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『家族介護者の気持ち』⑨「男性介護者」

 今回は、「家族介護者の気持⑨男性介護者」を考えていきたいと思いますが、私自身も、元・男性介護者なので、逆に話しにくい部分はありますし、どれだけ気をつけても男性としての見方の偏りがあると思います。

 それでも、経験してきたことも含めて、なるべく役に立つようなことをお伝えできれば、とも思っています。

男性介護者への評価

 男性介護者は、以前と比べると、増え続けて、2016年では、「同居」の介護者では、全体の34%になっています。それでも、女性介護者という言葉はなくても、男性介護者とは言われますので、まだ家族介護者の中では、少数派ということは、変わらないのだと思われます。

 今回は、「男性介護者」の外側からの見られ方を考えて、それに対しての男性介護者の反応、さらには支援の方法を考えていければ、と思います。

 ただ、私自身が、元・男性介護者でもあり、今も男性支援者でもあるので、その偏りは避けられないと思います。それも含めて読んでいただければ、と考えています。

 男性介護者への評価は、基本的にあまり高くないように思います。
 この20年で聞いた「男性介護者」への言葉として、印象が強かったのは、主に次の4点でした。

●男性介護者は危険
●男性介護者は、仕事として介護をしている
●男性介護者は、介護を完璧にやろうとし過ぎる
●男性介護者は、孤立しやすい。人をうまく頼れない。

男性介護者は危険

「男性介護者は危険」というのは、私自身が介護者であった時に、直接、言われたこともありましたが、それについて、どう答えたらいいのか、分かりませんでした。

 そう言われるようになったのは、統計が発表されるようになったからです。

① 1996年から2015年までの20年間に、介護殺人事件は少なくとも754件発生しており、762人が死亡していた。
③ 被害者は女性が7割、加害者は男性が7割を占めた

 今も、そうした傾向は続いているようです。

 介護殺人・介護心中と完全にイコールとは言えませんが、厚労省の調査によると、2017年度の高齢者虐待は、約1万7000件となり、過去最高となってしまいましたが、加害者は、息子が40.3%と最も多く、夫21.1%、娘17.4%という状況です。


「平成 29 年度「高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律」 に基づく対応状況等に関する調査結果」

 こうした数字を見ると、「男性介護者は危険」と思ってしまうのは、自然ですし、介護殺人・介護心中は当然のこととして、高齢者虐待も避けたいことですから、たとえば、介護支援者として、男性介護者に関わる時に、特にそういう視線で見てしまうかもしれません。

 ただ、「男性介護者は危険」と視点を固定する前に、できたら、考えていただきたいことが3点あります。

「危険」と指摘する前に、考えていただきたいこと

1、 優先するのは、介護者への支援

 たとえば前述の、高齢者虐待について、加害者が「息子が40.3%、夫21.1%」と男性が圧倒的に多いのは事実ですが、同時に、虐待の理由(複数回答)としては、「介護疲れ・介護ストレス」(24.2%)が最も多く、「虐待者の障害・疾病」(21.8%)、「虐待が始まる前からの当事者間の人間関係」(14.2%)、「被虐待者の認知症の症状」(13.7%)となっています。

 当然ですが、要介護者への殺意が強い、というよりは、介護者が追い込まれている理由が並んでいます。

 介護の専門家に対して、このような書き方をするのは、偉そうになり、申し訳ないのですが、高齢者虐待を減らすのであれば、男性に限らず、介護者の疲れや、ストレスをどれだけ軽減させるか。どうやって介護者支援をしていくかが重要になるのではないでしょうか。


2、「自己成就的予言」の危険性(「男性介護者は危険」という見られ方によって、実際に虐待が増大する可能性)。

 耳慣れない言葉かもしれませんが、「自己成就的予言」というのは、社会学者 ロバート・K・マートンが提示した現象です。

 たとえば、この本にも、「自己成就的予言」として、こうした例があげられています。

 マートンは、アメリカにおける人種差別が自己成就的予言によって「誤謬の支配」を受けていることも指摘しました。たとえば労働組合で、白人が「生活水準の低い黒人は、安い賃金でも働こうとしてスト破りをする裏切り者だ」と思い込んでいる。すると差別された黒人は面白くないので、組合活動に非協力的になり、本当にスト破りをします。そこで白人が自分たちの差別意識を反省すればいいのですが、そうはなりません。「ほら見ろ、やっぱり黒人は裏切り者だ」と考えてしまい、ますます人種的偏見が助長されるのです。

 これを、「男性介護者が危険」を例として、考えれば、こんな流れになる可能性があります。

 周囲の人が「男性介護者は危険」と思い込みすぎている。そうなると、男性介護者は、そうした危険視の視線を時々意識せざるを得なくなり、なんともいえない嫌な感じになることが増える。そのことでストレスがより増えてしまう。毎日の介護生活の負担がある上に、そうしたストレスが加わることで、追い込まれて、ある日、虐待に及んでしまう。それによって、周囲の人は、もっと支援を適切にできれば、と考える前に、「やっぱり男性介護者は危険なんだ」と思ってしまい、そのことで、その後も、「男性介護者は危険」が現実化しやすくなる。

 もちろん、こんなに単純ではないのですが、こうした視線は、私自身も強く感じたことがありました。毎日、負担の中で生活している介護者は、周囲の見られ方に思った以上に敏感になっていると思います。

 私自身の個人的なことで恐縮ですが、介護者であった時の方が、周囲の視線にはるかに敏感だったように思います。


3 「監視」ではなく「見守り」

 これも、私が語るには、偉そうになり、申し訳ないのですが、「男性介護者は危険」という視点は、時として「監視」の視線につながりやすくなります。

 それは、見られている側にとっては、微妙に嫌な気持ちになり、負担が増える可能性があります。それよりも、できたら「男性介護者は、より追い込まれやすい」といった見方をし、支援をどうするか?を優先して考えていただけるようになれば、それは「見守り」の視線になっていくと思います。その視線は、おそらくは、男性介護者にとっては、心強く感じられることではないでしょうか。


(なお、今回の「自己成就的予言」に関しては、いわゆる「孫引き」になり、ほめられたことではありません。すみません。もし、この考え方にご興味がある方は、できたら、原典↓にあたっていただければ、ありがたく思います)


仕事として取り組むからダメ、という見られ方

 さらに、何度か聞いたことがあったり、書籍で目にしたことがある言葉や考え方は、「男性介護者は、介護を仕事として取り組むからダメ」といった言い方です。実際に、そのような言葉に接し、介護に取り組む事自体に、最初から自信を失っているような男性介護者も存在しているようです。

 介護に関して、仕事して取り組むこと自体が、マイナスというのは、一つの見方になっているようです。

 しかし、それまで仕事ばかりをしてきた人間にとって(男女問わず)「仕事として取り組むからダメ」といった言われかたや、見られ方をされてしまったら、おそらくは、自分を否定されたような気がして、困惑するか。いったんやる気を失うか。そんな言われかたをした人に怒りをぶつけるか、になりがちではないでしょうか。

 その「仕事として介護に取り組む」が、マイナス要素であるとする専門家も出始めていて、その見方も確かに正しい部分もあるかもしれませんが、ただ、それは、支援ということを考えた時に、決してプラスにはならないようにも思います。

 実際に仕事として取り組んで介護ができた人、それで乗り切れた人も存在するわけですから、全面的な否定はできないと思います。


 それでも、仕事として介護に取り組んでいる男性介護者に対して、危うさを感じられている支援者や専門家や周囲の方も少なくないとは思います。そして、その心配も自然だと思うこともあります。

 ただ、その時に「仕事として取り組んではダメ」といった否定的なアプローチは、おそらくは有効ではないと思われます。

 どうすればいいのでしょうか。


「仕事として取り組む人」へのアプローチ

 男性でも女性でも、仕事というものは、基本的に締め切りなり、納期なりがあって、そこまで頑張れば、そのあとに少しは休める時間があるのが通常だと思います。

 仕事である以上、終わらない仕事はほとんどないと思います。だから、その時に多少の無理をしても大丈夫になるのでしょう。

 それに比べると、介護には、ご存知のように終わりがありません。 
 終わりがない「仕事」に関してのノウハウは、おそらくは、どれだけ仕事をしてきた人であっても、あまり持っていないと思います。
 ですので、介護を仕事として取り組もうとしている男性介護者(女性でも)に対しては、そのあたりのことを伝えるのがいいのでは、と思います。たとえば、こんな言葉は、どうでしょうか。


「介護には終わりがありません。締め切りもありませんが、ただ続きます。そして、場合によっては24時間365日体制で緊張感が続き、それが、ずっと終わらない、ということもあります。

 仕事と言っても、少し特殊な仕事だと思ってくださいませんか。
 まず、終わりがありません。だから、その時間の中で、ご自分が負担で倒れないためにも、自分が休むこともきちんとスケジュールに取り入れることを考えてもらえませんでしょうか。そのための支援の手伝いは、こちらでも考えていきたいと思っています。

 また、終わりがない介護に対して、終わりがない緊張感を持ってしまうのも仕方がないとは思うのですが、その緊張感も、終わりがない場合には心身ともに、負担が大き過ぎると思います。
 その時間の中で、意識的に気分転換の時間を作る工夫も必要で、そのための支援はしますので、一緒に考えていきましょう」


 これは、一つの例に過ぎませんし、こうしたことは、これから介護を始める方に伝えるのは、有効だと思います。

 ただ、すでに介護を初めて一定の時間が経っている方には、同じことを伝えても、おそらく反発をかうだけだと思われます。

 難しいと思いますが、そうした一定の時間がたっているベテランの介護者に対しては、その方の支援をし続けて、困っていることを聞くようになり、そのつど対処していくのがいいのでは、と思います。

 その中で信頼関係が結ばれた時に、介護は仕事と違って終わりがない、といったようなことを、そっと伝えると、自分自身で、それからのやりかたを工夫してくれるかもしれません。

完璧にやろうとするからダメ、という見られ方。

 それから、男性介護者が、「完璧にやろうとしすぎる」といった見方をされ、それがどこか失笑や困惑とともに語られることもあると思います。

 たとえば、介護をしていて、紙おむつの重さをはかって排泄に関しての記録をつけ続けたり、といった男性介護者は、存在していると思います。

 場合によっては、「だから男性介護者は」あきれと共に語られることもあると思うのですが、これも否定的に見られてしまうと、そこで、やる気や自信を失ったりといったこともありえるでしょうし、それこそ、怒りを呼ぶだけということもありえます。

 これは、完璧にやろうとすることは、実質的に介護者への負担が大きすぎること。さらには、介護を受けている方にも負担が増えていることもあるので、確かに避けたほうがいい場合が多いかと思います。ただ、それを否定的に伝えるだけだと、それは介護者自身の否定にしかつながらないので、難しいと思います。

 やはり、「介護を仕事のように取り組んでいる男性介護者」と同様に、介護には終わりがないことを、時折、さりげなく伝える事で、完璧にやるのは不可能ではないか、といったことを少しずつでも、実感として分かってもらえるようにしたほうが、いいのではないかと思います。


支配/被支配という見方

 さらには、いろいろと研究されたり、勉強されたりしていると、男女問わず、『完璧な介護が、支配/被支配につながりやすい』といった視点もご存知かもしれません。そうした視点を考えるのも、研究としては必要かもしれず、確かにそういう側面もあるかもしれません。

 ただ、だからといって、介護者支援の立場の方が、すぐに「支配/被支配」といった視点だけにとらわれてしまうと、それこそ、全部がそう見えてしまう可能性もあります。

 これまで、このシリーズでも述べてきたように、「介護環境」という特殊な過酷さの中での行為は、「異常な環境の中での正常な反応」と見た方が、適切な理解に届きやすくなることも少なくありません。

 支配/被支配が、もし行き過ぎている場合は、支援者が、やはりかなりの違和感があったり、どこかで怖いと思う部分があるかもしれません。ただ、それでも、まずは支援を続けていく中で考える方がいいと思います。

支援の目的

 支援の目的は、要介護者の快適や幸せであり、さらには家族介護者の負担の軽減や、納得できる介護のためだと思いますので、そのために、個々の状況に、対応していくのが良いのでは、と思います。

 私のような立場の人間が言うには偉そうで申し訳ないのですが、「完璧に介護をしようとする介護者」の場合でも、一番こわいのは、支援を拒否されて、つながりが切れることだと思いますので、まずはつながっていく中で、初めて、少しでもいい方向へ向かう可能性が出てくるのではないでしょうか。

 要介護者に心身の危険があれば、すぐに介護者との分離も考えるべきですが、そこまではいかない場合で、さらには、介護を完璧にすることが、その人の存在理由というと大げさですが、その人にとって深い理由になっている時は、その介護者のやり方を、まずは尊重するところから始めたほうがいいと思います。

 さらにいえば、完璧な介護の姿勢が特に危険になる時は、要介護者の症状が悪くなった時かもしれません。介護がどれだけ適正であっても、要介護者の症状が悪くなることも少なくないのは、支援者の方のほうがご存知だと思います。完璧にやっても、成果が上がりにくいのが介護ではないか、とも思います。

 それまで物事を完璧にしてきた人は、その成果が上がらないことに「弱い」可能性があります。いくら完璧な介護をしたとしても、要介護者の症状が悪くなることも少なくない。介護には、そうした原則があることを、信頼関係ができてから、少しずつ伝えるのは、いかがでしょうか。

男性介護者は孤立しやすいし、うまく頼れないからダメ、という見られ方。

 男性介護者の孤立は、多いかもしれません。

 私自身の限られた経験ですが、母親の介護のために病院に通っていた時も、そこに入院していたとしても、すぐに友達みたいになっている女性は多かったですが、孤立して、1人でいる男性の入院患者は、(もちろん症状にもよりますが)、何人も見てきました。

 介護者になっても、個人差のほうが大きいと思いますが、それでも、男性の方が、1人で頑張りがちな傾向はありそうですし、誰かに相談することも、愚痴を言っているようで抵抗感がある男性介護者も少なくないような印象もあります。

 そうした姿勢に対して、非難したり、あきれたり、という気持ちになる支援者の方も、いらっしゃるかもしれませんが、そうした見方をしていると、おそらくは相手に伝わり、支援がうまくいかなくなる可能性もあると思います。

現代の男性像 

 そうならないために、現代の男性について、もう少し根本的に考える方法もあります。

 病気になったり、介護者になる前から、現代(ここ50年くらい)を生きている男性だと、弱音をはいてはいけない、愚痴を言ってはいけない、感情的になってはダメ、というようなある種の「呪い」に、無意識のうちに縛られている可能性が高くなります。

 ここ何十年かでは、多くの働く人は、会社組織に属していることがほとんどで、その中で生きていくことは、感情を殺したり、弱みを見せてはいけないと頑張りながら、競争社会を生きてきた方がほとんどだと思います。

 こうしたことは厳密にいえば、社会心理学や、社会学などで研究もされてきたことだと思いますし、その詳細を私が語れる力も資格もないですが、狭い範囲の経験でも、その傾向は強いと思っています。

 そうであれば、その社会構造の中で、望まなくても、そう強制されてきた部分があり、それでも身についてしまった習慣や思考法は、変えること自体が大変ですし、介護で消耗している時に、さらに自分を変えるというエネルギーは残っていないかもしれません。

孤立しがちな男性介護者への支援

 では、どのように支援をしていけばいいでしょうか。

 まず、役に立つ情報提供で、つながっていく。現在の介護負担を減らすような情報を、男性だから、という見方をしないで、そのことを伝えることで、具体的に負担を減らすのが優先だと思います。

 多くの場合、これも根拠が完全にあるわけではありませんが、男性介護者には、素直に感情を出すのが苦手な人が多い印象です。それは、前述したように、現代社会を生き残って行くために身につけたことでもあるのでしょう。もし支援に対して、感謝しているとしても、外見的には、そうは見えない事もありえますので、申し訳ないのですがそこを汲んでいただいた上で、支援をしていただければ、と思います。

 そして、介護という魂を削り合うような経験の中では、いやでも自分の感情に向き合う機会があるはずで、その時に、支援者に対して、自然に感情を語れるような関係ができていれば、その時は、すでに、男性介護者の孤立感は、大幅に減っているはずです。



 さらに、男性介護者の気持ちを、学ばれたい方には、この2冊がおすすめです。
 どちらも、介護当事者ではなく、研究者の方の著作です。


 今回は、以上です。




(※2020年の記事の再投稿です)。




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