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身体は諦めてなかった

先日MARUUさんの記事「変わらない日々」を読みました。
43歳で不妊治療した結果、子どもを持たないと決めたという話。

私は今、息子がいて、不妊治療もしてるわけじゃないし、妊活をしているわけでもない。だから全然状況も違う。
だけど、この記事を読んで、すごく心が動かされ、感じたことがあったので書こうと思います。

私は今37歳です。息子は4歳。
息子を妊娠した時、二卵性の双子だった。
だけど、一人、心音が確認できたすぐ後に天国に旅立ってしまった。

私には双子を育てられる器が無かったのかと、ひどく落ち込んだし、その子にごめんねと思った。会いたかった。

その時、また来てね、今度こそ産んであげるからね。とも思った。

そんな思いがあったからか、子どもは何人か欲しかった。

二人目なんてすぐに考えられるような余裕もなかったけど、私も当然2人目を産むのだろうと勝手に思っていた。

夫に2人目の話をした時に、全く望んでいないことが分かって、なんとも言えないショックだったことを覚えている。
息子の事も、私の事もなんだか否定されたような気持だった。

そのあたりから、夫との関係がどんどん悪くなり、離婚寸前までいった。
(以前記事にも書いたので興味のある方はどうぞ→

その頃には、もう二人目とか私自身も全く考えられなくなっていて、むしろ、この人との子どもはこの先産むことはないだろう、、、。とさえ思っていた。

関係が最悪なままNYに渡米して、いろいろな事がきっかけに修復されていった。それだけで奇跡だと思った。

普通の夫婦とは違うかもしれないけど、私たちなりのパートナーシップを築いていこうと思えるまでになった。

私は息子がいてくれるだけで幸せだったし、今は自分の事をやりたいから、もう子育てはいいかな、、、。と本心で思っていた。

だけど、そんな中、ふと考える時がある。

私がもう子どもを産むことはないのか、、、。

あの時空に旅立ったあの子に会えることはないのか、、、。

息子がお兄ちゃんになる姿も見て見たかったな、、、。

少し寂しい気持ちになる。

もし、夫が、子どもは何人でも欲しいよね~!っていうタイプの人間だったら、きっと私はもう一人は産んでいただろう。
そう考えると、この人の考え一つで、私の大きな望みがかなわなくなってしまうんだ、、、。と悲観的になった時もあった。

でも、時がたつにつれて、気持ちの折り合いもついて、
息子がもう少し大きくなって落ち着いたら、保護猫や保護犬を引き取ってたくさん愛情を注ごう。そんな人生もいいんじゃない。そんな風に思っていた。ほんとに。素直に。強がりじゃなくてね。

だけど、MARUUさんの記事を読んで、私は気付いた。

私は本当の意味では諦めていなかったんだって。

私は37歳、日本でいうと高齢に入ってしまうけど、まだ産める年齢だ。産める年齢ということだけで、可能性としては0%じゃないって思っている自分がいた。

頭では諦めているんだけど、身体が諦めていなかったんだな、、、ってね。

私の身体が、本当に産めなくなってしまう年頃になって、ようやく私は本当に腹の底から諦めるんだな、、、。と実感してしまった。

あぁ、私はきっとその時に、まだ見ぬあの子に、今世では産めない、でも愛してるよ。って言うんだな、、、。

そう思ったら、涙があふれた。

今いる息子に感謝の気持ちやら、ごちゃごちゃに感情がが入り混じった。

(もうすでに一人いるんだから、いいじゃないか!と言われそうだけど、
そうおもったんです。もし、不快な思いされた方がいたらごめんなさい。)

私は、このMARUUさんの「変わらない日々」は、たくさんの人に読んでもらいたいなと思いました。

不妊治療している人、セックスレスな人、気持ちの不一致で子どもを持たない人、高齢でこどもが欲しいと気付いた人、、、、、

それぞれ願望はあって、でも思う通りにならなくて、無理やりどうにかすることもできない問題、、、だからどこかで折り合いをつけていく。
夫婦ってそんなことの連続だったりする。。。

女性側も男性側も、当たり前だけどそれぞれの立場があって、
その気持ちがお互いに置いてきぼりにならないように慎重に事を運ぶ必要があることも良く分かる。身体のつくりも違うのだから、気持ちに温度差があって当たり前だとも思う。

私の夫は、少しMARUUさんの夫さんのフライパンさんに似ている部分がある。変化が特に苦手だ。だから家族の構築は苦手中の苦手だと思う。

でも、今となってはよく分かる、
夫は、私とまだ見ぬ子どもを突き放すつもりで「二人目はいらない。」といったわけではない事。
夫は夫の立場で言葉にすることができない感情が渦巻いている中、出てきた言葉だって事。

MARUUさんが、まだ見ぬ子どもに、「愛してるよ」と伝えたことを夫のフライパンさんに伝えたとき、フライパンさんがいきなり号泣するシーン。

私も泣いた。

私は、その「愛しているよ」と伝えたこと、そして伝わったと感じたことが、何よりも、「癒し」になったのだろうと感じた。
そして「許し」なんだな。って。

まだ見ぬあの子への、

産めなかった自分の身体への、

産まないと選択した自分への、、、。

「変わらない日々」を読んで、それぞれに感じることがあると思うんです。

私は、二人目を産める身体だけど、もう産むことはないんだろう、、、と頭では理解して受け入れているという立場で読ませていただきました。
そして、本当の自分の感情をまた一つ知る事が出来ました。

MARUUさん、「変わらない日々」を書いてくださって、
ありがとうございました。

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