明治生まれのモガ

私の周りの人たちの話をしよう。
 私の家は、その昔はそれなりに栄えた港町で、旅館を営んでいた。
 旅館と言っても、商人宿で二十人も入れば満室になる程度の小さい宿屋である。

祖母の代から始まって、百年近くのなる。今日は、その婆さんの話から始めようと思う。
 私は祖母を「おばば」と呼んでいた。お祖母はいつも藍色の地の小紋を普段着に、綺麗な背すじの通った姿で、さっさっさと步く。娘達や孫たちに、
 「ジタバタ步くんじゃないよ!埃が立つんだから。」
 とズナル。(怒鳴る。)夕方、お膳の仕立てがひと段落すると、台所の隅にある帳簿卓にスッと腰を下ろして、キセルを吸いながら嫁さん、つまり私の母や女中さん達の動きを横目し、ラジオから相撲中継やら、落語、 浪曲が流れていた。それらをお祖母が好きであったか如何か私は知らない、まだ白黒テレビが出始めた頃の話でウチには二階の客室の間に奥まった所にわざわざ「テレビ室」と言う間を拵えてあってお内裏様のように大事に飾ってある
 私たち内の者は滅多に二階に上がれない。特別な娯楽であった。
旅館の仕事は、日が上がる前から、夜.客の一人が寝静まるまである。客が飲み歩き、夜通し帰って来ないと、鍵を開けて待って居なければならない。夜明け前に立たなくてはならない客がいれば、その前に炭をおこし、火鉢やかまどに火をつける。私の生まれた頃は、それでもまだ石炭ストーブとガス窯になって居た。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?