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【愛着障害・うつ・AC】人生を根底から変えるために

みなさんもそうだと思いますが、人生を変えようと長年、取り組んでこられたと思います。

私も自分を変えたくて二十数年、セラピーを受け続けてきました。

変わるのは容易ではありません。

なかなか良くならず一進一退を続けていた時が長かったのですが、ときには開かずの扉が急にパッと開くような予期していなかった嬉しいブレイクスルーが起きたこともありました。

一番大きな変化を体験したのは、取り組み始めてから二十年後です。変わることを諦らめたときでした。

ええ、諦らめたんです。

変わることを熱望していたのに、目的地には遥かに及ばなかった。二十年も時間とお金とエネルギーをセラピーに注ぎ込んでも相変わらず幸せにならなかったのでした。

十分にやったから気が済んだのかもしれません。変わることを諦らめて、傷を抱えたままで生きていくことにしたのです。

そのとき、自分との和解が起こったのでしょう。なんとも言えない安らぎが訪れました。初めて今の自分を許すことができました。

諦らめた時、いちばん大きく変わりました。


私の場合はちょっと特殊だったかもしれません。

精神疾患のある両親をもち、二十数年にわたる歳月を病の治療に費やしてきた私は、どうしても今の自分を好きになることは出来ませんてした。

子供時代の虐待の傷をひきずり、受難の半生を送った私でしたから、自らの運命を呪っていました。

あの親では嫌だ、この人生では嫌だ、とずっと思い続けていました。

あのだめな親をもって、このだめな人生を生きている、そんな自分を絶対に認めることが出来ませんでした。

そんなことがあっていいとは納得できませんでした。現実逃避することに助けを求めるようになりました。

いい親のもとに生まれて幸せになっているもう一人の自分が何処かにきっと居るんだ、と空想することが長いあいだ止められませんでした。

運命に抵抗し続けていました。

しかしある日、ふと変化が訪れました。

それが私なんだ。ついに運命に降参したのでした。惨めで不幸な自分を受け入れることにしたのです。


あの駄目な両親をもってこの駄目な人生を生きている、それが私なんだ。

自分と和解したのです。

「自己受容」というコトバは生やさしく思えます。運命を受け入れること、それは「諦める」ことに近い感じがします。

諦らめたとき、はじめて自分に安らいでいることができるようになりました。

そこから導かれた答は、いまの自分を否定しながら変わろうとしても、決して変わることはできない、ということでした。

変わりたければ、いまの自分を変えようとしないこと。

一見、矛盾に満ちているように思えますが、どうもそれが真実のようです。


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