子宮口開かない、そう言えば、つわりもひどくて産まれるまで続いたって

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