ボクが日記を手放した理由(思い出は、心の中に)
こんにちは、カズマです。
梅雨シーズンの真っ只中、突然スコールが降ったりやんだりするなど不安定な天候が続いてます。
湿気MAXな中、部屋で過ごす際はエアコンをつけるようになりました。
電気料金の値上げが行われた今ではなるべく節電を心がけてますが、
流石にこのまとわりつく暑さと湿度には耐えられませんでした😓。
梅雨ならではの湿気と気圧の変化による影響なのか、メンタルが下降気味で何をするにも億劫に感じてました。このnoteもそうですしYoutubeもここ最近は全然撮ってませんでした。先日久々に撮りましたが、今ひとつパっとしない感じがするので、もしかしたらお蔵入りになるかもしれません・・・
はい、そんな感じで前置きはこの辺にしておきます。
今回はタイトルにもあるとおり、
ボクが日記を手放した理由について話したいと思います。
(決して紙のノートを否定するわけではありませんので、その辺は誤解のないように)
※ここで言う日記というのは「紙のノートブック」のことを表します。
これまでボクは紙のノートに日々思ったことを書き続けてきました。
最初に書き始めたのは小学5年生の頃で、
それから中学・高校ともにその日感じたことや起きた出来事について書いてました。流石に毎日とまではいかないですが、一年の中で特に印象的だったことを書くようにしてたので、決して無理やり書いてたというわけではありません。
社会人になってからは仕事が忙しいことや、前職で鬱寸前まで追いやられたことや帯状疱疹を患った時は全然書きたい気持ちになれませんでしたが、
なるべくその日の気分に合わせて書くようにはしてました。
書き続けていた時期もあれば全然手に取らなかった時期もありましたが、
昨年のEU旅終盤辺りではブルガリアの首都ソフィアで買ったノートにそれまでの道中目にした周辺国の景色や当時の心境について延々と書いてました。
前回の記事でも話しましたが、
昨年8月にギリシャで盗難にあったことでPCとカメラを失ったことにより、他にやることがなかったのと、なんとなく本音というか思ったことを紙に書いた方が落ち着くし、気持ち的にもスッキリすると思ったので、ブルガリアでノートブックを買ってから帰国便を手配したドイツのフランクフルト空港までずーっと書いてました。
けどミニマリストとして極力モノを持たない生活をするようになった今、
おそらくこれを読んでる人の中には
「えぇ、何で!?」
「思い出を捨てるなんてどうかしてる!」
「過去の記録は残すのが当たり前でしょ」
なんていう風に思う方もいらっしゃるかもしれません。
思い出の品を処分する直前はずっと手元に残したい・思い出の価値があるものだから手放したくないっていう感じで考えてはいたのですが、
今後のことを考え、潔く放り出すことにしました。
手放した理由は下記にまとめました。
そして一番の理由は、
その昔体験した苦い思い出であったり、ボクの場合は10代の学生時代を思い出したくない、二度と学校関係のものに触れたくないし金輪際関わりたくない気持ちは今でも強く残ってるので、もう掘り起こすようなことはしたくないと思ったんです。
どうしても過去に起きたことや、それらに関連するものを目にする度に10代の頃の記憶が頭の中を通り過ぎることが多々あるため、ボクはそれがとてつもなく不快に感じるからです。
よってこれらのものを連想することや、その当時の自分を思い出す度に悲しい気持ちや憎しみに近い感情を抱いてしまいそうになるのを避けるため、
ボクは手放すことにしました。
(卒業アルバムだって「持つ意味あるの?」と疑問に感じたりもします)
もちろん中には良い思い出もありますし、
過去に出会った人々の中では本当にお世話になった方々と話した時の思い出も中にはあります。
しかしそういった思い出に浸りすぎると何もできなくなる、それらが足かせとなって身動きが取れなくなる場合もあります。
それは過去に起きた失敗を気にしてしまったり、それが原因で新しいことに挑戦しようという気持ちが薄れてしまうからです。
人間の脳というのは過去に経験したことを元にこの先自分がやろうとすることや今後の選択肢に関して考える傾向にあります。もちろんその気持はわからなくもないですが、
極端に過去の失敗にこだわりすぎてしまうと、それが原因で決断するのに物凄い時間がかかったりまたは結局何もできずにそのまま見送ってしまうケースも中にはあります。
※実際ボクも過去にそういった経験は何度かありました。
昔書いた日記を読む度に
「あ〜この時はこんな心境だったな」
「この頃はとにかく大変だったわ〜」など
色々思い出すこともありますが、時には虚しい気持ちになることもあります。
かつて10代の頃に学校内で起きた陰湿ないじめという名の加害行為(もはや犯罪に等しい)を受けたり、親友だと思っていた同級生による裏切りによって人間不信になったこともあり、その他に起きた不愉快な出来事を引き起こす恐れがあると判断し、ボクはそれまで書き続けた日記を全て処分することにしました。
昔やってたゲームでファイナルファンタジー10という今でも強く残る名作ゲームをやっていた時、劇中に登場するキャラクターの一人がこう話してました。
「思い出は心の中に。思い出は優しいから、甘えちゃダメなの!」
なんらかの拍子で過去の栄光であったり、その昔自分にとって良かった思い出に浸りすぎると今後の行動に支障をきたす恐れがあるのかもしれませんが、感情的な面もふくめて彼女は極力思い出というか過去にこだわらないようにしていたのかもしれないですね。
※あくまでもボク個人の想像ですので、この辺はスルーしてください笑。
これだけ綴っているとあたかも紙のノートで日記を書くことを否定してるように見えるかもしれませんが、決してそんなつもりは全くありません。
もちろんボクも稀に手帳か何かにメモするついでに感想を綴ったり、印象に残ったことを書き残すこともあります。
しかしそれらの物を保管し続けるとモノで溢れかえってしまうので、ある程度の日数というか期間が過ぎたら処分することにしています。
それに今となってはこのnoteもそうですし、はてなブログやAmeba Blogなどその他に無料で綴ることのできる日記アプリやweb上でのブログサービスというものが沢山あるので、それらの物を活用するのが妥当かなと思ったりもします。
もちろんそれらのサービスも提供元の意向によって突然なくなることも決してなくはないですが、まぁその時になってから考えればいいだけのことで。
あまりこだわらないほうが精神衛生上、かえって楽になれるかもしれないですし、何事も程々に留めておくのが妥当かなと個人的にはそう思います。
過去に起きた出来事を悔やんでも結果は変わらないので、それよりも今できること、自分が今やりたいことに専念するのが一番なわけでして、
いずれも今やるべきこと、今自分がなすべきことにフォーカスを当てるのが一番いいのではないかと思った次第です。
というわけで今回は日記に関連することについて綴りました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
次回、お会いしましょう。
Thank you for reading to the end.
I hope you enjoy your life.
Have a good day.
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