フィクションには身内ではなく外敵を
フィクションとして面白いのは、身内の対立ではなく外敵との戦いだ。どれだけ家族やチームや仲間達やコミュティの中で諍いが勃発しようとも、そして謎が展開されようとも、たった1つの人類の敵との戦いには、面白さで勝てない。
フィクションはとかく、そうであるべきだ。そのミッションは身内達の派閥争いに決着をつけることではなく、全ての幸せを破壊しようとする諸悪に鉄槌をくらわすことである。
しかしどのようなフィクションも、たった1人の人間が持ち得る想像力が支えとなっていることが多いせいか、それは油断するとすぐにミニマムにミニマムにしぼんでしまう。
想像力は現実の出来事に勝てないというのは、その内容のみならずそのスケールについてもそうなのだ。だからフィクションとは常に、そのような小さくしぼんでいこうとする圧力との戦いでもある。
それに打ち勝って、単なる身内のごたごたに終止せず、スケール感を大きくそして外敵も強大になる時、それは面白く興味の惹かれるフィクションになるはずである。
それでもなお、フィクションの制作者はそれを小さくまとめたがる。その欲望はいつだって大きくて、抗いがたい。でもそれではつまらないのは事実である。小ささよりも大きさ、そしてまとまりよりも爆発こそがフィクションの醍醐味である。
だからその一歩のためにも、身内との対立なんかより、外敵との戦いを描くことが、フィクションには求められている。
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