見出し画像

身になる成功体験はない

 確実な成果がほしい。そう思うことは多々ある。誰も、その歩む道すら不確定な暗闇の中を、一縷の光だけで進んでいこうとは思わないものだ。
 だから探す。周囲を見渡し、後ろを振り返り、それを見つけようとするのだ。「成功」を。かつて為されたそれを発見することで、そしてその準備やプロセスや結果を学ぶことで、同じゴールへと辿り着こうとする。
 もしくは少し応用して、そのやり方だけを抽出して、効率よく自分もゴールしようと目論むのだ。

 過去の成功体験を再び現出させようとすることは、つまり、成功という結果を生み出したやり方をもう一度なぞることは、一見したところ良い方法である。なぜなら、同じことをすれば同じ結果になるのは当然だからである。あるいは、もし完全に同じ結果にならないとしても、成功に近づく可能性がより高いと思えるからである。
 成功体験の踏襲は、だから私達を誘惑する。それをしろと。かつての再現をあなたは試みればいいのだと。そうすればまるでコピーされたかのように、約束された結果が待っている。

 だが、残念なことに成功体験とは身にならないものなのである。つまり成功とは、その時の1回きりであることがほとんどで、しかもそこには偶然が絡み、再現性もあまりない、ということなのだ。
 たから、あなたは過去の成功体験を──たとえそれがあなたのものであっても──信用してはいけないし、ましてや再現しようなどと考えるのは愚策である。
 過去は過去、今は今、未来は未来である。人生を効率化したいという欲求により、この成功体験の踏襲は私達に甘いにおいを振りまくが、しかし、それは往々にしてうまく行かないことを忘れてはならない。

 そのような意味で、成功体験とはかくも身にならないものなのである。

※このテーマに関する、ご意見・ご感想はなんなりとどうぞ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?