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カール・フィリップ・エマヌエル・バッハについて

C.P.EバッハはJ.S.バッハ(大バッハ)の次男に当たりますが、父の影響もですが、主にテレマンからの影響を受けた作曲家です。

プロイセン王国の皇太子、フリードリヒの所にチェンバロ奏者として勤めますが、彼がフリードリヒ2世として国王になると、一緒にベルリンへ旅立ちます。

作曲家としての名声も上がって来た頃、師匠でもあったテレマンの死を聞き、フリードリヒ2世の制止を振り切り、ベルリンを去りハンブルクへ。テレマンの務めていた楽団の楽長になった。彼はチェンバロからクラヴィーア、フォルテピアノにも興味を持ち、のちに「正しいクラヴィーア奏法への試論」という教則本を書き、後世の音楽家たちに多大な影響を与えた。

ちなみにフリードリヒ2世は民衆から大王と呼ばれ、作曲もこなし、フルートの演奏に長けていた。そのため、C.P.Eバッハのフルート作品のうち9割は、このベルリンの時期に書かれている。そして、そのほかにも有名な作曲家たちが大王のためにフルートの曲を書き上げた。その作曲家の一人クバンツは、大王のフルートの教師であっただけではなく、「フルート奏法試論」という教則本を書き、後世に残した。

ちなみに三大教則本と言われるのが

1752年
ヨアヒム・ヨハン・クバンツ「フルート奏法試論」

1753年
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ「正しいクラヴィーア奏法への試論」

1756年
レオポルト・モーツァルト「ヴァイオリン奏法」

である。何と現在でも購入し読むことができるこの教則本は、ぜひ一度読んでいただきたい歴史的遺産といっても過言ではない!



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