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成功は「どうでも良さ」の裏に隠れている

 大事な受験、たくさん練習してきた試合、昇進のかかった仕事、人生の節目である就職、結婚、離婚などなど。それらは「成功」が約束されねばならないイベントだ。「成功」こそが真実。そうとすら言えるこのイベントたちは、私達にとってもちろん、とても大切だと思えるものである。だからこそ、そういう「ここぞ」という時の大一番で失敗するのは恐い。恐いから慎重になる。
 けれどそれでも、失敗をしてしまう。それどころかいつも「ここぞ」で失敗する。落ち込んで、反省したはずなのに、そんな失敗を繰り返すのすらもはや日常茶飯事だ。

 どうしてそんな大切な時に失敗することがあるのだろうか? 準備が足りなかった? やる気が充分ではなかった? それとも運に見放されたのだろうか?
 そのどれもが適切ではない。あなたはよく準備したし、やる気もあった、そして運も悪い方ではない。言ってみれば全てあったのだ。大一番なのだから当然だ。しかしだからこそ、そこに失敗は潜んでいて、成功はこぼれていってしまう。

 私達はここぞという時に、どうしても力を入れてしまう。力むこと、足していくこと、考え抜くことを正しいと考えてしまう。そしてその癖は、実のところ物事を改善するとは限らない。つまり良い方向に何かを持っていくためには、そのような「足していく」ことはむしろマイナスになることが多いのである。
 なぜならそれは、根本的に複雑になるからだ。そして消化しきれなくなるし、抱えるには重すぎることになる。「足す」とはそういうことだと分からないままにそうしてしまう時、私達はその物事についてコントロールできなくなっていく
 様々な想いや、信念、展望、目的など、捨てることのできない気持ちを背負っている。それに応じて、私達は物事に対して、どうしても後に引けないようになってしまう。それが、まさに「引けない」ということ、「足し続けてしまう」ということだ。

 だから私達は、成功は「どうでも良さ」の裏に隠れているという事実を、適当に頭の隅にとどめておくといい。適当にやることとは、まさにそういうことだ。けして「適切」という意味ではない。そんなことを考えるからまた、分からなくなってしまうのだ。それではだめだ。そういうことから脱却しなければならない。
 適当に。できれば、自分のこだわりもひとつ、どうでもいいと思えるほどに。ここぞという時に失敗してしまうことを恐れるあなたに必要なのは、その適当さと、引いてみる勇気なのかもしれない。

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