「流行り」:ランダムな回転と進行

 流行ることが多くの人に引っかかることだとすると、それは「つい触ってみたくなる」というふうに言い換えられそうだ。触ること。多くの人がそれに触る。するとその、触り方は本当に人それぞれだということになる。

 触るという言葉だけでは「接触」に思えるかもしれないが、単に見るだけでもいいという人もいるし、近づくだけで充分だと感じる人もいるだろう。あるいは反対に、味わってみないと駄目な人もいるかもしれないし、もっと自分のものとして手に入れなければ満足できない…なんて人だっているだろう。
 そういうふうに考えていくと、物事への触り方というのはコントロールが難しい。どういうふうに触られるかは予想がつかない。だから流行りとは、世間に放り出されるものなのだ。そうしたらもう、制御は難しいし、むしろ触り方を制御しようとするのなら、それは流行らなくなってしまう。
 なぜなら制御するとは、自由でなくなることだから。色んな人の心に引っかかるべき流行り物にとって、自由度を失うことほど致命的なものはない。制限された、一部の人に流行っているものは、結局のところ流行っていないのと同じである。

 そのため流行りは無秩序とも近い。

 それがどうなっていくかはわからない。でも、それが流行っていくことは確実である。そういうのが「流行り」というもののはずだ。放り出され、色んな人に触れられ、思いもよらない転がり方をし、ランダムに広がっていくことが流行りと言えるだろう。
 流行りは引っかかることだ。そして無秩序に回転行進していくことである。世間にむき出しにされた人々の心。その様々な凸凹に引っかかって、あちこちへと弾き飛ばされていく。
 それが流行り。流行ることである。

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