見出し画像

再生を賭けた旅〜秘境、網取での神秘体験

(2021年6月の掲載記事を再アップしています)


このお彼岸で、石垣島に移住してから十五年になります。
旅行者だった私が住もうとおもったのは、島のオバアとの出会いとワンネス体験があったからです。

この記事は、その時のワンネス体験を綴ったものです。
それは、どん底からの逆転でした。

いま読み返して、当時を懐かしく振り返っています。

そして、死に瀕すると再生のスイッチが入る、という人間の神秘的なシステムの不可思議さを思わずにはいられません。



あの日のことは、忘れられない。


四年前、五月の連休の最終日。
私は西表島の網取でキャンプをしていた。

目の前には東シナ海が広がっていた。

そこは、三十数年前に廃村になった
集落跡があるだけだった。
地元の人も行かない。
まして内地から来た私には
一生行くことはなかったはずの土地だった。

キャンプの一行は
網取出身の方たちが中心だった。


網取行きの話を耳にしたのは、
美崎町のたまたま入ったある酒場だった。
私は住み慣れた京都を離れ、
石垣島に来たばかりだった。
亜熱帯の夜の空気は優しくて、
いつもより開放的になっていた。

「網取は僕の故郷です。
みんなでチャーター船に乗って
サンゴ礁の海を歩いて
獲った魚をさばいて
島酒を飲む…」

その人は、
網取でのキャンプがどんなに素晴らしいか、
熱を込めて話した。
こんがり日焼けした肌と
動物的な光を宿した瞳をもち、
海の匂いを身にまとっていた。
なにか人間の根元的なエネルギーを感じさせた。
私はまだ、それを知らない。
知りたい、と思う。

生命力あふれる大自然。
ぞの中でのキャンプ。
野生が私を呼んでいるような気がした。
心が躍った。
私の中で何かが閃いた。 

「私も連れて行ってください」

「いいですよ」

二つ返事で決まった。
しかし、
アウトドアの人でもない私がキャンプをする。
しかも初対面の人についていく。
あり得ないことだ。
いえいえ、ここは南国の楽園。
心のおもむくままに、まかせよう。

八重山諸島
石垣島と西表島



その日、
十七人の一行を乗せたチャーター船は
石垣港を出発して
西表島の網取を目指した。

船は西表島の海岸線を並走して行く。
外から見る西表島は、太古の森が広がり、
人の手を寄せ付けない風情だった。
そして、船を走らせども走らせども、
島は、どこまでも果てることない
大陸のように続いていた。

チャーター船は途中、白浜港に立ち寄った。
一行は、地元の漁師の小さい船に乗り替えた。

エンジン音を吹かせながら、漁船は網取に着いた。ここは、みんなが多感な子供時代を過ごした
懐かしい故郷だ。
初めて来た私は、
昔の生活の痕跡を探して集落跡を歩いてみた。


西表島
矢印の先が、網取集落



それから、砂浜にテントを張り、
夕飯の獲物の魚を獲りに向かった。


網取からさらに船に乗り、行き着いたのは、
初めて見る原始の海だった。

人の手がまったく加わっていない天然のビーチ。 しんとして音が無く、
ここだけ時間が止まったようだった。
別世界に来たような気がして、見とれた。

やがて錨を降ろして、
みんな一斉に船から降り始めた。

「ここから先は何も持って行けません。
持ち物は船に置いてください」

えっ、持ち物を置いていけって‥‥。
この船頭さんは、なんて事を言うんだろう。
私はしぶしぶ
貴重品と携帯の入ったウエストポーチを外し、
何も持たずに船から降りた。

ドボンという音とともに、
胸まで海水に浸かった。 
身体にまとわりつく波で着衣が濡れた。

身体一つになった、と思った。
一抹の不安が過ぎった。
文明社会の必需品、命の次に大切なものを、
すべて剥ぎ取られたような気がしたからだ。

しかし、もう後戻りはできない。

みんなは海岸線に沿って平行に、
海の中を歩き出した。
私は後を追った。

足元が不安定なうえ、水の抵抗力で前に進めない。気がつけば、
私が立っているのはサンゴ礁の上だった。
急に寂しく拠り所のない感じに襲われる。

前も後ろも、右も左も、
ずっと遠くまでサンゴ礁が続いていた。
踏みしめるたびに
ザクザクと音をたててサンゴは崩れ、
足の裏にその感触が残った。


サンゴ礁の上をみんなは、
まるで走るようにすいすい歩いていく。
男も女も健脚だ。
魚の棲家さえ熟知しているのだろうか。
海の生活に馴染んだみんなを、
なにか尊敬の気持ちで見つめた。

そうなんだ。
大自然の中では、
文明の必需品たちは役に立ちはしない。

私は身体一つで大自然の中に解き放たれていた。


サンゴ礁の海をもたもた歩く私に、
一人の屈強そうなおじさんが手を貸してくれた。
その太い腕にしがみついて歩いた。

大自然の中で、私は一人では何もできなかった。
ここに取り残されたら私は生きて帰れない。
この時ほど人を頼りに思ったことはない。


これまで自分のことは、何でも自分一人でできた。いや、できたつもりだ。 
私は親の手のかからない優等生で、
大学を卒業後はキャリアを目指して猛烈に働き、
結婚が破局したら一人で決着をつけた。

その後は、働いてお給料を稼ぎ、
家の中を整え、
買い物をしてご飯を作って一人で食べた。
お金さえ稼げば一人でも生きている。
そういう社会に生きていた。

その頃のことを思い出す。
私はいったい、何にこだわっていたのか。
何を大事に守ろうとしていたのか。
そこで得たものは何。
答えを探そうとする。

そう、何かに向かって懸命に頑張ってきた。
それは、たぶん世間が価値を認めた決まり事。
しかし、身体は喜んでいない。
心は倦んで疲れていく。


サンゴ礁の海を、
手を引いてもらって、私は歩いていた。
髪が潮風をはらんで膨れ上がった。
頭の上を雲はゆっくり流れていく。

私の片手は、一人の人に繋がっている。
その手の先は、みんなと繋がっている。
さらにその手の先は、
もっと広い世界に繋がっているような気がする。

やがて、私たちはもともと、
深いところで一つだったのだ、
ということを理解する。
大自然は何も言わず、そのことを示してくれる。

何か持っているから幸せ、
ではなくて、
何も持たなくてもすでに幸せ。
私は大丈夫だ。
何も心配しなくていいんだ。

頑なな思い込みが、ぼろぼろ剥がれ落ちていった。

誰かに守られるって、
なんて気持ちのいいことなんだろう。
暖かいものに包まれたみたいに、
緊張が解れていった。


少し離れた所で、みんなの歓声が上がった。
囲い込み漁が始まったのだ。

すでに潮は引いて、
胸まであった海面が膝までになっていた。
透明な水の底に、
鮮やかなサンゴが色彩を奏でている。
赤、青、黄、緑、桃、紫。

うっわーっ、きれい。
思わず叫んだ。


その時、私を呼ぶ声がした。

「お嬢さん、こっちに来て魚を持って見ませんか」

美崎町で会った熱血の人だった。

「この魚は背ビレに毒があるから、
エラのところを持つんだよ」

見ると、網の中には 
初めて見る熱帯の魚たちが、
勢いよく跳ねていた。
その人から手渡された魚は、
私の手の中で力強く身をくねらせた。

私はすっかり子供にかえってはしゃいだ。

みんなは私を受け入れてくれている、と思った。
網取に縁もゆかりもなく、
何処から来たか、
何をしてきたかも知らない私を。
同じ時間、同じ場所を共有しているというだけで。

「いま、幸せ」

思わず、口をついて出た言葉だった。


急に私の周りから、みんなが消えた。
やがて、自分の身体と自然との
境界線がなくなった。

私は自然と一つになった。

海になり、空になり、雲になり、
風になり、サンゴになり、魚になった。
すべての中に私があり、
私の中にすべてがあった。


その時、自分の中から声が聞こえた。


「あなたはあなたのままでいいのです」


自分の中から聞こえたのに、
空から降りてきたような気もした。


そのままの私で充分だったのだ。


もっと頑張らなければ
取り残されるんじゃないかという恐怖も、
他人から好かれ評価されなければ
無価値なんじゃないかという不安も、
消えていた。

足りないものは何もない。
私は、ただ、いるだけで
百パーセント。

すべてが許されている。
こんな自由、初めてだ。

私は心の中に背負っていた重荷を
全部放り出した。
さえぎるものは何も無くなっていた。

私は身体一つで世界と対峙していた。

ふーっ、と深い息を一つした。
そして、強く思った。
この時の感覚を忘れずに生きていこう、と。
この先、何があってもこの
体験に戻ってくればいいのだ、と。


海の向こうに日が落ちてから、
みんなで夕げの席についた。

島酒を傾け、海の恵みを食し、
静かに一日を振り返る。

新しく生まれ変わった自分を発見する。
そして、今日の日の出来事すべてに感謝を捧げる。

すると、
私を網取に導いてくれたすべての人たち、
すべての事柄に思い至る。
もしも、美崎町で熱血の人に会わなかったら、
もしも石垣に来ていなかったら、
もしもこれまでの人生が無かったら、
この日の幸せな気づきはなかっただろう。

そう思えば、
この人生に無駄なものは
何一つなかったのではないか……。

そうだ、見えてなかったものが、
急に見えてきた。

ジグソーパズルのように、
たくさんのパーツが組み合わさって
出来上がったのが人生。
そして、一つ一つのパーツは
人生の大切な構成要素だったのだ。

何一つ余計なものはないのだ。
あの裏切りも、あの失敗も。

すべて、これで良かったんだ。

過去を手繰り寄せて、繋ぎ合わせてみる。
苦痛のあまり見たくなかった過去たち。
長い間、忘却の彼方に追いやっていた過去たち。

それらが、
かけがえのない愛しい存在に変化する。

祝福の紙吹雪が舞い降りてくる。

急に視野がぱーっと開け、
人生が違うものに見えてきた。


ガラクタだと思っていたものは、 
宝物であったのだ。


私は戦うのを止めて、自分と和解した。


やっと平安が訪れた。


(終わり)


2011年3月執筆



ワンネス体験の関連記事です。

島のオバアとの出会った頃


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?