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納得しなければ、人は自ら死ぬことなどできない

 自死は、それが正しいと思えるまではできるものではない。ただなんとなくの自死は無く、それが実行されるのならばその人は、自ら命を断つことに納得していなければならない。そうでなければ自死とは成立しない。
 しかし自死は、往々にしてそれに至る理由があり、しかもその理由によって死を選ばざるを得なかったのだと解釈される。誰も、死など理解したくないし遠ざけたいものだ。しかもそれが自ら行われることなど、考えたくもない。納得できるはずがない。そう思っている。
 だから自死が、その人の納得のもとで行われているということを了解できない。目を背けるしかない。そのために死そのものはよく無視され、その理由と動機とそれによる心身への影響こそが注目されることとなる。

 だが、死は、望まれてしまうことがあるということを私達は受け止める必要がある。というより、そうできる余地があるはずだ。死は、特に自死は非常に生き物を引き寄せるものだ。なぜならそれは身近であり、いつでも起こり、それに出会ったら終わりだからだ。それほどまでに危険なものはない。なので本来は、私達は死に目をつけざるをえないはずである。
 その上で自死は自ら起こせるという点でもっともきけんである。死ぬ方法などいくらでもある。何もしていなくても死んでしまうのに、自らそうしようと思えばどれほど簡単か。だが私達には一般的に、死への警戒心がある。そしてそれと仲良くならないように、疎遠であるように思考が方向づけられている。
 それが、自死への無理解に繋がる。まさか死を迎え入れる心理状態に、人間がなるはずがないと思ってしまう。しかしそうまでして理解したくない死を自ら起こすということは、即ち、それを納得しなければ、正しいと思えなければ実行できないことに他ならない。

 自死とは、それが正しいと思われて起きるものである。納得ずくなのだ。そうでなければ死などえらばない。何かに背中を押されて死ぬのではなく、その人は自ら足を前に進めるのである。そのことに目を背けたままでは、自死というものをいつまでも理解できないままである。

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