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『家族介護者の気持ち』⑥「待機」と「見回り」

「待機」と「見回り」という「介護行為」

 今回のテーマは、「待機」「見回り」です。

 これは、家族介護者の介護行為や、気持ちの姿勢にも関係する言葉なのですが、おそらくは、読んでくださっている皆様には、馴染みがない言葉だと思います。

 それも当然のことで、この言葉を、介護行為として積極的に使い始めたのは(※1)、私自身なのですが、いろいろな力不足で、定着していません。(お恥ずかしい話ですが)。

 ただ、これは私が発見したというよりは、今までもこれからも、家族介護者にとっては、自然な行為に対して、名前をつけたに過ぎません。

 結論からいえば「待機」とは、在宅介護をしている時、別の部屋にいながらでも、被介護者への注意が途切れることがない状態であり、「見回り」は、何かしらの物音、気配の変化によりただちに要介護者の様子を見に行くという行為(多くは1分以内)のこととしました。

 ちょっと、わかりにくいかもしれませんので、もう少し補足します。

「待機」とは何か?

「待機」のことから、説明を加えます。

 在宅で介護をしていて、要介護者の近くにいて、食事や入浴や排泄の介護(専門家では、これを3大介護といわれています)をしているときは、明らかに「介護」をしていると家族介護者の当事者にも意識がありますし、もし外から見ても、「介護」をしていると見るはずです。

 ただ、「介護」の中で、分かりにくく、名前がつけられない行為として、要介護者と同じ部屋にいるわけでもなく、同じ屋根の下であれば、たとえば別の部屋にいたり、他の用事をしたりしていても、介護者の意識の中には、常に要介護者がどうしているか?今は、どこにいて、どんなふうにしているのか?そんなことを絶えることなく、気にし続けています。

 これは、家族介護者だったり、経験がある方であれば、同意していただけると思うのですが、在宅介護で要介護者が家にいる時は、ずっとこの意識が続くはずです。

 この、まだ「名前のない介護行為」に「待機」という名前をつけました。

 もしかしたら、こうして名前がつくことで、あの意識の持ち方は、確かに介護行為だった、と思ってくださる方もいらっしゃるかもしれませんし、逆に、そういう意識は持っているけれど、それを「待機」と名付けて介護行為には含めたくない、という考えの方もいらっしゃると思います。

 介護行為に含めたくない方には、押し付けることはしませんが、それでも、家族介護者の気持ちや、負担感を考える時に、この「待機」を抜きにして、家族介護者のことを理解するのは難しいと思いますので、今後とも、そのように使っていきたいと思います。

「見回り」とは何か?

「見回り」の説明にうつります。

 「待機」の状態で、家族介護者が、要介護者とは別の部屋にいる場合です。
 「待機」していますから、常に意識のどこかに要介護者のことがあり、ですから、ちょっとした気配の変化とか、小さい物音とか、少しでも気になったら、介護者は立ち上がり、その要介護者のいる部屋へ向かうはずです。

 そして、その部屋へ行って、要介護者の様子を見ると思います。
 だけど、多くの場合は、何事もなく、たとえば夜だったら、要介護者は、静かに眠っていて、少し見守っていても、その変化はないので、「何もなかった」と、ちょっと安心をして、そして、元の部屋に戻ることになると思います。

 その間、多くの場合は、だいたい1分から2分。

 もし、部屋を見に行って、何か変わったことがあったりすれば、それに対して、身体介護などをすることになり、それで、介護行為になれば、それは「介護」ということになりますが、何もなくて、部屋に戻った場合は、それは「介護行為」としてカウントされないはずです。

 ただ、その行為を除いてしまったら、家族介護者の実態から遠ざかると考えました。

 その行為は、おそらくは家族介護者であれば、どなたでも行っていて、そして、これまでは介護行為として名付けられていなかったので、それに対して「見回り」という名前をつけることにしました。

介護行動記録

 ここからは、やや専門的な話であり、逆にいえば、少し範囲の狭いことになるので読み飛ばしてもらってもいいのですが、家族介護者の心理的支援をするためにも、今までのいろいろな研究を調べました。
 
 その中で、介護者の介護行為の時間を調査して、分析する研究は、存在しました。ただ、その介護時間の調査については、家族介護者が一人で、ずっと在宅介護をしている状況でも、1日あたり、多くても6〜7時間くらいの結果が多くなっていました。

 その一方で、こうした研究でも、家族介護者の発言からは、24時間ずっと介護をしている、といった言葉も出てきていましたし、私の実感としても、要介護者を在宅介護をしている場合は、どの介護者も自然に、家にいる間は、ずっと気が抜けないし、介護をしている、といったような言葉を聞くことがほとんどの印象でしたので、そのギャップが気になりました。

 そのために、自分で、自分の介護行動記録を取り、分析し、そのことを明確にし、心理臨床学会で発表し(※1)、少しでも伝えたいと思いました。(のべ52日間の介護行為の記録をすべてとりました)。

 ちょうど、私自身、その頃は、100歳の義母を、妻と二人で介護中でした。
 主介護者は妻で、私が副介護者でした。

 以下、その際の詳細な内容です。細かいことが必要でない場合は、少しとばして「介護行為記録の結論」だけを読んでいただければ、と思います。


「基本的な介護状況は、副介護者は、主に午後11時から午前5時30分の介護を担当し、主介護者は、主に午前7時から午後11時を担当する、という体制です。また、副介護者と主介護者が2人共在宅の場合は、協同で介護に関わっている事も確認できました。

 その上で、副介護者の45日間の行動記録によると、介護時間は、総計33371分。介護行為数では総計1435。1日あたりの平均介護時間は、741,57分(約12時間)でした。また、主介護者の7日間の記録によると、1日の平均介護時間は822,5分(約13時間)になりました。

 それは、主介護者と副介護者で、24時間をカバーしている、という実感とほぼ一致しています。

 今回の調査(主介護者と副介護者で、のべ52日間)により、副介護者の介護行為の中で、最も長い時間を占めているのは「待機」で、総計26031分。総介護時間に対して78%でした。それに続いて「排泄介助」(計4468分。13,38%)。「外出・帰宅援助」(1126分、3,37%)です。

 また、介護行為数としては「見回り」が873行為(1日平均19,4回)で最も多く、総介護行為数の60,83%を占めた。主介護者でも、総介護時間に占める割合が最も多いのは「待機」(58,33%)でした」。

介護行為記録の結論

 この「待機」「見回り」は、これまでの研究では、介護行為に含まれていないので、新しい知見ともいえます。

 これまでの研究でも、“家族が24時間介護を強いられる”という家族介護者の表現もあるので、介護行為に「待機」と「見回り」を含める事で、記録される介護時間が増加し、より家族介護者の実感に近づいたと考えています。

 つまり介護行為の時間としては、「待機」が一番長く介護行為の回数としては「見回り」がもっとも多いということがわかりました。そして、介護者が二人いる場合には、一緒に介護に関わっている時間があるものの、一人あたりはほぼ12時間と、介護者の実感(家にいる時は、常に介護をしている)と、ほぼ一致していると思われました。

家族介護者の実感

 もちろん、これは、ごく1例に過ぎません。

 ただ、「待機」と「見回り」を、介護行為とすることで、家族介護者の支援に関して、少し変わってくるように思いました。


 たとえば、まだ要介護者の症状がそれほど重くない時、介護者が同じ家にいるとしても、他のことをしていて、何もしてないように見える場合があります。

 その時は、多くの場合は、「待機」というまだ名付けられていない(本当は一応名付けたのですが、力が足りず、まだ広まっていないので)介護行為に、名前がつくことで、周囲が、なにもしていないと、見ていたのが、「待機」という介護行為をしていると見られることになれば、かなり意味合いが違ってくるのではないでしょうか。

 そして、この「待機」「見回り」という介護行為があると分かることで、24時間365日、緊張が続く、という介護者の多くが語ることが、より理解に近づくと思います。

 今回は、以上です。


※1 2017年 心理臨床学会 第36回大会 (口頭発表)


(※2020年の記事の再投稿です)。






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 この記事を読んでくださり、ありがとうございました。もし、お役に立ったり、面白いと感じたりしたとき、よろしかったら、無理のない範囲でサポートをしていただければ、と思っています。この『家族介護者支援note』を書き続けるための力になります。  よろしくお願いいたします。