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占いとスピリチュアル

いつまでも曖昧なままに 
しておくことが苦手なので、
はっきりしておきたい
のです。

占いってスピリチュアルなの?
ということがかねてからの疑問でした。

世間では
占いはスピリチュアル
ということになっていますが、
私の考えでは、
占いをスピリチュアルの範疇に
入れたくないのです。

私は占いが好きですし、
スピリチュアルな体験(宗教体験)も
あります。

ですが、
占いとスピリチュアルを
どうしても一緒にしたくないのです。

それは、何故か?


まず、
スピリチュアルの定義って何なの?
ということから。

私の個人的見解ではですよ、
批判や異論を覚悟でいえば、
その場かぎりの
着地点のない癒しであり、
それは主に他力によって
もたらされるものであり、
現実は何も変わらないのに
何故だが止められない…。

といっても誤解しないでください。
スピリチュアルの悪口を言っている
わけでは無いのです。決して。

むしろスピリチュアルを信じている人
なのです、私は。
宗教体験をしてから
空洞のように感じていた身体に
コアとベースとバックボーン
という根幹の部分が、
一度に身体のなかに収まったように
安定しました。
身体の感覚がはっきり
変わってきましたから。

宗教体験は
突然、なんの前ぶれもなく
向こうからやってきました。

スピリチュアルは
なにか外からの力によってもたらされる
のではないか
という気がします。

スピリチュアルは「他力」の世界、
いっぽう
占いは、私見によれば
「自力」の世界のように思います。


占いは心理セラピーの世界に
近いのではないかと思います。

長年、心理の世界をウロウロしてきて、
あの親でこの人生なんだ、
そこからは逃れられない
ということを認め、

私は赤でも黄色でもない、
黒なんだということを認めるまでに
二十年かかりましたけど、

心理セラピーとは、
こうした「自己理解」と「自己受容」を
うながすものです。
自分を理解し、
自分を受け入れたとき
はじめて変容は起こるのです。

ここで占い登場ですが、
占いは私に
「自己理解」と「自己受容」を
加速させました。
おかげで終わらない迷いの世界に
やっとピリオドを打つことができました。
そしてさらに
運命を受容して
そこからどう生きるのかと
問いかけてくるのです。

ですから、
占いはまさに「自力」の世界に属します。

私が使っている
表現アートセラピーもピプノセラピーも
潜在意識から出てきたものが全てですから、
これも「自力」の世界てす。

「自力」の世界は苦しみを伴います。



そこにいくと
スピリチュアルは苦しみのない世界です。

スピリチュアルは
「不快」を取り除き「快」を得る
効果をもたらしますが、
それはまるで脳内麻薬モルヒネのような
多幸感を与えてくれます。
(私、モルヒネを打ったことはありませんが)

その点で、
スピリチュアルは
一種のアルコールでもある
と思っています。

もっといえば、
依存性という危険さえはらんでいる
といえます。

スピリチュアルは
西洋占星術でほ海王星の管轄です。
海王星は
スピリチュアルのほかにも
夢、理想、無意識、霊感、神秘、芸術
などの美しい意味がありますが、
詐欺とか曖昧な、とかアルコール
などの怪しげな意味もあります。

スピリチュアルは怪しくてもいい
と思います。

そういう部分も含めて、
人はスピリチュアルにアルコールに
魅了されていって、
その需要たるや
カウンセリングやセラピーは
とうてい及ばない数字なのです。

着地点のないその場限りの癒しに
人類は膨大なお金を落としています。

はっきりした数字は忘れてしまいましたが、
スピリチュアルは
年間でン兆円市場だといいます。
(国内で、なのか、そのへんは不明)

スピリチュアルは
どこまでもスピリチュアルでいい。
曖昧なままで
むりに答えを出さなくていいんです。

スピリチュアルは現実逃避
っていう意味もあると思います。

しかし、
生きていると辛いことはあるから、
逃げ場はぜったいに必要です。
現実とのバランスをとりながら
現実の中に生きていくには
スピリチュアルとアルコールは
無くてはなりません。

スピリチュアルとアルコールは
苦痛を和らげる脳内モルヒネ
のような働きをしているのでしょう。

私はいま
スピリチュアルとアルコールが
社会の中で
どういう位置づけで、
どういう役割を果たしているか
おおいに興味、関心があります。

ところで。

占いは「自力」の世界
スピリチュアルは「他力」の世界。

世界が違うよ、
というのが私の結論です。

しかし、
占いもスピリチュアルも
どちらも頼もしく思っています。


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