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あいまいなものは美しい?

 わからない。はっきりとしない。そして不明瞭なところがある。そんな「あいまい」とは言ってみれば、理解できないということだ。その全部でなくとも一部でも、もやもやとした何かがある。あることはわかるけれども、言い当てられない。そういうことだ。
 それは時として「美しさ」になる。というよりそのもやもやはわからないからこそ、見る者の理想として君臨することになるのである。究極の美とは全てがはっきりと見えないことの中にある。私達はそれを見出してしまう。見えないにもかかわらず、あいまいの中に、自分だけの美しさを重ねようとする。

 だから美しさは、はっきりとしたものの中にはないのである。誰にもそれは思い浮かばない。もし、何も異なる解釈のしようがないものに美しさを見出だせるのなら、「これの美しさとはこうである」と書いてあるからだ。美しさとは何かという正解を、信じているだけだ。そうではなく、私達が、私達の心に感じる美しさというのは、そういった定まった形の中には存在しない。

 それに比べてあいまいなものには、想像の余地がある。そして目を凝らさなければ見えない。遠くからでは何かすらわからないことだってある。そのことが人の耳目を集め、考えさせるきっかけにある。
 美しさとは教えられるものではなく、内に基準のあるもののはずだ。だからそれを探させてくれる「あいまいさ」は、それこそに、まさに美しさが宿るのである。

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