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すべてはありのままでいい

雨の雫をしたたらせて、
月桃の花が咲く
五月。


今日のわたしは、
昨日までのわたしと違う。

まるで別人のように違う。

顔を隠していた昨日までのわたし。

何者であるかを知られるのを恐れて
黒いベールの向こう側で
息を潜めるようにして
生きていた。

傷を隠そうとして
自分を隠していた。

精神疾患のある両親に育てられたこと。
被虐待児でサバイバーであること。
回復に半生を費やしてきたこと。

わたしの人生にお母さんの愛は無かったこと。

これまでも、これからも
わたしの人生にお母さんの愛は無いこと。
いつか改心してくれるのではないか
との淡い期待もなんども裏切られたこと。
愛されることはないとわかっていても、
それでもまだわたしは
お母さんに愛されたいと願っていること。


ベールで顔を隠しているときは、
あの親ではいやだ
いまの自分ではいやだ。
恥ずかしくて見られたくなかった。

親を諦めることが回復、
心理の世界ではそう言う。

回復するまでは
人生が始まらないような気がして 
じりじりしていた。  

しかし、
回復に一生を費やすのか。
一生を費やしても回復しないのではないのか。

だったら回復しなくていいのとちがう?
という声が何処からか聞こえてくる。

親を諦められない私のままでいいのとちがう?

このままでもいいのとちがう?

回復することを目標にしなくていいのとちがう?

回復しないまま、
人生を始めてもいいのではないの?

あの親だったことも、
このわたしだったことも。

すべてはありのままでいいのではないの?

私はうなずく。

なんどもうなずく。

あの親でいい。

このわたしでいい。

この人生でいい。

すべてはありのままでいい。 


影を消そうとすると
光も消えてしまう。

傷を隠そうとすると
自分まで隠してしまう。

だから 
傷は傷のままでいい。

あの親でいい

この私でいい

この人生でいい。

すべてはありのままでいい。


新しい私が生まれ落ちた

月桃の花に

雨の雫がしたたり落ちる

五月。


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