国を動かすのは右か左か、努力か才か

 努力論者の君には悪いがね、これからの日本は我々天才が牽引していくことになったんだ。だから君たちは速やかにこの国から去り、その泥臭く実効性のない理論を後生大事に、どこぞの国で「成功」なさってくれることを祈っている。それでは。

 暗い、ひんやりとした地下室。打ちっぱなしのコンクリ―トが、暗闇の中にどこまでも広がっている。その広い空間には柱が1本としてなかったが、中央にぼんやりとした灯りがいくつも灯っていた。そこに、男が2人向かい合っている。
 「国民の命はどうでもいいってのか!?」
 灯り1本1本が怒声に揺れる。まるで墓標のように並べられたろうそく達は、まさに、木の十字架に縛り付けられた男の顔を煌々と照らしている。
 「いいえ、私は憂いている。だからこそ、彼女しかいないと思っているのです。この国は今まさに膿を出し切れねばならない時だ」
 「ふん、革命家を気取るのもいい加減にしろ……」
 吐き捨てるように言った男の名は、大城一といった。その目の前に立つ、やせ細った幽鬼のような男は鈴屋紅。不健康そうな見た目に不釣り合いなほど、その声には張りがあり、態度は自信にあふれていた。
 鈴屋の言葉を剣呑そうに聞く大城。その鍛え上げられた肉体にはいくつもの傷があり、彼の決意の炎を映した目は、片方が潰されていた。
 「いいんですか、そのような生意気な口をきいて。また“おしおき”を受けてもらいますよ」
 「てめえこそいいのかよ。俺になんかかまけてたら、“彼女”が怒るんじゃねえのか?」
 痛々しい姿にもかかわらず、大城の語気には少しもかげるところがない。実際、国家転覆を目論む組織に捕まり拷問を受け、ひとけのないこのような場所で縛り付けられているにもかかわらず、軽口を言う余裕すらうかがわせている。
 それも全て、彼の使命感のなせるわざだったが、もう1つ、彼には絶対的に信頼できるものがあるからでもあった。それは今ではなく、未来に繋がる希望への信頼に近い。
 「……あなた達を闇に葬るのが彼女の望みです」
 「けっ、若い娘担ぎ上げて国めちゃくちゃにして、あげく責任まで全部おっかぶせようってのか、大したヤツらだぜ」
 「あなたのような人間に、私達の崇高な思想がわかるはずがない……」
 これ以上の話は無駄だと、鈴屋は大城に背を向けた。良く目を凝らせば、暗闇の中に背の高い鉄製の棚があった。彼はその枯れかけた枝木のような手を伸ばし、棚から道具を取った。流石の大城も小さく息をのむ。
 「もう一度言いますが……ここには誰も来れませんよ。警察も、自衛隊も、あなたのお仲間も」
 シャキシャキと、鉄をこすり合わせる音が暗闇から聞こえてくる。幽鬼のようにぼうっと現れた鈴屋の両手には、その胴体と同じくらいの大きさの鋏を持っていた。
 「やっと、あなたのクソ生意気な言葉を聞かなくて良くなりそうですね」
 「そうか、じゃあこのまま帰してくれるってわけかい」
 大城は鼻で笑って見せる。潰されたほうの目が、不器用に形を変えた。
 「……はあ、先ほどからなんなんです? 時間稼ぎのつもりですか? いくら鼻がいいあなたのお仲間でも、間に合いませんと言ったじゃないですか……ほら」
 大城の右腕の熱さが増した。すぐそばまで来ていた鈴屋がとろけたように笑み、どしゃり、と鈍い音がした。目を見開いた大城がかろうじてその熱源を確かめれば、縛り付けられていたはずの右腕が暗闇に溶けるかのように無くなり、肩口から赤い液体がこぼれだしている。
 「死んじゃいましたね」
 鈴屋は舌なめずりをした。心臓の鼓動が、どんどん耳元に近くなっていく。幸いにも、右肩から先の感覚は、痛みを含めてもう無かった。だが、その虚無が、暗闇が広がるかのように、大城の意識は真っ黒に塗りつぶされていった。

 工藤学武の携帯が着信したのは、午後4時28分、ちょうど別件の捜査が終わり、渋谷区は猿楽町の雑居ビルから出てきたところだった。
 《ネオ・セラピー代官山》――大層な名前をつけた、表向きは健全なマッサージ店で、ウェブサイトもしっかりしている。従業員に怪しい出自の人間もおらず、見たところ何の問題もない優良店だった。
 だが、とある殺人事件の容疑者が良く出入りしていたという目撃証言が上がった。そのために警視庁のほうで捜査が進められたところ、きな臭い営業実態が明らかになったのである。結局、その殺人事件と店との関係はちんけなものだったが、違法店を見つけたからには無視するわけにもいかない。工藤は「ひと仕事」をし、近くの飯屋をあてもなく探そうとしていた。
 「……見つかった!? どこでです、ええ、はい……え?」
 工藤の表情はコロコロ変わる。驚き、喜び、そして今は、悲哀に満ちた顔で電話を切った。本部からだった。工藤は若くして一課に配属されたやり手の刑事で、ベテランの大城という先輩刑事とともに、このところ目まぐるしい成果を上げてきた男である。見た目は頼りがいがなく、中身も現代っ子という感じで男らしさには欠けており、とても刑事には見えない。恐らく、才能もあまりない。
 だが、大城の指導のおかげか、それとも、食らいつけば離さない根性のおかげか、工藤は若手として周囲の期待を背負うまでになっていた。
 工藤にとって、大城は憧れの先輩だった。一緒に仕事をし、ますますその憧れは強まった。ノンキャリアながら貪欲にホシを挙げ続ける男の背中に、頼もしい父親のような安心感を覚えていたのだ。工藤は、いつか大城のようなベテランになりたいと、いつも積極的に捜査に協力した。
 「大城さん……そんな……」
 しかし、工藤のもとに届いた一報は無慈悲なものだった。
 「やっぱり、無理言ってでもついて行ってたら……くそっ!」
 雑居ビルのポストに拳を叩きつける。けたたましい音に、近くにとまっていた鳥が飛び立つ。
 大城は、とある極秘の捜査に駆り出されていたとの噂だった。その内容は工藤にも教えてくれず、もちろん一緒に行くつもりだった彼は、いつの間にか違う捜査で忙しくなり、大城と会う機会がなくなってしまった。
 とはいえ、工藤には心当たりがある。大城が捜査に加わる直線に、公安調査庁に出入りしていたと、知り合いから聞いたのだ。工藤はそのときに得も言われぬ不安を感じたのだ。
 「行かなきゃ、大城さん……なにか、なにか残してるはず……!」
 本部からの電話の内容は簡単だった。大城刑事が見つかったというのである。彼は極秘の捜査に加わり、その2ヶ月後の6月15日に行方をくらました。同時に、警視庁の管理する重要なデータや、名簿、拳銃2丁が無くなっていた。その後すぐに、警視庁に対する重大なハッキング事案が発生し、すぐさま本部は、大城刑事を重要参考人として指定した。
 普段は腰の重い警視庁にもかかわらず、その動きは予定にあったかのようにスムーズだった。
 その後、大城刑事が見つかることはなかったが、彼の捜索にはもちろん工藤も志願していた。他の誰よりも早く見つけると血眼になって捜したが、その痕跡すらわからなかった。それが、この度見つかったのだ――彼の、右腕だけが。
 正確には、肩口から荒く切断された右腕と、そこに無理やり縫い付けられた大城一の警察手帳が捨てられていたのだ。
 場所は都内、南池袋の繁華街だった。そこに点在する商業施設と池袋駅とを結ぶコミュニティバスの運転手が、朝方に何かに乗り上げた感触を覚え確認、通報に至ったものと言う。
 工藤は渋谷駅の新南口方面へ走りながら、途中でタクシーを拾った。大城の右腕のあるという医務院までの住所を告げる。
 本部は大城刑事を殉職したと見ているようだが、工藤の見解は違う。というより、信じたかった。先輩は生きている。むしろ、右腕だけで済んだのだ。大城刑事はその程度でやられるような刑事ではない……。
 窓から見える引き伸ばされた街並みを横目で眺めながら、工藤はこの1件をきっかけとして、なにか、重大な事件へと自分が飲み込まれていくような気がしていた。
 タクシーは速度を上げ、ぽっかりと口を開くトンネルへと突っ込んでいく。

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