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「介護時間」の光景⑥JOINUS  4.24

 今から13年前の4月24日も、今とは違う種類の不安の中にいました。

 介護に専念していた頃でした。病院に通って、母の様子を見て、帰ってきてから、義母の介護をするという毎日が7年ほど続いていました。

 その頃は、それだけのことなのに、やたらと疲れていました。
 特に、病院に通うという行為は、なぜかエネルギーを吸い取られるような感覚がありました。

 しかも、この頃の母は体調が悪くなっていました。ガンが進行し、手術もできなくなっていて、不安が日に日に膨らんでいて、でも、少し症状が落ち着くと、まだ当分、大丈夫なんじゃないか、といった揺れの中にいたと思います。

 それでも、そんな不安の中で、日常の小さな変化に、今よりも敏感になっていたと思います。それは、家族介護者の独特の緊張感が可能にしていたことだと、今でも思います。


(13年前のことは、介護離職して、10年以上介護をしながら、50歳を超えて臨床心理士になった理④に詳細が書いてあります。もしよろしかったら、クリックして読んでいただければ、幸いです)。


13年前、2007年の4月24日のメモです。
        (多少の修正はしています)。


JOINUS

 横浜駅に電車が着いた。窓から「ジョイナス」のビルが見える。
 ジョイン、とアス(私たち)をくっつけた造語だという話を聞いたのは、横浜市内の高校に通っていた、30年くらい前の事だったと思う。
 そのビルは線路のそばに建てられていて、何だか工事をしていて、ビルの壁ぎわのところの土が深く掘られている。
 銀色でかなり幅の広い蛇腹が、ヘビがうねるように、ビルにはりついている。
 たぶん、ダクトだと思うのだけど、普段は気がつかない巨大な見慣れない物体が、その下の土が掘られることによって、よく見える。
 こういう風景を見ると、普段は意識していないし、その映画の熱心なファンというわけでもないし、詳しくもない癖に、「ブレードランナーみたいだ」という言葉が、とっさに頭の中に浮かぶ

                                                               (2007年4月24日)

 病院にいる時は、当然ですが、母の様子がかなり気になっていました。

 病室に着いたら、病院のスタッフの方に、母は爪を切ってもらっていました。
 指の先がボロボロになってしまっていて、こんなところまで悪くなってしまうのか、と怖くなりましたが、何でついたか分からなかったのですが、ノリが乾いているだけでした。
 少しほっとしました。

 母はずっとぼんやりしています。
 夕食も25分かけて、でも、二割くらいしか食べません。

 不安を抱えたまま、午後7時に病院の面会時間は終わりなので帰りました。

 この横浜駅の光景は、たぶん病院に行った帰りに見たのだと思います。少し暗い光景のように、見えたのは、自分の不安の反映だとも思います。


2020年4月24日。

 それから、13年がたって、再び、予想もしなかった質の、いつまで続くか分からない不安の中にいるとは、思いませんでした。

 若い頃から知っていた女優さんが、急に亡くなりました。
 病気にかかり、自宅で様子を見ていたら、急に重症化して、亡くなった、とニュースで見ました。
 介護の途中にぜんそくになり、持病となってしまった妻のことを考えると、重症化という言葉は、恐怖を伴って強く響いてきます。
 日に日に、不安の濃度が高くなっているようです。

 庭のシュロに、大きなつぼみができたと、妻に教えてもらいました。
 つぼみ、という言葉の響きを裏切るような、やたらと生々しい存在でしたが、明らかにエネルギーがつまっているように見えました。
 これから、小さい花がたくさん咲くそうです。
 人間に不安があっても、当たり前ですが、確実に季節は巡っています。



(他にも介護のことをいろいろ書いています↓クリックして読んでいただけたら、幸いです)。

『家族介護者の気持ち』 ①介護のはじまり・突然始まる混沌

「介護時間」の光景③ バス停

「介護相談」のボランティアをしています。


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