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バレエとチャンバラ

ちょうど一年前、最初の緊急事態宣言が解除になったころ、中尾充宏先生の「バレエ入門基礎」というクラスに通い始めた。
平日の朝10時半から。スタジオは隅田川を隔てて築地の対岸にあり、窓からは運河が見える。隣の駅はもんじゃで有名な月島である。家からは1時間ちょっとかかるのだけれど、都営線にずっと乗っていれば、都心の人混みを歩かなくてもいつの間にか着く。超高層マンションも建設中で新しい建物が多い一方で、路地の植木鉢の並べ方などに下町らしさが漂う。同じ都内でも、武蔵野の雰囲気が残るうちのあたりと、空気感が相当違うのだ。うちのへんが山・農村寄りとすればあっちは江戸前(月島の埋め立てが完成したのは明治期だそうだから正確には「江戸前」じゃないけど……)。ちょっと散歩するだけで気分が晴れる。

このクラスに行き始めたのは、コロナ禍の前に膝を痛めたりして、体の使い方を見直したいなと思ったから。細々ながら大人のバレエクラスというものに通い始めて、気がついたらもう15年近く(オソロシイ)になり、無理矢理トウシューズ履いて発表会に出ちゃったりもした。でも、無理矢理は危ない。膝に水がたまったりしたのは、トウシューズを履くほどには基礎ができていなかったのだと思う。とはいえ、これは痛めてみないとわからないことであった……。
今更そんなに難しいことができるようにならなくていい。ただ、地面を押してちゃんと歩いて、すっきり立てるようになりたいなと思った。そのために、うんとゆっくり体の使い方を教えてくれそうなクラスを検索して、中尾先生を見つけたのだがこれが大正解だった。

バレエレッスンというと、背すじを引き上げ、のびやかに手足を伸ばし、無駄のない動きで優雅にというイメージだが、下手にマネすると逆にガチガチに体を固めてしまうことがよくある。無駄な力抜いて、ガチガチはダメって、どんなレッスンでも先生は口をすっぱくしていってるはずなのだが、これがなかなか難しいんである。
ジャンルに関わらずダンスは、もっといえばどんなスポーツでも、丹田が重要、体幹をしっかり、あとはリラックスみたいなことをいわれるように思う。しっかし、丹田って!? おへそのちょっと下、といわれるけど、わかるようでわからない。下腹に力を入れようとしてよく腰を固めてしまう。とあるバレエクラスで、私は「あなたお腹のこと考えすぎて出たり引っ込んだりしてるわよ、そこに芋虫か何か飼ってるの!?」といわれたことがある(こんなに口の悪い先生ばっかりじゃないですよ)。

中尾先生のクラスでまずいわれたのは、「崩れていい」「ぐらぐらしていい」ということだ。バランスを崩して体勢を立て直そうとするとき、体幹というのはいちばん鍛えられるのだそうだ。
ときには、わざと腰をぐにゃぐにゃ揺すったり、モンローウォークみたいにお尻を振りながら脚を動かしたりする。腰やお尻が揺れるにつれて、胸や首もフラフラ揺れる。揺れながら脚を動かすってなかなか難しい。でも動きとしてはかなりあやしいので、なんだかおかしくなって、みんなで笑いながらやっている。揺れながら緊張するのは不可能だ。で、その揺れを徐々に小さくしながら、脚を動かし続ける。
そうすると、波が徐々に静かになるように、自然に止まるところが見つかる。力みゼロで、すっと軸が「通る」気がする。なんか頭もクリアになる。最初から「まっすぐに」しようとするとできないのに。先生曰く、引き上げるより、「糸を通す」とイメージしたほうが軸は通りやすいよと。なるほど。からまった糸をふるふる振っていると、ひとりでにほどけることがある。体に「糸」は、本当はちゃんと通ってるんだけど、思いこみやらストレスやらでぐるぐるにからまりがちなのかもしれない。

先生は同世代で、現役のダンサーもやりつつ、プロダンサーや演劇人、子どもなどいろいろな人に指導しているかたで、若いころはバレーボールをやっていたという。レッスンにはアメリカで開発されたブレインジムという手法が取り入れられているそうだが、調べたら、発達障害の子どもたちに役立てられているメソッドだった。かと思うと、古武術もやっていて、「宮本武蔵は、体を固めてしまわないよう、着物の中でつねにフラフラ揺れてたそうですよ」なんて教えてくれる。なかなかあやしい。でも、毎レッスン目からウロコなのだ。
また、足がしっかり床を踏めて安定するのは、ふわーっとのびやあくびをしているときだという。その状態をつくるために、はあーっとため息をつきながらとか、あえて拳をつきあげながらレッスンしたこともあった。「ハウンドドッグのコンサートみたいに!」と先生はおっしゃったが、その日のメンバーは、それで通じる40代以上が大部分だったせいでもある。

バレエは脚を付け根から外向きに回す「ターンアウト」が基本だが、外向きに開く前に、まず体を内向きに締めることが必要だということで、股関節のイン・アウトを繰り返しやった日もあった。その日の注意は「温泉に浸かってるみたいに」リラックス。一方で、「フォーマルな服を着ているように」体を締める。フォーマルな服を着たまま温泉っていったいどういう人だよと思うが、よく考えると、上手なダンサーってどんなへんてこな動きをしてもなんか品がある。あと、中途半端にバレエ習った人がヒップホップとか別ジャンルやると体が変にぴんと固まっていて非常にダサくなりがちだが、プロクラスのダンサーになると、どんな踊りでも短時間でコツをつかんですぐそれらしく踊れる。あれも、おそらく全ダンス、全スポーツに共通するであろう、リラックスと体幹の感覚がつかめてるからなんだろうな。

目を閉じてレッスン、っていうのもときどきやる。同じ動きでも目をつぶったとたん、恐ろしくぐらぐらするのだが、その分自然に体の内側に意識がいって、なぜか落ち着く。バランスを取るのに、人間は相当目に頼っているのだということがよくわかる。

こないだはついに、レッスンに剣道?が取り入れられた。竹刀を握るときって、雑巾を絞るように、小指側からちょっと力を入れて、手首を軽く内側に回すのだそうだ。そして、剣道の「蹲踞(そんきょ)」は、バレエの基本動作のひとつであるグランプリエとよく似ているのだった。あ、お相撲の基本でもあるな。

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で、竹刀に見立てて、タオルを体の前で軽く絞りながら動くと、なるほど、体の中心に力が集まりやすい。体がきゅっと一つにまとまる感じだ。グランプリエ、私はめちゃくちゃ苦手なのだけれど、「竹刀を握って」やると、軸を感じたまま深く腰を落とすことができた。
そして、レッスンは毎回シャッセというステップで終わるのだけれど、このステップ、実は剣道の足運びとよく似てるのだった。よく、「めーん!!」って打って走り抜ける足運びだ。シャッセはフランス語で「狩りをする」「追いかける」の意味。前足を後ろ足が追いかけるステップだ。この日は、竹刀を握る手にして「めーん!」という感じでスタジオを駆け抜けた。めっちゃ楽しかった。実際に打ち合う剣道は痛そうでちょっと無理だけれど、時代劇は好きなので、型だけは習ってみたかったのだ。

中尾先生のクラスに行き始めてから、過去に身についた癖とかイメージが体を縛ってることが多いなと気づいた。自分はここが固い、これが苦手だとか。でも、意外とそれは思いこみで、体をうまくほぐしたり、教わった体幹のスイッチを入れてみると、できることはけっこう増える。少ない力で上手に動けるようになることは、年を取るほどますます大事になってくる。

仕事でも、ときどき表面的に空回りして、まとめることばかりに頭がいっているのでは、と感じることがある。脳の体幹(?)が使えていない、外側だけ固めるような頭の使い方だ。脳の体幹なんてものがあって、その使い方がわかったら、「糸を通す」ように自然に軸が通り、一発で本質を突くような文章が書けるのでは!? と思うけど、そんなうまい話はないかしら。ま、先生は脳に詳しいはずだから、いつか聞いてみようと思う。

ここで終わろうと思っていたのだが、実は先週、少し腰を痛めた。別にぐぎっとやった覚えはないのだが、朝起きたら痛くなっていた。その週はいつもより多めにレッスンに通ったことと、前日、姪っ子とたくさん遊んで、調子に乗って何度も抱っこしてぶんぶん振り回したりしたせいかもしれない。
症状は軽くて、早めに治療院へ行き、数日安静にしていたらよくなったのだけれど、一時は痛くてよく眠れないし、床に落ちたものも拾えないしでちょっとどうしようかと思った。

これから年を取ると、できないことがだんだん増えていくんだろうな。でも、練習すればできることも少しは増えるはず。できないこととできることがシーソーのようにゆらゆらと動いて、最後はできないことばかりになるのかもしれないけど、何か新しいことを教わるって、やっぱり楽しいことだろうと思う。

来週は中尾先生のレッスンに行けるかなあ。

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追伸:先日レッスン再開でき(うれしい)、先生に直接許可いただいたので、お名前を出させていただきました。


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