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如何にしてストーリーの結論を引き延ばすのか、という精神を持つ

様々な出来事がある。事件がある。キャラクター達がいて、思惑がある。
ストーリーとは、そういった多くの要素の連続を見せるものであるが、結局のところ、そのゴールは決まっている。
なぜなら、終わらないストーリーはなく、作者は終わらせる責任があり、そうであることを求められているからだ。どこに向かうのか、始まった段階で決まっているのがストーリーなのであり、もしそうでなければ、作者は常に不安を抱えたまま旅をすることになる。
多くのストーリーの制作者は、それを嫌う。そして、一部の、不安を抱えたままでストーリーを進めなければならなくなった作者たちを除き、ゴールを完全に決めてから、ストーリーを展開する作者というのが基本である。

だから、ストーリーにおいて大切なのは、ゴールを決めることや、そこに向かってきちんと着地することでもない。

もちろん、せっかく決めたのだから、そこに着地するに越したことはない。しかし特に、ストーリーとは様々な要素が絡み合い、たくさんの思惑があり、それらがより合わさって、結果的にゴールするものである。
そのため、ストーリーにおけるゴールとは流動的なものであり、必ずしも最初に決めた通りの場所であるとは限らないのだ。

そういった面もあり、ストーリーにおいては、ゴールそのものが大切というよりも、仮にでも決定された目的地を示しつつも、しかし、いかにそこにたどり着かないか、ということのほうに腐心したほうが良いのである。

即ち「引き延ばし」だ。
ストーリーの肝はこの部分が上手くいくかにかかっていると言っても差し支えないだろう。
そもそも、ストーリーにおいての結論のバリエーションなどたかが知れている。その上、進めていけばいくほど、向かえる目的地は絞られていき、読み手に予想されやすくなるものだ。
わかりやすいものに面白みを見出すことは難しい。

つまりストーリーにおける目的やゴールというのは、あって当然のものでありつつ、実際のところ、そこに誰も大きな期待をかけているものではない。
「どのようなオチなのか」ということよりも、「どのようにストーリーが進むのか」ということのほうが、よほど関心ごとである。

そういった意味で、特にストーリーにおいては、ゴールではなく、ゴールがある上での、引き延ばし方が大事だと言うのである。
たとえ決着が同じだったとしても、そこまでの引き延ばし方によって、ストーリーは大きく異なる印象を与えられる。

だから、ストーリーは引き延ばすに限る。
ゴールや目的や結論などありきたりでもいい。むしろ簡単でわかりやすい目的地の方が、引き延ばしがいもあるというものだ。
ストーリーの創作者は、そういった精神を持ちたい。
……もちろん、引き延ばすべきでないときにそうするのは、ご法度ではあるが。

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