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#2 父親との幼児期の思い出

(前回の記事)運命の分かれ道

 「自分が高みに到達すること、自分がもっと注目されること、自分のために富を築くこと」ばかり求めていた、以前の自分にあった自己中心的な思考は、おそらく幼児期にマスターしたのだと思う。

 私は、初孫ではなかったが、初めての男の孫だったということで、祖父母に相当ちやほやされたそうだ。祖父母もうちの実家も、世間一般のレベルからしたら、かなり貧しかったにもかかわらず、当時流行っていた仮面ライダーの変身ベルト、ウルトラマンのフィギュア、ミニカー、プラレールなどなど、今思えばどこにそんなお金があったのか?と思えるぐらい、ホイホイと買ってくれたものだった。

 もちろん私は当時のことをほとんど覚えていないのだが、どうやら父親も私のことを相当甘やかしていたようだ。

 「ぶ~ぶ~が見たい!」と言えば、車に乗せて、港まで行き、モータープールの車を見せ、車種を一つ一つ私に教えていたそうだ。

 「でんしゃ!でんしゃ!」と言ってぐずった時には、線路の近くまで連れて行って、電車を私に見せたり、夜にぐずった場合は、電車の絵をかいて、車両の種類を教えていたそうだ。

 とにかく、私が要求したら、時間の許す限り言うことを聞いてくれていたらしく、当然のことながら、父親がいないときは、それはそれはわがままで、「ぐずりだしたら止まらない厄介なこども」だった。

 当時の父は、「私のわがままに応えることが父としての愛情だ」と思っていて、どんなに仕事で疲れて帰ってきても、私がぐずれば車に乗せて、私の欲求を満たしてくれた。

 そうした父のおかげで、私は、車の車種や車名などを幼いながらにして相当覚えることができた。カローラが通れば、「あ!かろ~ら!」と指をさし、サニーが通れば、「あ!にっさん!さに~!」と大声で言うので、それを聞いている周りの大人たちが、

 「すごいねぇ、こんなちっちゃいのに車の名前わかるんだねぇ。」

とほめてくれることに、幼いながらも私は少しずつ、「周りの人たちは自分の能力を認めてくれているのだ」と意識し始めたのだった。

 当時、テレビのコマーシャルで「♪明る~いナショナ~ル、明る~いナショナ~ル、みんな~うちじゅう~、な~んでもナショ~ナ~ル~♪」というフレーズの、現在でいうパナソニックのCMがあったのだが、それをロゴや文字までしっかり記憶した私は、街の電気屋さんの看板に「National」の文字を見つけると、

 「あ! なしょなる! なしょなる! あかるいなしょなる!」

と大声で言うので、それを聞いている周りの大人たちが、

 「すごいねぇ、こんなちっちゃいのに英語も読めるんだねぇ。」

とほめてくれることに、幼いながらも私は少しずつ、「父にいろいろ教えてもらえば、周りの大人たちがほめてくれる」ことを覚えていったのだった。

 そのうち、私のあまりの記憶力の良さに、周りの大人たちは、

 「この子は天才かもしれん。」
 「これはきっと東大へ行けるぞ」
 「末は博士か大臣か」

 などと騒ぎ始めたのだが、まさかこうした親バカ的な発言が、眼前の幼な子のその後の人生に多大なる影響を与えてしまうことになるとは、誰も気づかなかったようだ。

 しかも、その体験は、私にとって父親が、何でも知っているスーパーマンのような存在となり、そして父が教えてくれたことを周りの大人たちに披露すれば、ものすごくほめてもらえるという強烈な快感を覚えさせることになった。

 このようにして、「自分が高みに到達すること、自分がもっと注目されること、自分のために富を築くこと」ばかり求めていた、自己中心的な思考の土台がこのころ構築されていったのだ。 

                             (つづく)

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