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直感が的中するのは偶然ではない

 直感が当てずっぽうだとするならば、それは基本的には的中するものではないが、しかしいつかは当たるものということになる。そういうあいまいなものとしてみるのなら、直感が当たるということは偶然でしかなく、言ってみればなんの根拠もない適当な感覚なのだと誰もが思っている。

 でも、適当な感覚はなぜ私たちに起こるのだろうか?それがなんの根拠も理由もないのなら、私たちが直感を覚えること自体が、そもそも起こるはずのない出来事のはずだ。あるいはそんなものをわざわざ直感などと名前をつけるわけがない。
 つまり直感とはそうやって名付けられるほどに重要なものであり、しかも何らかの根拠があって感じられるものなのだ。私たちはこの世界を五感で感じて生きているが、それはたった五感でしかなくて、それ以外のものは受け取れない。けれどそれは、まだ明らかになっていることでしかなく、私たちが受け取ることのできる情報はもっと多いのかもしれない。
 実際に、人間には見えないが、他の動物や機械に感じ取れる情報はたくさんある。ならばそれを、私たちが感じられることだって、別に不思議な話ではない。

 そういう意味で、直感とは適当な感覚などではなく、むしろまさに実直な、この世界を私たちが感じた結果としての感覚と考えるべきなのだ。私たち自身はそれがなんなのか、名付けられていないから表現できない。でもそれを感じだったから、直感として判断材料にするのだ。論理的な説明も、わかりやすく提示することも、証拠を残すことも難しい。
 でもそれが「ある」ことだけは確からしく感じられ、疑うことがどうしてもできない。そのもどかしさの中に「直感」は存在する。だからそれは的中し、けして当てずっぽうなどではない理由も根拠も、私たちが確かに感じた真実である。

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