Kazuki Wada

指揮者の和田一樹です。オーケストラを中心に活動しています。ここでは音楽、主にクラシック…

Kazuki Wada

指揮者の和田一樹です。オーケストラを中心に活動しています。ここでは音楽、主にクラシック音楽について書きたいと思います。 ホームページ:http://ecolive.co.jp

最近の記事

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハについて

C.P.EバッハはJ.S.バッハ(大バッハ)の次男に当たりますが、父の影響もですが、主にテレマンからの影響を受けた作曲家です。 プロイセン王国の皇太子、フリードリヒの所にチェンバロ奏者として勤めますが、彼がフリードリヒ2世として国王になると、一緒にベルリンへ旅立ちます。 作曲家としての名声も上がって来た頃、師匠でもあったテレマンの死を聞き、フリードリヒ2世の制止を振り切り、ベルリンを去りハンブルクへ。テレマンの務めていた楽団の楽長になった。彼はチェンバロからクラヴィーア、

    • A.ドヴォルザークについて 10 弦楽セレナード第5楽章編

      さあ、いよいよ最後の楽章へと来ました。 第5楽章 終曲 アレグロ・ヴィヴァーチェ 嬰へ短調ーホ長調 ロンド・ソナタ形式 ロンド主題A  1〜30小節 (30) Bテーマ   31〜46小節 (16) ロンド主題A 47〜 85小節(39) Cテーマ   86〜157小節(72) 4楽章のテーマが入った経過部 158〜173小節(16) ロンド主題A 174〜199小節(26) Bテーマ   200〜286小節(87) Cテーマ   287〜342小節(56) 1楽

      • A.ドヴォルザークについて 9 弦楽セレナード第4楽章編

        第4楽章 ラルゲット イ長調 4分の2拍子 3部形式 主題部  1〜46 小節(46)A-dur 中間部 47〜67 小節(21)cis-moll 主題部 68〜102小節(35)A-dur 単純な形式の中、ドゥムカ的な美しい曲です。 ドゥムカとはスラヴ語で「思い」や「瞑想」といった意味のがあると言われています。スラブ舞曲の10番もドゥムカと言われていますね。ここでも調性関係は3楽章と同じく三度の関係を維持ですが、同主短調のfis-mollの属調に当たるcis-moll

        • A.ドヴォルザークについて 8 弦楽セレナード第3楽章編

          少し時間が空いてしまいましたが、3楽章です! 3楽章といえばスケルツォですし速い3拍子が、定番なのですが、ここでは2拍子のスケルツォとなっています。基本的な楽章の組み方は例えば、 急 緩 急 急 や 急 急 緩 急 などがあります。この3つ目の急の所にスケルツォを置くことが多く、特に交響曲ではこの場所にメヌエット、時代が進みスケルツォ、そしてチャイコフスキーですとワルツを配置するようになりました。そう言えばチャイコフスキーの弦楽セレナードは2曲めにワルツを置いていま

        カール・フィリップ・エマヌエル・バッハについて

          A.ドヴォルザークについて 7 弦楽セレナード第2楽章編

          第2楽章へ突入です。 第2楽章 テンポ・ディ・ヴァルス 嬰ハ短調 4分の3拍子 三部形式 ワルツ ワルツA 1〜20小節(40)リピートあり ワルツB 21〜54小節(64)リピートあり ワルツA 55〜76小節(21)リピートなし トリオ トリオA 80〜119(78)リピートあり トリオB 120〜139(27)一部リピートあり トリオC 140〜165(25)リピートなし トリオA 166〜205(39)リピートなし ワルツ(センツァレペティツィオーネ 繰り返し

          A.ドヴォルザークについて 7 弦楽セレナード第2楽章編

          A.ドヴォルザークについて 6 弦楽セレナード第1楽章編

          ただいま弦楽セレナード楽曲解説中ですが、本日は1楽章。 第1楽章は三部形式ですが、ちょっと構造を見ていきましょう。 第1部 1〜30小節  E-dur 第2部 30〜53小節 G-dur 第3部 54〜85小節 E-dur 気持ちいくらいの三部形式・・・。第1部と第3部は小節数もほぼ同じ。 前回お伝えしたように、この曲の最大の特徴、それは、カノンです。第1楽章でもスタートからセカンドヴァイオリンとチェロによるカノンが展開されてスタートです。そして曲調は滑らかな優雅なメ

          A.ドヴォルザークについて 6 弦楽セレナード第1楽章編

          A.ドヴォルザークについて 5 弦楽セレナード編

          さて、いよいよ5回です。焦らしまくりですが、4回の復習です。 何と言っても オーストリア文化教育省が提唱した国家奨学金ですよ。 これはチェコにも適用されたために、ドヴォルザークが1874年から5年連続受賞することができました。初受賞後、大張り切りで作曲に力が入ります! 弦楽五重奏ト長調Op.77 モラヴィア二重唱曲集Op.20 ピアノ三重奏曲変ロ長調Op.21 弦楽セレナードホ長調Op.22 ピアノ四重奏曲ニ長調Op.23 交響曲第5番Op.7(旧番号はOp.24) オペ

          A.ドヴォルザークについて 5 弦楽セレナード編

          A.ドヴォルザークについて 4

          それでは前回の3回の復習です。 音楽学校卒業後、1859年18歳でカレルコムザーク楽団でヴィオラを弾きながら、作曲も続け、その後首席指揮者でやって来たスメタナの薫陶を受け、1871年30歳で初めて公の場所で作品が演奏され、1873年32歳の時に賛歌「白山の後継者たち」(Op.30)初演で、作曲家として最初の成功を収める。 という話でしたが、青年期の話は面白くないのでしょうか、この3回は閲覧件数が著しく悪い・・・。もっとちゃんと書きますね・・・。 もう一つだけ覚えていて欲

          A.ドヴォルザークについて 4

          A.ドヴォルザークについて 3

          さて、3回目です。1回、2回と、ドヴォルザークの生まれた時代背景と、生まれてから作曲家として独り立ちするまでお話してきました。今日は、作曲家として独立をしたドヴォルザークが、どうやってその名声を得るまでになったかをお話ししていきたいと思います。 ちょっとだけ話を戻しますが、ドヴォルザークが卒業後、所属していた楽団といえば、カレル・コムザーク楽団でしたが、この楽団に1871年に指揮者として迎えられたのがスメタナ。彼のもとで演奏し、1871年に退団するまで、彼からたくさんの薫陶

          A.ドヴォルザークについて 3

          A.ドヴォルザークについて 2

          さて、前回は、ドヴォルザークの弦楽セレナード、チェロ協奏曲についてお話をしようと思ったのですが、ドヴォルザークの生まれた状況についてお話ししました。これはなかなか曲の話までは行けそうにないですねw それでは前回のお話の重要なポイントの復習です。 15世紀にカトリック教会を批判したフス。フス派ができフス戦争勃発するが急進派は敗れ、穏健派は信仰の自由が認められ、何とか存続。1517年ドイツの宗教改革の時、フス穏健派はプロテスタントに合流。ところが1617年、ベーメン王となった

          A.ドヴォルザークについて 2

          A.ドヴォルザークについて 1

          初めてnoteに書いております。これからどうぞお付き合いください。 ドヴォルザークの弦楽セレナードという曲があります。これは弦楽アンサンブルというジャンルの中ではチャイコフスキーやエルガーの作品と並んで最もポピュラーな作品の一つです。そしてチェロ協奏曲。こちらはチェロ協奏曲の作品の中でも最もポピュラーと言われる曲です。そして交響曲。特に第9番「新世界」は交響曲史上で最もポピュラーな作品の一つです。今年はベートーヴェンイヤーですが、ドヴォルザークを取り上げる演奏会が多いので、

          A.ドヴォルザークについて 1