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新しい“体感的”な物語を考えてみる

昨今のエンターテイメントは、読み手に経験したことのないをなにか伝えるにとどまらず、それをこえて、未経験の出来事を体感させることを目指し始めた。
あるいは、それを実現しつつある。

昨今のエンタメが、AR、MR、そしてVRを獲得したことは、そのはっきりとした証左である。
これらは少し前の時代から少しずつ、私たちの妄想の産物から現実の技術として開発され、製品として現れ、手にとって遊べるようになるまで、私たちの現実へと侵食してきた。

それが故に、私たちの認識は変わった。
エンターテイメントはもはや目の前にあるものを楽しむのではなく、楽しさや熱狂の中に入っていくことが当たり前になったのだ。

私たちは今や、どこにいても、全く知らない体験をし、興奮の渦に巻き込まれることができる。

エンタメはそうなった。

だからその1つである物語も、変わっていく。
物語とは、文字通り語ることであった。口伝で、文章で、映像で。
しかしそろそろ、それだけを考える物語は時代に取り残されていくのかもしれない。より受け手の体感を考慮した、伝えるばかりではないものにしなければならない可能性がある。

一方的な語りではなく、体感を共有し、共感を第一とするような。
そのためにはもはや、言葉や文字だけでは物語を形作ることは困難だ。文字は想像力を掻き立てるといっても、それは体感の興奮とは違う。
物語で体感を喚ぶのなら、映像や音楽や、バーチャルにおける再現性と手を組んで、受け手の五感と環境を支配しなければならない。

物語は世界観を1から構築できるほとんど唯一といってもいい創作物である。
だから物語は、他の素材をまとめ上げられる。だからそれは、エンタメの1つという立場をこえて、全てのエンタメの中心になれるポテンシャルを秘めている。
この潜在能力は、昨今の新しいエンタメの世界において、大きな武器になるはずだ。

体感的なエンタメの時代に、物語はこれまでのやり方を見直し、進化の必要性に迫れられている。

※このテーマに関する、ご意見・ご感想はなんなりとどうぞ















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