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楽園瞑想〜母なるものを求めて(1)

 

 沖縄本島からさらに南へ一時間、フライトした先に位置する八重山諸島の石垣島。

 その島のオバアと、オバアを取り巻く人たちとの交流を通して、私はディープな沖縄を体験していく。

 そこから得たものは‥‥

✱         


ある人の家に住んでいた。

 わずか三ヶ月の間のことである。けれど、その家が私にとって一番の家である。私を支える根になり、滋養を与え続けてくれる場所、という意味において。家。求めてやまないもの。それが南の島、石垣にあった。


 朝。微睡んでいると、外の日射しが明るい。眩しくて、思わず目を開ける。

 部屋が、視界に映る。

 まず、欄間の真ん中に「家内安全」と大書きした書。金ぴかの縁取りをした額縁に入っている。その横に、長寿を祝う表彰状。この家の主のものだ。床の間には、翁と姥の縁起物の掛け軸が下がり、真っ赤な花笠を手にした琉球人形がこちらを見ている。

 南に来たんだな、と思う。ふーっと身体が緩んでいく。

 八重山作り方の家の一番座。ここで私は寝泊まりしている。

 ここに来るまでを振り返る。

 都会にずっといた。駆け足で過ぎる日々。休みをとってフラッと旅行に来た南の島。急に視野が広がった。南の島から都会を見る、という新しい視点を手にいれたのだ。

 ここにいると、都会で身に付けた価値が輝きを失って見えてくる。それから私の石垣詣でが始まった。

 一年に三回もリピートする。こうなったら、住んでしまったほうがはやい。いっそのこと住んでしまおう。気ままな独り身。どこへでも飛んで行ける。

 そして石垣島に住み始めた。しかも、どういう巡り合わせか人の家に居る。なんてついているんだろう。

 もしかして、これは夢か、と怪しむ。そんな時は、固く目を閉じる。開く。夢ではない。わぁ、確かに石垣に居る。嬉しさが込み上げてくる。

一日の始まりは、いつもこんなふうだ。

 やがて、襖を開けて私を呼ぶ人が現れる。この家の主である。

 起きなさい、ご飯を食べなさい、と言う。そして、日焼けした顔で笑う。つられて私も笑う。自然に笑う。二つの微笑みはこだまして、優しい波紋になって広がる。それから、私の身体は軽やかに起き上がり、健やかに動き出す。降り注ぐ朝日を満身に浴びて。


 家の主はオバアである。御年、七十九歳。

 オバア。なんという懐かしい響き。私は、この家で、オバアと二人暮らしをしている。

 オバアの家では、都会人の私には慣れないことが次々、起きる。

 家の概念が違うのだ。人と人との距離も違っている。


(続く)






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