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2019年に迷いを全て、置いていく。

12月31日。一年の回顧と総括をする日。

このnoteを公開にしたのは、誰かに共感して欲しいというよりも、限りなく自己満足に近い。
けれど、学生生活の記憶が色褪せた頃、頑張りが空回りして苦しくなったとき、
2019年、苦悩の1年間でもがきながらも注いだ情熱を忘れないために、
立ち返れるようここに残しておくべきだと思ったので、書き留めておきたい。

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今年自分に課した最低基準は概ねクリアすることができた。非常に密の濃い1年だった。
しかし課した負荷も大きく、心身が疲労困憊してしまったというのが正直なところだ。


新たな一歩(1月〜5月)

2018年9月の入学当初はフロントエンドエンジニアを志していたが、周りの学生の優秀さに圧倒される毎日で、自分には向いていないと感じていた。
(2年目になり、単純にJavaへの慣れ親しみの差だったと分かった)

自分自身を見つめ直し、プログラミングにおける思考プロセスや毎日分単位で計画立てする自分の癖から、
「見えないを具象化すること」が潜在的に好きだと気づき、ヴィジュアルなモノづくりに興味を抱くようになった。

学期終わりの帰国に伴い「将来日本と海外どちらで働くか」という悩みを解決したいとも考えていた。
どの業種を選んでも、収入は海外の方が高い。時間外労働の考えもないので、ワークライフバランスを保つことができると思う。
だが彼らとはどうも働き方への姿勢が違うのは大学でのグループワークで肌に感じている。衣食住や天候の違いも、長期で生活するなら無視できない。

自分の迷いを払拭するためにも、一年生を終え帰国した時点で、「日本のデザイン業界をまずは見てみよう」という目標を掲げたのが5月だった。


デザインに投身した夏(5月〜8月)

イベントやインターンに参加するためには、「ポートフォリオ」を作らなければいけなかった。
だが作品がない。授業のコードを転載するわけにもいかないし、6月から本格的に学生向けイベントが各所で始まってしまう。
1ヶ月の短い期間で、作品を掲載したポートフォリオを構築することに熱を上げた。

(デザインプロセスを一切踏襲していないポートフォリオが完成し、デザイン的には限りなく0点に近いが、良い意味で固定概念に囚われていない泥臭さがあり、処女作として大事にしたい)

出来たてのポートフォリオを携えて、イベントやインターンに参加していた中で僕の転機となったイベントが、6月に開催された「ReDesigner Summer Meetup 2019@LINE」だ。
初めて自分と同じ志を持った同年代の学生と直接接点を持てたこと、日本のデザインを牽引し本気で向き合っている企業を知れたこと、本物のポートフォリオの現物を見れたこと。目盛りのついたモノサシを手に入れたことで、自分本位な「デザインの概念のズレ」に気付けた。

そして登壇していた企業の中の1社、Goodpatchとの出会いが僕を変えた。
1ヶ月という短い期間だったが、フルタイムでインターンをさせていただく中で多くの知見を得ることができた。
列挙するとキリがないが、毎日学びがあり、何より楽しかった。1年で1番実りある時間だった。
この場を借りて、改めて感謝申し上げます、ありがとうございました。


大学に戻り感じた「違和感」と「焦燥感」(9月〜12月)

正規留学2年目に突入した。
目標が鮮明になり、心構えや過ごし方が1年生の頃と大きく変わったのを覚えている。もっとデザインに触れたいと思い、能動的に情報収集や作業をするようになった。

だが「大学生は人生の夏休み」と言われているが、自分のための時間が僕の大学(学部)にはない。
僕の学ぶComputer Scienceは、学部で3番目に留年率が高い。
(事実、学部の25%がドロップアウト(留年・退学etc)した)
日々のプログラミング課題に膨大な量のエッセイ、Examも周到に準備が要る。
怠けた途端に歯車が狂ってしまう、そんな厳しい環境を耐え忍ぶ日々が再開した。

時間や場所に拘束され、
行きたい日本でのイベントに物理的に行くことが叶わなかったり、
技術向上や知識吸収に思うように時間捻出できないことに対して
もどかしさを感じる時期だった。

(そういった中で資料公開を前日当日に積極的にしてくださっていた「Designership2019」は海外にいながらタイムリーに参加できている感覚があり嬉しかった)

やはり現場で吸収する方が自己成長に繋がるのではと考え、
なぜ大学に行ったのか、Computer Science&Businessを選択したのかの
根本の軸足も揺らいだ。

周囲の学生の「中だるみ」も顕著になった。
アイルランド国内トップの環境ならば、質の高い学生と切磋琢磨できると入学時は考えていたが、今の環境に満足しきれないのも相まって、
「退学」が脳裏を過ぎる日も少なくなかった。

日系企業であれば21卒か22卒かで、今後の行動も自ずと変わってくる。
21卒であれば、情報収集を済ませ、準備に取り掛かっていておかしくない時期に差しかかっていた。
広がる差に焦りを感じ、それが更なる精神的負荷になっていった。

試験期間の迫った11月以降は情報収集にもいよいよ手が回らなくなり、
「やりたいのに出来ない」状態に悶々としながらも、
せめて本業である勉強は結果を残そうと全身全霊で取り組んだ。

押し殺していた「変わらない現状とどう向き合うか」
というモヤモヤに答えの出ないまま冬を迎える。


休養と内省、今後の目標など

2週間前、半ばもぬけの殻状態で帰国した。
無気力ながらに内省する時間ができたので、まとめてみた。

・環境に求めすぎていた。
入学した時点で、「質の高い学生と切磋琢磨できる」目標は達成された。
だが彼らに何かを求めることは違っていると思う。
学びはどこからでも得られる。あとは自分がそこから得ようとしているか否かではないか。

・学科でデザインを学べないのを不利と捉えず、
他分野を伸ばせば「万が一」になれるチャンスかもしれない。

・短期間で高い結果を出すことに固執していた。
最大瞬間風速は、自分が耐えられなければ飛ばされてしまう。

・僕は周囲を頼ることなく、1人で戦おうとしていた。

最後は特に反省しなければならない。
高い目標を設定し、弱音を吐かずに成し遂げることが美徳だと本気で信じていた。
だが1人で全てを背負い込んでしまっていたのではないか。
他人を信頼し背中を預けること、本当のチームワークを学ぶことが今後の課題。

ーーー

決意したこともある。

・22卒として日本で就職活動をする。
今後のキャリアを思案したとき、何通りもの選択肢がある。
まだ可能性を狭めるのではなく、広い視野を保ちたい。

・時間と気持ちに余力があるときは、思考をより深めるためにジャンルに囚われずにインプットとアウトプットをバランス良く行う。 


自分の内省に正解も間違いもない。
だが、がむしゃらに頑張ることだけが人生ではないのは事実だ。
大学生活も折り返しまできた。
楽しさを見出すことを第一に、マイペースに歩む2020年にしたい。

Kaz

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