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#4「怒り」について(2)

●前回の記事: #3「怒り」について(1)

前回「怒り」というネガティヴな感情について、「怒りがわく原因」についてお話ししました。その背景には、「自分が何らかの形で被害に遭っている・困っている」という気持ちがあるからです。

「被害に遭う」と困ってしまうのは、「自分の守るべき領域が侵されている」からです。この「守るべき領域」を「境界線」と呼ぶことにしましょう。自分の「境界線」が侵されるような出来事が起こると、自分を守るために、「緊急事態発生!直ちに防衛態勢に入りなさい!」と言わんばかりに、「怒り」という感情がわくのです。

人はみな、自分の「境界線」をそれぞれ違った形で持っています。他者と接すると、この「境界線」の違いに戸惑うことがあります。

例えば、前回の記事でもあげましたが、自分の友達が「太っている人はダイエットしたほうがいい。」という考えで自分にアドバイスをしてくれた場合、「別に太っていても構わない」と思っている自分にとって、友達のそのアドバイスは、踏み込んできてほしくない自分の境界線を越えてきたことになり、その結果、場合によっては心が傷ついて、その後、自分を守るために「怒り」の感情がわくということです。「場合によっては」と書いたのは、人によっては傷ついたり、怒りの感情がわいたりしないこともあるからです。

先ほどの例に戻って、もう少し掘り下げてみます。「友達がしてくれたアドバイスが自分の境界線を越えてきたから怒りの感情がわいた」ということですが、それは自分の考えの中に「友達は自分が傷つくようなことを言ってほしくない」とか「友達でも自分の境界線を越えてきてほしくない」「友達ならもっと思いやりのある態度で接してほしい」といった、友達というものに対する自分自身の考え方・価値観があり、それと違っている(ずれている)ことが、怒りの感情がわく背景にあるからです。

この、友達というものに対する自分自身の価値観や考え方を「役割期待」と呼びます。なので先ほどの例は、自分の友達に対する「役割期待のずれ」が「怒り」の感情がわく背景にあります。

「役割期待」についてもう少し話してみます。例えば前回に書いたこの話。

私の仕事が長引いてしまい、夜遅くに疲れて帰ってくると、先に帰っていた夫はビールを飲みながらゴロゴロしています。キッチンを見ると、洗い物の山。それに私の夕食を代わりに作ってくれているような形跡もありません。思わず、ため息をついていると、テレビを見ている夫がへらへらと笑っています。

「テレビ見てゴロゴロしているんだったら、せめて洗い物ぐらいしてよ!私だって仕事して帰ってきているんだよ!」

とイラっとして怒ってしまいました。

この背景には「家事は妻だけがやることではない」「夫にも家事を手伝ってほしい」「お互い共働きで大変なのだから、家のことはお互い思いやりをもって気遣ってほしい」といった、夫に対する「役割期待」があります。その「役割期待がずれている」ため、仕事で疲れて帰ってきているのに自分だけが家事をしないといけないという状況を、「被害に遭っている」「自分が困った状況にある」ととらえ、「怒り(心の悲鳴)」となって表れてしまったのです。

なので、「怒り」という感情をコントロールするには、ただ怒りを抑えるのではなく、自分の「境界線」をしっかりとしたものにして、「役割期待のずれ」を調整することが必要です。次回はその方法についてお話しします。

(つづく)

★今回最も参考にしている、水島弘子先生の本です。


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