見出し画像

公平をうしなわせてしまう公平さ

 公平さにこだわるほど公平を失う。平等もまた同じであり、正義もまたそうである。なぜならそれらは、できる限り多くの人々のためのものであるからだ。けして「この特徴をもつ」とか、「ある人種」とか、「善良な市民」とか、そういう制限ができるだけないことが望まれるのだ。

 だから、どのような人々のためにも、という根本的な考え方は苦労が多い。それは土台、無茶なことだからだ。特定の誰かだけを特別扱いできないのに、確実に、その反対の境遇に立たされている人々はいる。それを見過ごせないのなら、やはり、便利なのは差別なのである。
 不利な少数派を抽出して、その集団だけ別の扱いをする。それだけで公正は完了し、平等はなされ、正義は執行される。むしろ、公正な公正は、その本質を見失っている。残念ながら、公正とは差別を含む。それは正義でも平等でもない。崩れたバランスを取り戻すための単なる操作である。
 だからそれが振りかざされた時、私達は疑問を持たねばならない。疑問を持ち、そして公正がいかに脆いものかを自覚するところから始まる。

※このテーマに関する、ご意見・ご感想はなんなりとどうぞ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?