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介護の言葉③「がんばりすぎないで」

 この「介護の言葉」シリーズでは、家族介護者に対して使われたり、場合によっては、直接かけられたり、また、介護を考える上で必要な「言葉」について、改めて考えていきたいと思います。今回は、第3回目になります。どちらかといえば、家族介護者ご本人というよりは、支援者、専門家など、周囲の方向けの話になるかと思います。よろしかったら、読んでもらえたら、ありがたく思います。

 第3回目は「がんばりすぎないで」という言葉について、考えてみようと思います。
 この言葉は、介護の場面だけでなく使われる言葉でもあったのですが、それ以前、10年以上前に「がんばらない介護」という言葉が多く聞かれるようになりました。考え方としては素晴らしく、当時、仕事をやめて介護に専念していた家族介護者の1人として、ありがたい気持ちもありました。ただ、実現可能性としては難しく、「がんばらない介護」という無理な理想を語られても、という思いになることも少なくなかったように思います。

 そのあと、かわって多用されるようになった印象があるのが、「がんばりすぎないで」という言葉です。これは、もちろん介護の場面だけでなく使われる言葉でもあり、そして、もちろん善意として向けられる言葉でもありました。今も、同じように家族介護者にかけられる言葉でもあると思います。

 この言葉も、あまり疑問ももたれず、かなり一般的に使われるようになった印象があります。そして、この言葉をかけられるのは、家族介護者の当事者の方が多いように思います。毎回、この「介護の言葉」のシリーズは、クレームをつけているような印象を持たれる方もいらっしゃるかと思いますが、やはり、この「がんばりすぎないで」も、使うタイミング、向ける相手の状況によっては、意図と違った伝わり方をしてしまうこともあるので、改めて、考えていきたいと思います。

介護者自身の気持ち

今から11年前に、「がんばりすぎないで」に関して、自分自身が文章を書いていたのが見つかりました。これは、「介護の大変さを、少しでも、やわらげる方法②書くこと」(クリックすると読んでいただけます)をあまり意識せず実践していたので、他にも、いろいろと文章が残っていました。

 個人的な事情ですが、介護を始め、仕事もやめ、介護に専念して10年目のことです。介護をしていた母親を亡くし、その後は、妻と一緒に義母の介護をしながら、臨床心理学の勉強をし、一度目の大学院入試に失敗していた頃です。そういう人間が書いたものですから、かなりの偏りはあると思いますが、率直な気持ちは書かれていると、思います。場合によっては、不快になる方もいらっしゃるかもしれませんが、その際はご容赦ください(多少の加筆・修正はしています)。


2009年5月23日。
「がんばって、という言葉はあんまりよくない。少なくとも、場合によっては苦痛になる。そんな常識が定着してきて、確かに私もそう思う。もう限界までやっている人に、がんばって、と言っても無意味どころか、追い込むことになるだろう、と思う。

 でも、がんばりすぎないで。も、同じように、というより、場合によっては、もっと苦痛になる。それも、最近、介護に関して使われる事が多いようで、それがかえって、嫌な事に気がつかれていない。
 がんばりすぎないで。
 そう言われて、どうすればいいんだろう?
 その人からがんばり過ぎに見えても、今の介護の環境では明らかにやらなければいけない事をやっているだけなのに、そう言われて、どうすればいいんだろう?

 がんばりすぎないで。
 一見、柔らかい響きがあるのかもしれないけれど、でも、実は命令形である事に変わりはない。

 がんばり過ぎる気はない。
 だけど、施設に入ってもらおうと思っても、申し込んでから3年待ちはめずらしくない。
 ショートステイといって数日間、預かってもらおうと思っても、申し込みは2ヶ月前にしなくてはいけないし、その抽選ではずれる事も珍しくない。 
 要介護5だとして、それでも、デイサービスでも、一日6時間、毎日預けるのが精一杯で、その後の18時間は、誰かがみなくてはいけない。
 介護していく中で、誰もいなくて自分がやろうとすれば、人から見たら、がんばりすぎ、になる事がほとんどになる。
 それなのに、がんばりすぎないで。という言葉をかけられて、どうすればいいんだろう?

 もし、がんばりすぎないで、という命令形を含んだ言葉を言うのならば、「今日、3時間は私が見るから、短いけど、その時間は自由にしてください」という行為といっしょであれば、とてもありがたい言葉になる。

 がんばりすぎないで。
 その言葉に、あなたは、がんばっているけれど、それはがんばりすぎで、あまりよくないですよ。というような、私は知っているけれど、あなたは知らない、的な気持ちが入っていたとしたら、それは、傲慢にならないだろうか。
 そういう時は、関わらない事の方が、逆にプラスになる、という事も知ってほしい。それは、誰でも、状況によっては、そっとしておいてほしい、という事はあるのだから。
 
 アドバイスをして、それに従わない時に、自分自身がムッとしてしまう場合は、どこかに支配欲があるかもしれない。
 
 ただ、これをきちんと伝えるのは難しい。だけど、がんばりすぎないで、という言葉を言われて、嫌な思いをして、でも悪意ではないので怒れない、という反応をしなくてはいけない、という人のためには、そして自分のためにも考えるしかない。
 がんばりすぎないで、も実は強制を含んでいる。だから使い方によっては苦痛になる。それは、できたら、知っておいて欲しいと思う」。


介護者の気持ちに対して、どう考えるか

 以上が11年前の文章ですが、やや攻撃的な気配があって、それは、これを書く以前に、何かいやなことがあって、それこそ「がんばりすぎないで」という言葉を言われて、それは善意だから、怒ることもできないけれど、なんだかもやもやして、そして、書いたのだと思います。

 どこか未整理な部分もあるし、全面的に正しいわけでも、もちろんないのですが、それでも、今の自分でも、もしかしたら、専門家の端くれになって、どこか忘れてしまっていることもあるようにさえ、思います。

 今では書けない文章です。これが、絶対の正解とは思いませんが、それでも、こうした気持ちにも応えられるように、仕事をしていきたいとも思いますし、こうしたことを考えていたから、それで臨床心理士になろうと考えていたことも、少し思い出しました。

 ただ、この時(2009年)の自分でも、他の介護者に対して、自分だけの経験で、アドバイスをすることで、善意なのかもしれませんが、それが相手の苦痛につながってしまう可能性がありました。だから、より相手の都合などを考えないといけない、というようなことは、以前も今も変わらないことだとは思います。


では、「がんばりすぎないで」は、どういう時に言えばいいのか。

 こうした言葉がうまく伝わらない、といった時に、共通するのは、たとえば、周囲の人が無意識にうちに、安心したいために言ってしまう可能性も考えたほうがいいかもしれません。

 がんばりすぎる、といったように見えることは、「非常時」の姿でもあって、もし、自分の周囲にそうした人がいる場合には、それが、たとえば怒りだったり、悲しみだったり、混乱だったりした場合には、少しでも早く「日常的」な姿に戻って欲しいのは、善意だとも思いますし、優しさだったりもすると思います。ただ、どこかに、その「非常時」の姿を見たくない、というような自分の安心したい気持ちが優先されている場合には、何かを言ったとしても、伝わりにくくなる可能性は高くなります。

 これは、今の私自身も、気をつけています。本当は、自分が望んでいることを、相手のことを思っているという形に、無意識で変換し、押し付けていないだろうか、といったことを、絶えず、考えるようにしています。それでも、十分とは言えないと思いますが。

「がんばりすぎないで」は、目標だと思います。
 これまでの「介護の言葉」のシリーズと同様に、この言葉は、これから介護を始める人。まだ介護に縁がないけれど、これから介護をするかもしれない人。そういった人に、がんばりすぎないで、という言葉は有効に伝わると思います。

 ただ、実際に介護をしていて、特に、頑張らざるを得ない介護者に、この言葉をかけると、その時は御礼も言って、あいまいな笑顔を向けられて、だから、大丈夫かと思ったら、それ以降は、拒絶的な態度になる、ということはありえると、昔の自分の文章を読んで、改めて思いました。

 すでに、介護の日常を過ごしている人には、「がんばりすぎないで」は、その言葉を発する方に、心配しているような優しさや善意があるとしても、その通りには伝わらず、その言葉によって、介護者の負担感が増えることもありえる、といったことは考えてもいいのかもしれません。

 この言葉は使っちゃダメだ、といった印象も残ってしまう可能性はありますが、介護で毎日、負担と負担感の中で(もちろん、それだけではないですが)生活している介護者にとっては、それまでだったら気にならないことが、傷付いたりすることはあると考えたほうが、支援をする時には、有効ではないか、と思います。

 それは、どんな方でも、困ったことや、ショックなことがあった時に、周囲の方が、悪意でなくても言われた言葉で、思った以上に傷ついた経験があると思います。それと同様なことは、当然ながら、介護者にもあるのですが、あまり広く知られていないとすれば、それは、介護者の方々が言わずに我慢してきたり、言っても無駄では無いか、と思ってきた可能性もあります。

 こうして「介護の言葉」をテーマとして、書いていくことで、支援する方も、介護者も、周囲の方も、できるだけ気持ちがいい時が多くなるよう、努力したいとは思っています。


 今回は以上です。
 ご意見、疑問点などがございましたら、コメント欄などで、お伝えいただければ、時間はかかるかもしれませんが、出来る限り、ご返答したいと思っています。


他にも介護に関して、いろいろと書いています↓。クリックして読んでいただければ、うれしく思います)。

介護に関するリクエスト①「気分転換をしようとしても、悪いことが起きるような気がします。どうしてでしょうか」

家族介護者の気持ち④「介護者自身の病気・介護うつ」

介護の言葉②「一人で抱え込まない」

介護離職して、10年以上介護をしながら、50歳を超えて臨床心理士になった理由①


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